映画『君たちはどう生きるか』を観て考えた すすんで「異界」に入れ、君の眼前にある「壁」を壊せ
映画『君たちはどう生きるか』を観て考えた
すすんで「異界」に入れ、君の眼前にある「壁」を壊せ

映画『君たちはどう生きるか』―考えてみようぜ
映画館にコぺル君に会いにいったがいなかった。代わりに気味の悪いアオサギと、そいつに挑発されて「異界」に入り込むマザコンの眞人君に会った。
映画は難解といわれているが、観ているうちに宮崎監督のいくつかのメッセージに「気づいたような」気がした。
まさか、凡人に天才宮崎監督の真意がわかろうはずはない。しかし、飛びつけると確信を持って柳に飛びつく蛙の姿のように、無駄なあがきをするのを読んでもらうのも一興ではないか。
この映画、アオサギのくちばしの下から現れる邪心あふれる目は何を見ているのか?と、考えてみるだけで面白い。
映画館にコぺル君に会いにいったがいなかった。代わりに気味の悪いアオサギと、そいつに挑発されて「異界」に入り込むマザコンの眞人君に会った。
映画は難解といわれているが、観ているうちに宮崎監督のいくつかのメッセージに「気づいたような」気がした。
まさか、凡人に天才宮崎監督の真意がわかろうはずはない。しかし、飛びつけると確信を持って柳に飛びつく蛙の姿のように、無駄なあがきをするのを読んでもらうのも一興ではないか。
この映画、アオサギのくちばしの下から現れる邪心あふれる目は何を見ているのか?と、考えてみるだけで面白い。
はじめに―「ジャニーズ帝国」とマスメディアの「忖度人権」
日本人にとってはLGBTQの世界は「異界」であったろう。但し、これは未知と恐怖からではなく、無知から生まれている。「ジャニーズ帝国の総統」が行っていた「性加害」の真相は、イギリスのBBCの報道からはじまり、国連人権理事会の作業部会が調査し、「事務所のタレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれるという深く憂慮すべき疑惑が明らかになった」という結果が報告されるに至って、未成年に対する人類史上稀にみる凶悪犯罪であることが白日のもとにさらされた。さらに深刻なのは「日本のメディアは数十年にもわたりこの不祥事のもみ消しに加担したと伝えられている」と、マスメディアの責任まで言及されたことである。
吹けば飛ぶような小組織でありながら生意気にも、私たちはこの本ブログで日本のマスメディアは「人権」という言葉を大仰に使用するが、
「長いものにはまかれろ!」
「よらば大樹の陰」
「泣く子と地頭には勝てぬ」
「論より儲け」
という「奴隷根性」を基礎とする「忖度人権」であることを指摘してきた。
「部落解放同盟」(「解放同盟」)による教育史上未曾有の教師に対する集団暴力事件である八鹿高校事件は報道しなかったし、麻生太郎元総理による野中広務氏に対する部落差別発言は黙殺した。さらに、元大阪市長橋下徹氏に対する『週刊朝日』による差別記事の真相を未解明のままに放置している。権威と権力への忖度、暴力への無力さが日本のマスメディアの基層なのだ。
このようなマスメディアが水平社創立100周年を期して、一斉に「解放同盟」を水平社の後継団体と持ち上げ、ともに「包括的差別禁止法」を作れと大合唱しているから噴飯ものではないか。
小説『君たちはどう生きるか』の主人公のコぺル君は、いじめにあう友人を助ける勇気がなかったことを深く悩み、病気になり寝込んだ。マスメディアに問いたい、「君たちはどう生きるのか」。
※関連記事・2022年06月20日・「水平社創立100周年記念報道を検証しました-私たちの夢は150周年、200周年は静かに迎えることだ」
※関連記事・2012年12月06日・「『週刊朝日』橋下徹大阪市長連載記事に対する意見書その2」

山本有三は日本国憲法をひらがな書き口語文にしたすごい人だ
1887(明治20)年、栃木市に生まれた。大正期半ばに劇作家として出発し、「坂崎出羽守」「同志の人々」などで有名作家となる。大正末期には小説の世界に進出し、「波」「女の一生」や国民的作品の「路傍の石」を執筆するとともに、日中戦争のはじまる年にコぺル君の登場する「君たちはどう生きるか」など、子ども向けの小説「日本少国民文庫」(全16巻)の編集、出版をした。
戦後は参議院議員としても活躍し、主に国語教科書の編集に携わった。山本の思想を示すエピソードで有名なのは、当初、日本国憲法がカタカナ書きの文語体であったのをひらがな書き口語文に変えるように政府に働きかけ、変えさせたことである。
生涯、国民の側に立ち、自由と民主主義を愛した人物である。
1887(明治20)年、栃木市に生まれた。大正期半ばに劇作家として出発し、「坂崎出羽守」「同志の人々」などで有名作家となる。大正末期には小説の世界に進出し、「波」「女の一生」や国民的作品の「路傍の石」を執筆するとともに、日中戦争のはじまる年にコぺル君の登場する「君たちはどう生きるか」など、子ども向けの小説「日本少国民文庫」(全16巻)の編集、出版をした。
戦後は参議院議員としても活躍し、主に国語教科書の編集に携わった。山本の思想を示すエピソードで有名なのは、当初、日本国憲法がカタカナ書きの文語体であったのをひらがな書き口語文に変えるように政府に働きかけ、変えさせたことである。
生涯、国民の側に立ち、自由と民主主義を愛した人物である。
1、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』の「異界」
宮崎駿監督が制作した最新アニメーション映画『君たちはどう生きるか』は難解であると言われているが、昔から宮崎監督の創造する「異界」が、好きなのでいつものように観に行った。
映画は以下の内容である。太平洋戦争末期、米軍の空襲の炎で焼死した母親に対する強い思慕を持つ主人公眞人(まひと)が、東京を離れて大富豪の屋敷に疎開する。疎開先で一緒に暮らすことになる亡き母の妹・夏子。夏子は父親の妻となり、すでに子どもを宿している。
亡き実母への思慕と新しい母親への複雑な感情を抱える眞人に関わろうとするアオサギ。アオサギは昔、本を読みすぎて姿を消してしまった青鷺屋敷の主・大叔父が建設した尖塔のある洋館に住み着いている。ある日、身重の夏子が森に入っていく姿を見る。その後、夏子は行方不明となったと騒がれる。眞人は老婆の一人と森に入り異界へと引きずり込まれる。
その「異界」は死と生の同化した場であり、「ワラワラ」という風船のような白い生命体が、天上に舞い上がることにより、地上において新しい生命として生まれるという。その「ワラワラ」が天上に上るとき、無数のペリカンが「ワラワラ」を襲い消滅させようとする。このペリカンは新しい生命の敵対者なのである。
眞人は夏子をさがすためにインコが支配する世界へ入り込むが、インコ軍団につかまる。そこで火をつかさどる少女・ヒミに助けられる。このヒミは眞人の実母の若き姿であった。そして、「異界」をつかさどる大叔父と出会い、「異界」の秩序と調和をつかさどる使徒の跡継ぎをすることを依頼されるが、「愚かな現実世界のほうがいい」と夏子を連れて元の世界に戻るというストーリーだ。

「異界物語」の傑作-大江山の鬼退治の紹介
『大江山絵巻(絵詞)』(—逸翁美術館所蔵)
『大江山絵詞』(大江山絵巻)によるあらすじは次のとおりである。
一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った。安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業とわかった。
そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた。
『大江山絵巻(絵詞)』(—逸翁美術館所蔵)
『大江山絵詞』(大江山絵巻)によるあらすじは次のとおりである。
一条天皇の時代、京の若者や姫君が次々と神隠しに遭った。安倍晴明に占わせたところ、大江山に住む鬼(酒呑童子)の仕業とわかった。
そこで帝は長徳元年(995年)に源頼光と藤原保昌らを征伐に向わせた。
※関連記事・2020年08月26日・「消えゆく『部落民』―心のゴースト⑧ ―京都『この世』『あの世』『異界』めぐりの旅―」
2、宮崎監督の「異界」の基層にある問いは戦争である
この映画の根源には戦争についての三つの問いかけがあると思われる。
一つは同名の小説『君たちはどう生きるか』という「吉野源三郎の作品からタイトルを借りた。」(映画パンフレットより)とあるように、戦争に向かう国家の中で、少年たちへの「どう生きるか」という「ギリギリ」の問いかけである。
二つ目は映画の最初の部分で疎開途中の眞人が出会う三式中戦車(チヌ車)隊の行軍である。これは単に戦時下のドサクサを表現しているわけではない。終戦直前に戦車連隊の戦車長をしていた国民的作家司馬遼太郎生誕100周年へのオマージュであると考えられる。これは戦争体験者からの問いかけである。
物語はこの二つの「問い」を基層にして、宮崎監督の三つ目の「問い」が加わる。それは米軍の空襲による母親の焼死に打ちのめされ傷ついている眞人の前に、腹の中にすでに新しい命を宿す新しい母親が現れることで、真の家族愛と少年から大人への成長の意味を問いかける。
宮崎監督はそれらのエレメントを、ケーキのミルフィーユ(仏語・千の葉)のように、幾重にも重ねている。観客がそのミルフィーユを口に入れると、その味は舌から脳に衝撃を与え、脳内で七色の粒子に粉砕され、多種・多彩な色彩をまとう景色や摩訶不思議な生物たちに再構成され「異界」となる。観客はなすすべなく、その中に耽溺させられ、無心となり物語に同化させられる。そして、それぞれの人生に合わせて戦争に直面した時、「君たちはどう生きるか」が問いかけられるのだ。
タモリさんの語った「新しい戦前のはじまり」と重なる。

京都・晴明神社―「異界物語」の主役安倍晴明
都で起こる怪現象の原因を突き止めたのは陰陽師の安倍晴明であった。ここで注目すべきは政治と呪術が緊密に結びついていることである。
古代においては原因不明な病気その他の人間と社会に災いをもたらすものを「鬼」と表現し、陰陽師はその害を祓う儀式や祈祷を行ったのである。そのスーパースターが安倍晴明であった。
この座像は京都市上京区の晴明神社にある。境内には復元された一条戻り橋があり、その脇に愛嬌のある式神(晴明の手下の鬼)がいるが、アニメのキャラクターのようにとても可愛い。
都で起こる怪現象の原因を突き止めたのは陰陽師の安倍晴明であった。ここで注目すべきは政治と呪術が緊密に結びついていることである。
古代においては原因不明な病気その他の人間と社会に災いをもたらすものを「鬼」と表現し、陰陽師はその害を祓う儀式や祈祷を行ったのである。そのスーパースターが安倍晴明であった。
この座像は京都市上京区の晴明神社にある。境内には復元された一条戻り橋があり、その脇に愛嬌のある式神(晴明の手下の鬼)がいるが、アニメのキャラクターのようにとても可愛い。
3、問いかけ1-山本有三と吉野源三郎の「ギリギリの抵抗」
「君たちはどう生きるか」は作家・山本有三が中心となって編集した「日本少国民文庫」(全16巻)の一冊として出版された。この文庫の初刊は日中戦争(支那事変)がはじまった1937(昭和12)年であり、日本国民全体が戦争に熱狂していく時代であった。後世、山本有三の自由主義者としての「ギリギリの抵抗」だといわれている。
著者の吉野源三郎は社会主義運動に参加し、1931年(昭和6)年に治安維持法事件で逮捕され、懲役2年執行猶予4年の有罪判決を受けた。山本は吉野の身元引き受け人であったことから、吉野を「日本少国民文庫」編集主任に就任させ、『君たちはどう生きるか』を執筆させたのである。
旧制中学二年(15歳)の主人公であるコペル君こと本田潤一の家庭は父親は亡くなるまで銀行の重役で、家には女中とばあやがいる。友人たちの家庭も実業家や陸軍の幹部などで、当時の庶民とは一線を画すような裕福な家庭環境にある。貧困な友人とされる豆腐屋さんの息子もいるが、職人を雇い商売しているから本当の意味で貧困と言えるかどうかわからない。
コペル君はこの友人たちと学校生活を送るなかで、自分と社会の関係性、労働や貧困の本質、コペルニクスの「天動説」から学ぶ真理に対する強い信念を持つことの大切さ、ナポレオンの英雄としての資質を称賛しながらも、戦争の持つ悲劇性などを学ぶ。さらに、学校で、友人がいじめに遭っているのに勇気をもって止められなかった精神的弱さを深く反省し、真の友情の大切さを学ぶという物語である。
これらひとつひとつの物語を深める手法として、コペル君から話を聞いた叔父さんが一話ごとにコペル君に書いた助言(感想)により、「ものの見方」や社会の「構造」、「関係性」といった哲学や社会科学的な見解が加えられ、より深い人間の本質に迫る。
最後にコペル君は叔父への返答として、ノートに「自分の将来の生き方」について決意を書き綴り、語り手が読者に対して「君たちは、どう生きるか」とたずねて、この小説は終わる。
この小説が出版された4年後の1941年には太平洋戦争がはじまり、1945年まで続く。この歴史に沿ってコぺル君たちの人生を予測すると、コぺル君たちは大学には入り、学徒動員で招集されることになる。そして、司馬遼太郎のように戦地に派遣されることになったはずである。
新しい戦前のはじまりを阻止できる「ギリギリの抵抗地点」で、この物語は出版されていたのだ。

山に住む老人 -鬼は神仏の敵であった
源頼光一行は、酒呑童子一味に気づかれぬように山伏姿に変装して大江山に入る。
頼光たちは山道に迷い、霧に包まれ困っている時に、山に住むという三人の老人たちと会い、道案内をしてもらい、鬼の棲みかの見える場所に来ると、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)という人間が飲めば百人力となり、鬼が飲めば体がしびれるという酒をあたえられる。
源頼光一行は、酒呑童子一味に気づかれぬように山伏姿に変装して大江山に入る。
頼光たちは山道に迷い、霧に包まれ困っている時に、山に住むという三人の老人たちと会い、道案内をしてもらい、鬼の棲みかの見える場所に来ると、神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)という人間が飲めば百人力となり、鬼が飲めば体がしびれるという酒をあたえられる。

鬼は朝夕血肉を食らう異人
頼光一行が谷川に出ると、そこには都からさらわれてきた夫人がなきながら洗濯をしていた。事情を聞くと、「私は都からさらわれてきた。朝夕血肉をくわされ、この世の生活とはおもわれない毎日を送っている。さらに鬼たちは得体のしれない言葉をあやつっている」というのである。
鬼は肉食し、都の人間にはわからない言葉を使うというのである。まさに異人なのである。
平安時代は仏教により、肉食は禁じられていた。そして、異人は敵視し、排除してもかまわない存在なのであった。
頼光一行が谷川に出ると、そこには都からさらわれてきた夫人がなきながら洗濯をしていた。事情を聞くと、「私は都からさらわれてきた。朝夕血肉をくわされ、この世の生活とはおもわれない毎日を送っている。さらに鬼たちは得体のしれない言葉をあやつっている」というのである。
鬼は肉食し、都の人間にはわからない言葉を使うというのである。まさに異人なのである。
平安時代は仏教により、肉食は禁じられていた。そして、異人は敵視し、排除してもかまわない存在なのであった。
4、問いかけ2-宮崎監督と司馬遼太郎の戦争
宮崎監督は司馬さんと何度か対談している。『時代の風韻』(朝日文庫)では、二人は第2次大戦の敗戦について語り合っている。
宮崎監督は「私は敗戦の時、四歳でしたが、八月十五日でほんとに自分たちの前で全部プッツンと切れたという感じが、実感としてあるのです。この歴史感覚のブラックホールから、なかなか抜け出せずにいるのですが.....。」
司馬さんは「私はその年の早春に、所属していた戦車連隊ぐるみで満州から帰ってきて、敵の本土上陸にそなえるために関東地方にいました。(中略)八月十五日はホッとしましたよ。これが第一に思ったことです。さらに付け加え、「二つ目になんでこんな馬鹿な国に生まれたんだろう、ということでした。指導者がおろかだったというのは、二十二歳でもわかっていました。しかし、昔の日本は違ったろうと思ったんです」と語り、日本とは何か?を物書きとして探求してきたことを語っている。
これに対して、宮崎監督は「私は敗戦後、学校とNHKのラジオで、日本は四等国でじつに愚かな国であったという話ばかり聞きました。実際、中国人を殺したと自慢話をする人もいましたし、ほんとうにダメな国に生まれたと感じていたので、農村の風景を見ますと、農家のかやぶきの下は、人身売買と迷信と家父長制と、そのほかありとあらゆる非人間的な行為が行われる闇の世界だというふうに思いました。」と、日本という国に対する精神的な落胆から回復するために長い時間がかかったことを語る。
終戦の年、宮崎監督は四歳、司馬さんは二十二歳であったが、両者は敗戦という事実を目前にして日本とは何か?という問題意識に目覚め、司馬さんは歴史小説の世界で独自の解明を行い、宮崎監督はアニメーションという手法で探求していく。
その後、この二人は『日本人への遺言-日本人、そして世界はどこへゆくか』(朝日文庫)でも対談している。司馬さんは大変な宮崎監督ファンらしく、「宮崎さんの作品は本当によく見ているんですが(笑い)、『となりのトトロ』では、親玉のようなトトロと小さなトトロが出てきて、どれも形がいいですね。親玉トトロのおなかのふわふわしたところとかね。ああいう生き物としてのぬめりのような表情が、芸術の本質だと思っています。」と、宮崎アニメの魅力を語る。それに対して、宮崎監督は「みんな妄想なんです。ぼくの妄想以外何ものでもないんです。昔から、元気な森の中には恐ろしい物の怪がたくさんいるという妄想がありまして.....。じつは、いまとりかかっている映画にも物の怪が出てきます。森を切る人間と、それとたたかう神々の話で、神々は獣の形をして出てきます。」
この対談が行われた正確な日時はわからないが、この対談が『週刊朝日』で発表されたのは1996年1月5・12日号であるから、司馬さんが急逝するひと月前のことである。そのことは恐らく宮崎監督に大きな衝撃を与えたに違いないのである。
宮崎監督が司馬さんの「馬鹿な国」の「おろかな戦争」という遺言を、この映画にちりばめていることは間違いないようだ。

神様の加護を受けて鬼を討ち取る
頼光一行はこの夫人に教えられ、酒呑童子の棲む『鬼の岩屋』にたどりついた。怪しむ酒呑童子を美酒を所持していると欺き、酒宴を開かせ、神便鬼毒酒を酒呑童子に飲ませて酔いつぶれたところを襲い討ち取った。
これはだまし討ちだ。
倭建命(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)征討・東国征討を行った時以来の大和朝廷の常套手段である。
頼光はだまし討ちを教えてくれたあの三人の老人は八幡・熊野・住吉の神様と確信して感謝する。
頼光一行はこの夫人に教えられ、酒呑童子の棲む『鬼の岩屋』にたどりついた。怪しむ酒呑童子を美酒を所持していると欺き、酒宴を開かせ、神便鬼毒酒を酒呑童子に飲ませて酔いつぶれたところを襲い討ち取った。
これはだまし討ちだ。
倭建命(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)征討・東国征討を行った時以来の大和朝廷の常套手段である。
頼光はだまし討ちを教えてくれたあの三人の老人は八幡・熊野・住吉の神様と確信して感謝する。
※関連記事・2023年07月24日・「国民的作家司馬遼太郎と部落問題 生誕100周年―貴方への確認・糾弾は完全に誤りでした」
5、問いかけ3-「異界」が示唆した「どう生きるか」とは
宮崎監督は自分の作品を「自分の妄想」から生まれたというが、宮崎監督の「妄想」というのは精神医学上で言う、事実でないことを事実であると強く思いこみ、まわりの意見や情報が耳に入らない状態に陥ることではない。この種の妄想による事件は後を絶たない。「京都アニメ事件」の犯人は自分勝手な妄想により、憎悪の果てに放火し、多くの罪のない人間を殺した。裁判が始まる中、犯人の心理の根底に、恵まれなかった家庭環境からくる人間不信と格差社会から取り残される深い失望感などから生まれた「心の闇」が、筋違いの憎悪感情を「京都アニメ」に向けることで事件を引き起こしたことが明らかになってきた。
宮崎監督の「妄想」というのは「空想」のことである。空想は実際には経験していない事柄を推測すること、また現実には存在しない事柄を頭の中に思い描くことである。「空想」する人は現実世界ではありえない事に対して、強い憧れや興味をもっている。映画や小説でファンタジーの世界を描くためには「空想力」が必要なのである。
この「空想」が根差しているのは現実社会である。宮崎監督のアニメの世界は現実社会の変化を深く分析し、社会に生起している諸問題の本質を把握し、その課題と解決方向を「異界」を舞台にしたエンターテインメントに仕上げた芸術作品なのである。ゆえに内容は徹頭徹尾理性的で憎悪感情や差別感情が存在しない。
では宮崎監督の得意とする「異界」について深めてみよう。
「異界」とは、「われわれの世界」とは別の世界、未知の生物や魑魅魍魎・妖怪らが住む「かれらの世界」である。私たちは「われわれの社会」を築き、生きている。その社会には家族や友人、慣れ親しんだ習慣や習俗が存在し、秩序づけられた友好的な社会である。「異界」は「かれら」の住む社会であり、そこは危険に満ちた無秩序な世界であり、不安と恐怖につきまとわれる。つまり「われら」と「かれら」は分断されているので、時には激しく敵対する。
「われら」という自己中心的認識で様々な「異界」は長い歴史の中でカテゴリー化され、区分されてきた。例えば、霊魂が行くところは他界(来世)であるが、幽霊のいる場所である幽界とは区別されている。「異界」は水木しげるさんの功績もあってか、現在ではほぼ妖怪が住む世界を指すことになっているようだ。
本映画の「異界」は生と死が同化する世界である。そこで若き実母に出会い、実母とともにオウム軍団に囚われた義母を救い、現世に戻る。これは実母への思慕を記憶化し、義母を母親として受容していく少年の精神的成長過程をエンターテインメントに仕上げたのである。
眞人は物語の最後に、「異界」に残るように薦める大伯父に対して、「どんなに愚かでも、もとの世界のほうがいい」と言い放つ。この映画の三つの問いかけの答えはここにあるようだ。
宮崎監督が「君たちはどう生きるか」という映画に秘めたメッセージはどんな状況におかれても、「現実から逃げるな」ということなのだ。

日本の鬼の交流博物館(京都府福知山市)
日本人の創造した「異界」の主人公として最も有名な大江山の酒呑童子伝説を探るために、大江山山麓にある鬼伝説をテーマとする博物館を訪ねた。
博物館は大江山に残る伝説を、「町おこし」の起爆剤とするために1993(平成5)年4月に開館した。
中に入ると、日本の鬼だけでなく世界の鬼がわかるように文書や仮面、彫刻などが展示されている。
館内を廻ると、鬼という存在は、人間社会の不条理が生み出す苦しみや悲しみから生まれる怒りや怨念が生み出したキャラクターであることがわかる。
日本人の創造した「異界」の主人公として最も有名な大江山の酒呑童子伝説を探るために、大江山山麓にある鬼伝説をテーマとする博物館を訪ねた。
博物館は大江山に残る伝説を、「町おこし」の起爆剤とするために1993(平成5)年4月に開館した。
中に入ると、日本の鬼だけでなく世界の鬼がわかるように文書や仮面、彫刻などが展示されている。
館内を廻ると、鬼という存在は、人間社会の不条理が生み出す苦しみや悲しみから生まれる怒りや怨念が生み出したキャラクターであることがわかる。

日本の鬼の交流博物館―戦前の国定教科書
「大江山の鬼退治」は軍国主義教育に利用されていた
展示物の中に、戦前の小学校2年の教科書に「大江山」がある。
子どもたちは天子様(天皇)に背いた酒呑童子が天子様の命を受けた源頼光らに討たれる赤鬼の物語を学んでいたのである。
鬼は心の中に創られる。こどもは未知の世界に対する関心が強いが、恐怖感情を伴う。天皇絶対主義・軍国主義時代においては、鬼は「われら」の世界を侵略する「かれら」としてイメージ化され、頭に刷り込まれていたのである。
「鬼畜米英」
米英は「異界」の鬼であった。
「大江山の鬼退治」は軍国主義教育に利用されていた
展示物の中に、戦前の小学校2年の教科書に「大江山」がある。
子どもたちは天子様(天皇)に背いた酒呑童子が天子様の命を受けた源頼光らに討たれる赤鬼の物語を学んでいたのである。
鬼は心の中に創られる。こどもは未知の世界に対する関心が強いが、恐怖感情を伴う。天皇絶対主義・軍国主義時代においては、鬼は「われら」の世界を侵略する「かれら」としてイメージ化され、頭に刷り込まれていたのである。
「鬼畜米英」
米英は「異界」の鬼であった。
※関連記事・2019年10月10日・「私たちは人権社会を実現すると称して『憎悪の種』をまいてはいないかー京都アニメーションの事件現場を訪ねて」
6、「われら対、かれら」から考える「異界」
「異界」の観念は「領域」の観念と深く関わっている。お互いに「領域」が定められているから、「われらの世界」と「かれらの世界」となる。「領域」とは、「あるモノ」が領有している、もしくは勢力下に置いている地域という意味と、そのものの関係する範囲、対象とする範囲という意味がある。宮崎監督は『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』等で鮮やかにその世界を見せてくれる。
この「領域」という概念は人間社会の反映なのである。宮崎監督は「われら」の社会とは異なる外見や風俗習慣を持つ「かれら」を同等もしくはそれ以上の存在として描いた。しかし、人間社会では、「われら」の「領域」の外部から訪れる人は「異界」の住人、異人と呼ばれ、あまり歓迎すべき存在ではない。戦前においては童謡の「赤い靴」にあるように、外国人は「異人さん」と呼ばれていた。
さらに、外国人のみならず、封建社会において賤民といわれていた「部落民」や芸能民・山人なども、人為的につくられた身分という「領域」の中で、長い間、異人として認識されていたようである。実際に巷では「部落民」は夜になると蛇のように体が冷たくなるという伝承などもあったらしいから、人間を妖怪視することで差別を正当化する時代もあったようである。
身分制は「われら」と「かれら」の「領域」が固定化されなければ役に立たない。固定化するために「壁」が必要となる。「壁」となるのは人間と人間社会を分断する制度とイデオロギーである。現代社会は封建制度が崩壊し、イデオロギーは根拠を失っているはずだが、当然ながら習慣・習俗に残るイデオロギーが消滅するまでには時差が生じる。なぜなら、それらを「壁」と認識するには人間には高い人権認識が必要とされるからだ。

日本の鬼の交流博物館―山伏姿の源頼光たち
交流博物館への道路の脇に設置されている。頼光たちが酒呑童子の屋敷を探す場面であるが、像は針金で骨組を作り、うえからコンクリートで塑像し、色ペンキを塗ったものであるから、リアリティがなく、とても漫画チックである。
いまや鬼は妖怪アニメや漫画の敵役。それを退治するヒーローたちは厳めしい石像やブロンズ像よりも親しみやすいようだから、これでいいのだ。
交流博物館への道路の脇に設置されている。頼光たちが酒呑童子の屋敷を探す場面であるが、像は針金で骨組を作り、うえからコンクリートで塑像し、色ペンキを塗ったものであるから、リアリティがなく、とても漫画チックである。
いまや鬼は妖怪アニメや漫画の敵役。それを退治するヒーローたちは厳めしい石像やブロンズ像よりも親しみやすいようだから、これでいいのだ。
7、すすんで「異界」に入れ、君の眼前にある「壁」を壊せ
「領域」と「領域」との間には当然ながら「壁」が存在する。私たちはなぜ「壁」をつくるのだろうか?もし「壁」を造ることがなければ、人と人、家庭や学校、社会だけでなく、民族・国家における関係は、もっと暮らしやすく平和になるはずであるが、人間が「壁」を造る生物であったことは、進化の過程から考えると簡単なことなのだ。生物には生存と生殖という進化のためのプログラムが存在する。
もともと人間の生命は個別的であるから、「われ」と「かれ」からはじまり、有限な生命は厳しい生存競争を経て、集団を生み出す。その過程において「われら」と「かれら」という概念が成立したのである。 人間は生存するために直立歩行を獲得し、脳を発達させる条件を広げた。さらに、長い狩猟採取時代を経て言語と社会関係が相互に関連し合い、理性を司る大脳皮質を発達させた。特に言語は、人間の抽象的思考能力を発達させ、哲学、宗教や政治道徳などを生み出し、民族や国家を生み出す原動力となったのである。
もともと「われら」と「かれら」という概念は決して対立概念ではない。対立をつくる「壁」の本質は、厳しい生存競争のもとで、どちらかがどちらかに対して恐怖や憎悪から敵意を持つことによりそうなったのである。しかし、もはやこうした「壁」は時代遅れとなっている。
人類生存の危機である核戦争、「地球沸騰化」による異常気象、コロナウイルスによるパンデミックにみられるように、個人はもとより民族や国家を単位とする解決は不可能である。もはや、国家や体制、民族や人種の「壁」は無用なものになっている。こうした情勢のもとで、同じ民族内で旧身分という「妄想」にとらわれている極一部の人たちが支えようとする「部落」という「壁」は、何の意味も持たないことを強く認識すべきである。グローバルな情報社会にふさわしく「われら」と「かれら」に関する情報の交流、協力と連帯による「壁」の破壊が急務なのである。
映画の最後に壁が破壊され、領域が消滅していく場面は宮崎監督の未来へのメッセージのようである。

日本の鬼の交流博物館-酒を飲む呑鬼(のんき)
交流博物館の入口付近に設置されている青鬼、呑鬼という。
科学の進歩は、妖怪や鬼が存在していないことを完全に証明した。その代り、人間の空想力と想像力で妖怪や鬼は自由に組成されることになった。その結果、恐怖や強迫観念を与える妖怪や鬼は減少し、人間に近い、人間に愛される妖怪や鬼が激増してきた。
博物館の資料によれば、呑鬼の好物は大江町の特産「手長エビ」らしい。鬼も愛嬌があり、子どもに好かれなければならないようだ。
交流博物館の入口付近に設置されている青鬼、呑鬼という。
科学の進歩は、妖怪や鬼が存在していないことを完全に証明した。その代り、人間の空想力と想像力で妖怪や鬼は自由に組成されることになった。その結果、恐怖や強迫観念を与える妖怪や鬼は減少し、人間に近い、人間に愛される妖怪や鬼が激増してきた。
博物館の資料によれば、呑鬼の好物は大江町の特産「手長エビ」らしい。鬼も愛嬌があり、子どもに好かれなければならないようだ。
最後に―人権・同和教育や啓発で「異界」をつくらせるな
かつて「部落差別に比べれば他の人権侵害はたいしたことがない」という言葉をよく聞いた。その根拠は、部落差別が「もっとも深刻にして重大な社会問題である」(同和対策審議会答申・1965年8月11日)と位置づけられ、国民の間に定着させられてきたことである。
日本における人権問題の最高ランクは部落差別であった。「もっとも深刻」ゆえに早急に解決すべき課題として位置づけられ、政府、自治体、教育機関、教育団体によって、熱心に人権・同和教育や啓発が進められたことは承知のとおりだ。
「人権教育啓発法」では「部落差別」の解消が反映して、同和問題は「もっとも深刻」という位置づけではなくなった。しかし、多くの自治体では旧態依然として、「部落差別」を最重点とする「差別あるある」の人権・同和教育や啓発が続けられているために、差別の実態とは乖離した「空想的差別」が広がり、国民の中に新しい「部落」への関心と得体のしれない恐怖を生み出しているようである。
私たちはそこから異常な空想が生まれ、私たちの想像をこえる「異界」としての「部落」が創造され、部落問題が混乱していく事を危惧している。
「部落差別」の解決が最終段階に達し、「われら」と「かれら」の「壁」がほとんどなくなっている時代に、わざわざ行政や部落解放団体は「壁」を再建するような同和教育はやめようではないか。また、部落解放運動の存続を自己目的化した部落解放運動もやめようではないか。

「ジャニーズ帝国」の心の闇を問い詰めよ
いつの時代も、人間は、個人レベルであれ、集団レベルであれ、その内部と外部の双方に制御しえない「闇=異界」を抱え込んでいた。そのために、私たちの先祖は、こうした異界人や妖怪に脅かされれたり、それとたたかって退治・追放したり、同盟・協調関係をつくりあげるといった様々な物語を生み出し語り伝えることになったのである。
新しい鬼の物語が生まれようとしている。ジャニー喜多川の心の闇に潜む鬼は陰湿で残忍なものだったが、それを庇い続けた人々の心の闇はもっと深いはずだ。
この闇を照らすことなく、放置したらどうなるか?
誰がこの鬼を退治するのか。少なくとも今のマスメディアではないようだ。
●博物館前庭には日本一の大鬼瓦(高さ5 メートル、重さ10 トン)がある。
いつの時代も、人間は、個人レベルであれ、集団レベルであれ、その内部と外部の双方に制御しえない「闇=異界」を抱え込んでいた。そのために、私たちの先祖は、こうした異界人や妖怪に脅かされれたり、それとたたかって退治・追放したり、同盟・協調関係をつくりあげるといった様々な物語を生み出し語り伝えることになったのである。
新しい鬼の物語が生まれようとしている。ジャニー喜多川の心の闇に潜む鬼は陰湿で残忍なものだったが、それを庇い続けた人々の心の闇はもっと深いはずだ。
この闇を照らすことなく、放置したらどうなるか?
誰がこの鬼を退治するのか。少なくとも今のマスメディアではないようだ。
●博物館前庭には日本一の大鬼瓦(高さ5 メートル、重さ10 トン)がある。
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