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​​​ ​​「バリバラ」「かんさい熱視線」の部落問題特集には邪な意図があった NHKのめざす空想的部落差別社会

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​​​​「バリバラ」「かんさい熱視線」の
部落問題特集には
邪な意図があった​​​

​​​​​​​NHKのめざす空想的部落差別社会​​
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​ ​はじめに​

 NHKがやってくれました。
 昨年末に「バリバラ」と「かんさい熱視線」で、国民を「空想的部落差別」(以下「空想差別」)ともいうべき異次元の世界に迷いこませる「画期的」な番組を放送してくれました。
​ 「空想差別」というのは、「幽霊の正体みたり枯れ尾花」という諺にもありますように、部落差別の実体験もないのに、メディアやSNSの「情報」に過敏に反応し、「不安を感じる」「将来心配だ」という心理的要因が高じて部落差別の実態が現実に存在するかのように「空想」し、その不安や恐怖に怯えることです。​
​ この「空想差別」が発生する原因は国や自治体による同和教育・啓発、非科学的な部落解放運動理論、偏ったメディアの情報などで形成される認知バイアス(思いこみ、偏見)にあります。​
 今回のNHK放送を分析すると、この認知バイアスを巧みに操り、
①国民を「被差別者」と「差別者」に分断する。
②国民を「差別者」に仕立て上げる。
③「部落差別」を解決不能な課題にする。
 という社会進歩を無視した新しい国民分断を進めようとする悪質な意図が見えてきます。
 「まさか天下の公共放送がそんなことするはずがない!」という声が聞こえてきそうですが、番組内容を分析し、それが事実であることを証明させていただきます。


※空想―現実ではない虚構の世界をあれこれ思いめぐらすことであるが、空想には二つの異なる側面がある。その一つはまったく非現実的で「幻想」illusionとよばれるものに近く、他の側面はより現実的で「想像」imaginationとよばれるものに近い。幻想の意味で空想が取り上げられるときには、現実に満たすことのできない願望を空想活動によって満たすものと考えられる。この意味では、空想と願望は密接な関係をもっている。
(株式式会社平凡社・世界大百科事典)​




​​​ノラ猫軍団・みんなでテレビ観賞―なんで黒人タレントで「水平社宣言」なの?

「水平社宣言」が世界でも優れた「人権宣言」のひとつであることはまちがいがない。でも人気黒人タレントのひとが紋付袴姿で読み叫ぶ姿には違和感を感じたよ。
差別はいけないのは共通しているが、人種差別と民族内差別はちがう。そんなことは我々でもわかる。NHKさん、なんでも同じにすればいいもんではないよ。すれば混乱しかないのだ。仲間の一人は混乱してお手上げしたぞ。
黒人の皆さんには1963年に行われた人種差別撤廃を求めるデモ「ワシントン大行進」(参加者が20万人)で、キング牧師が行った演説「I Have a Dream(私には夢がある)」がある。​​





​1、NHKが拡散する「部落」に対する認知バイアス​​
 認知バイアスとは偏見、固執、先入観、偏った好みなどを指します。人間は同じ特徴を持つものをひとまとめにして概念(カテゴリー)化します。この機能がなければ世界を認識し、記憶し、言葉にすることはできません。人間はその概念を一般化し、固定化し、代表例(プロトタイプ・Prototype)を創ります。部落差別でいえば「部落はこわい」「『部落民』は結婚差別や就職差別を受ける」「『部落民』は同和対策を受けている」などが典型的な代表例です。 
​​ 当然ながら「部落民」などという民族は日本には存在しません。また、今日ではほとんど結婚、就職差別も発生していません。しかし、メディアはその事実については報道しません。反対に、誰が書いているかわからない「ネット差別」、稀に発生する差別事象を大々的に報道します。その方が世間の話題になり、新聞や雑誌が売れ、テレビの視聴率が上がるからです。さらに、そうした報道が繰り返し行われると、リハーサル効果により、国民の記憶の中に「部落差別」の定着が進み、実態からかけ離れた「部落」に対する認知バイアスが強化されることになるのです。​​
​ 今回の放送の中で結婚差別を乗り越え、あるいは差別を受けることなく祝福を受けて結婚した人たちは登場していましたか?今日では圧倒的に多数派なのですよ。​
​ こうした視点でNHKの前記の二つの番組を検証すると、「部落差別」を解消するために製作されたものではなく、国民の「部落」に対する​認知バイアス​を再生・強化することが目的であったことがわかります。​
 ではこの認知バイアス再生・強化の手法を「バリバラ」で検証したいと思います。

​●​「バリバラ」の手法①―「部落差別」の基本的性格を無視させる​​​

​​​​ 「バリバラ」は部落問題の特集番組の第1弾として、「BLACK IN BURAKU~アフリカンアメリカン、被差別部落をゆく」を前編(2020年2月6日)と後編(2020年2月13日)​に分けて放送し、第2弾として、「ブラクとの出会い方」前編(2020年12月10日)、「人の世に熱あれ」後編(2020年12月17日)が放送されました。念のために、いずれの番組も録画して数回にわたり見せていただきました。​​​​
 第1弾のテーマは「部落問題はタブー?アフリカ系アメリカ人の視点を借りて捉えなおす」というものでした。番組は今流行りのグローバルな視点で部落問題を考えるという斬新な企画。と思わせる構成でしたが、実際には黒人問題にほとんど触れることなく、やたらに「部落」という言葉を連発し、今日でも「部落差別」が日本社会に根深く存在しているかのような印象を視聴者に強く与えました。
 第2弾も人気黒人リポーターを登場させ、「部落」を「隠さず」にまちづくりをする大阪市民を登場させ、「部落差別」を解決することの大切さを訴えました。さらに、徳島の人形芸能と結婚差別を結び付けて、「部落差別」の悲劇性と「部落差別」の根深さを強調しました。
 ​黒人の皆さんに「部落差別」をリポートさせたのは何故か?​
 私たちはトランプ政権誕生以後表面化した、アメリカの黒人に対する暴力や構造的な人種差別をメディアを通じて知っています。特にブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)運動で報道された白人警官による無抵抗な黒人への暴力や殺害、人種による犯罪者に対する不平等な取り扱いについては、人権の先進国アメリカに対するイメージを変えました。
 私たちは黒人リポーターが取材し、報告する姿を見ると、心の中で黒人差別と「部落差別」を必然的に重ね合わせることになり、「部落差別」も黒人差別も同質であるという認識を持たされることになるのです。その結果、基本的性格も歴史的成立過程も違う差別問題が普遍化され、人間の本性に関わる解決不能な課題かのように誤解させてしまうのです。

​​※詳しくは本ブログ「2017年11月―橋下徹氏の有田芳生に対する批判から考える部落問題の理解度」をお読みください。​​​

​​●​「バリバラ」の手法②―定義のない「部落差別」​​

 私は「バリバラ」をよく見ています。それは障害者がありのままの姿で出演し、本音で語る番組なので、障害者問題に疎い私にとって新鮮で示唆をあたえてくれる番組です。だから司会者が少々うるさいのは慣れていましたが、今回については司会者とナレーションが、まるでバナナのたたき売りのように、「部落!部落!」を連呼し、「部落差別」の存在を強調しつづける進行にはいささか閉口させられました。
​ なぜ、これほど感情的になるのか? ​
​ それは「部落」とは何か?「部落差別」とは何か?という定義(本質)を説明することなく、番組が製作されているために、感情論が中心にならざるを得ないからです。司会者は科学的な解決方向が明確にされていないために、視聴者の感情に訴えるしかないために感情的にならざるをえないのです。こうした強い感情に触れると、視聴者は大阪府においては依然として集団的に差別を受け続けている「部落」があると感性的に受けとめ、同和教育(解放教育)・啓発を受けた時の記憶と同化させ、「『部落差別』は根強い」と認知バイアスを強化させます。その結果、同情する心理だけが強くなればいいが、反対に忌避の心理を強くする場合もあるのです。​
​ 一方で、「被差別者」からいえば、差別を続ける、あるいは差別を許している大阪府民が根強く存在するという認知バイアスを持つことになり、「部落」と市民の分断は深刻さを増すことになります。 ​
 NHKは「部落差別」とは何か?について本当に理解せずに番組を制作していたとしたら、受信料を収めている日本国民の悲劇ですね。もし、意識的に無視しているとすれば、​何か邪な意図を持って制作されたことになります。​
 
​​​​​​​​※詳しくは本ブログ「2018年1月29日・消えゆく『部落民』―心のゴースト③​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する​​​」をお読みください。​​​​​​​​







​●「バリバラ」の手法③―「被差別者」が「差別と感じれば」差別になる​

 番組が紹介した「部落差別」の実態といえば、「部落」に住んでいる案内者が語ったのは同和対策で住環境整備事業が行われる前の話しばかりでしたね。最近の差別については、「付近の人は駅のガードのどちらかに住むかによって妙に接し方を変えることがある」と話していることだけでした。そうNHKは、差別が現実に生起しているというエビデンス(evidence・証拠・根拠、証言)がなくても「被差別者」が「差別を感じる」ことも「差別」に含めているのです。
 「感じる」とは、感覚器官の刺激を通して情報を得て、痛み、屈辱などの感情を抱くことですから、「部落差別」は実態がなくても感情で創られることになるのです。「被差別者」の感情を大切にすることは大切ですが、「感じる」を差別にしてしまえば差別は差別の実態を立証することなく、個人の「感じ方」によって決まり、「被差別者」が「差別だ」といえば「差別」になってしまうのです。
​​ 思い出してください。かつての「確認・糾弾」が横行していた時代を。当時の「解放同盟」の幹部たちは「部落民」の差別に対する不安と怒りを「部落民以外は差別者」という分断の理論(敵意と憎悪感情)に転化させ、激情的な行動に駆り立て、教育史上未曾有の八鹿高校事件まで引き起こしたことを。​​
 驚くべきことにNHKは「被差別者」が「差別と感じる」ことを差別であるという認識を改めて正当化し、拡散したのです。その目的は何か?深く考えてみる必要があります。

​●「バリバラ」の手法④―「被差別者」は悲劇的な存在でなければならない​​

 第2弾の放送では徳島県の「部落」の人たちが担ってきたという木偶人形による門づけ芸、三番叟・箱回しという「阿波木偶まわし」の伝統芸を復活させてきた人たちを登場させ、その芸と芸人に対する、かつての差別の歴史をクローズアップし、伝統芸の、優れた芸が「部落」の人たちに育てられ守られてきたこと、一旦は中断したが復活させたという素晴らしい物語がメインとなっていました。
 しかし、この伝統芸の物語に人形芸に関係する部落の女性と一般の男性が結婚に反対されて、自殺した事件を重ねられ、家に木偶人形があれば差別されるから「川に人形を流した」という悲劇的な出来事が加えられ、「部落差別」の非人道性と文化まで奪うことの理不尽さを強調したのです。
​ 番組ではこの直後に、「部落をルーツにもつ若い女性」に「いつどのタイミングで、子どもに『部落出身者』であることを伝えるか悩んでいる。(差別に)耐性のないときに差別を」と悩みを語る姿を写します。「部落」の置かれている悲劇性が強く印象づけられます。​
 門づけ芸、三番叟・箱回しなどの芸の中断は、戦後の高度経済成長の中で衰退したのが真相。さらに、「木偶人形があれば部落」と思われるからというのは誠に不思議な理由です。当時は同和対策の最盛期、同和対策が行われているかどうかで「部落」であるかどうかは簡単にわかるはず。さらに、番組で紹介された自殺は1972年に起こったことで、もう48年も前のことです。その時代の「部落差別」をめぐる状況と長期にわたり同和対策を実施し、同和教育や啓発を続けてきた今の時代の状況が同じではないことは明白です。もし同じであったとしたら同和対策や同和教育、はたまた部落解放運動は何の役にも立っていないことになります。
 勿論、結婚差別による自殺は理不尽で憤怒に絶えない出来事であることはいうまでもありませんが、番組の構成は明らかに過去の悲劇を強烈に印象づけした後に、今の「部落民」に悲しい心情を発露させることで、現在もなお「部落」の情況は悲劇的である。もしくは悲劇的になるかもしれないという​恐怖感を煽っているのです。​

​​​​​​※詳しくは本ブログ「2019年10月10日・私たちは人権社会を実現すると称して『憎悪の種』をまいてはいないか―京都アニメーションの事件現場を訪ねて」を参照されたい。​
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​​2、NHK「かんさい熱視線―部落差別はいま~たつの市の実態調査から」​​

 「バリバラ」では「部落差別」についての定義なしに、「部落差別」の実態はなくても、「被差別者」が差別であると「感じたら」差別になるという「空想から差別へ」ともいうべき主張が強調されました。 
 そして、「かんさい熱視線―部落差別はいま~たつの市の実態調査から」(「かんさい熱視線」2020・12月4日)においては、「『実態調査』は科学的なもの」という国民の認知バイアスを利用し、たつの市の「実態調査」の結果に基づき「部落差別」を立証し、「部落差別解消推進法」に基づく人権条例の制定、実態調査の必要性を全国に向けて発信しました。
 ​ここにNHKの邪な意図があったようです。​

​①「部落差別」に関する「実態調査」や「市民意識調査」には何の価値もない​​

 率直に言えば「部落」に関する「対象地区住民生活実態調査」(「生活実態調査」)も「市民意識調査」についても何の価値もないと考えています。
 価値がないというのは以下の理由からです。

◯「部落差別」に関する調査の目的は格差を明確にするものです。その調査結果を基に行われた同和対策は、すでに国および多くの自治体で終結しており、いまさら「部落」と「一般」を区別して格差を明らかにする「対象地区住民生活実態調査」などは日本国憲法に規定される基本的人権を侵害するものであり、犯罪的ともいえる行為です。 
 また、ご大層に調査などしなくても「部落」に残されている課題は主に貧困問題であり、それらは国民共通の課題です。貧困は「部落差別」の要因であっても本質ではなく、貧困は資本主義のあくなき利潤追求に根源があり、「部落」「一般」を区分けした同和対策で解決できると考えるのは経済学や社会学の基本的知識のない同和依存者の妄想にすぎません。

​※詳しくは本ブログ「2020年11月30日・消えゆく『部落民』―心のゴースト⑨​​​​​​​​​貧困と部落差別の深い関係​―国民もだまされた『同対審答申』の魔術」を参照ください。​​​​​​​​​​


◯当然のことながら、国や自治体は「部落差別はなくなりましたが、あなたは差別はあると思いますか?」などという意識調査はやりません。「なくなりました」であれば調査は必要ないからです。意識調査をやるということは、国や自治体が「差別はある」と考えているからです。

 たつの市の調査は部落差別解消推進法の根拠となった「ネット差別」などを事例に、「部落差別がある」ことを前提に行われていますから、調査協力者は「ある」という認知バイアスを強制されることになります。特に同和教育や人権教育・啓発を受けた経験のある人たちは、協力依頼文と記入表を見て、記憶を刺激され「部落差別はある」と心理誘導されることになりますから、「ある」という回答は必然的に増えることになります。
 ​これは「オレオレ詐欺」の心理誘導の原理と同じなのです。​
 
※詳しくは本ブログ「2019年04月16日・部落に関する意識調査の原理は『オレオレ詐欺』に似ている」を参照してください。​

​②いいかげんなたつの市の「生活実態調査」​

 たつの市の「生活実態調査」の報告書内容については、前記の理由で調査はやらなくてもいいと考えているので読んでいません。また、わざわざ報告内容を読み解いて反論するつもありません。なぜなら、前提の間違った調査から真理は発見できないからです。
 しかし、この二つの番組の目的が人権条例を全国に広げ、実態調査や意識調査を行わせ同和対策の継続、あるいは復活をすすめようとする意図があまりにも露骨すぎることと、たつの市の調査があまりにもいい加減すぎるので、番組で報道されていた内容に基づきコメントさせていただくことにしました。

◯いい加減のひとつ目は、調査が7000人にアンケート用紙を配り、その3割しか回答を得てないことです。7割の市民は協力しなかったのです。こうした市民の圧倒的多数は「めんどくさい」「あほらしい」「いまさら」と考えているのでしょう。さらに、こうした市民意識の中には「いつまでやるんだ」という反発も当然ながら存在しているものと考えられます。
この結果から言えることは、たつの市の市民は長年にわたる「同和、同和」に飽き飽きしているために、たつの市の心理誘導が効かなくなっていることです。

◯いい加減のふたつ目は、設問の「部落問題が残っていると感じたことがあるか」です。「バリバラ」でも「感じる」という主観が差別となってしまっていますが、ここでもそうなっているのです。それに対して、3割の回答者のうち地区内58.4%、地区外49.3%が「ある」と答えているです。その結果に対してたつの市長は「部落差別はなかなかきびしい」と語っているのです。「感じる」が「差別」に魔法のようにすりかえられているのです。
 その他の回答では、「結婚について周囲の反対がある」「同和地区への居住の敬遠がある」などという回答が紹介されていましたが、その情報源は自らの体験ではなく伝聞によるもので、同和教育や同和啓発から得た情報がおもなもののようです。
 そこで、私たちは直接たつの市の人権推進課に、人権相談の実績について問い合わせをしました。担当者は「過去3年間で30件ほど、うち同和関連は3件、内容は同和地区かどうかの問い合わせ」ということでした。「同和地区」を問い合わせることがいいとは思いませんが、その背景には旧態依然とした同和教育・啓発の継続、人権条例の制定や実態調査が「部落」に対する関心を呼び起こしているということがあるかもしれません。いずれにしてもかつてのような結婚、就職差別事件などは発生していないということでした。

​​③「感じる」を「差別」にすり替えるNHKの目的​​

 インタビューに登場した皮革工場の一人は自身は結婚差別を受けていないが「周囲の友人が結婚差別を受ける姿を見てきた」と語り、匿名の3人の子どもをもつ母親は将来「子どもたちが何か言われないか」と不安を語りました。恐らくNHKは差別の実態を聞きだそうとしていたのでしょうが、差別は伝聞によるものばかり、子どもの将来への不安だけでした。それでも番組に登場したNHKの記者は「部落差別は潜在的に根強く残っていると感じた」と強弁したのです。
 「バリバラ」もたつの市での「部落差別」も「感じ」なのです。そうした脆弱な論拠を意識してか、「部落差別」の事例として、「誰がどこから発信しているかわからない」新型コロナウイルスの感染を「部落差別」に結びつける悪質なインターネットの書き込みを事例にあげたのです。
 誠にいいにくことですが敢えて言わせていただければ、そんな書き込みは医療従事者や感染者に対する膨大な誹謗中傷に比べれば大したものではありません。しかも、この書き込みの内容があまりにも時宜に適っているには驚かされました。同時に、かつての「差別落書き」が横行した時代に、部落解放関係者の「自作・自演」が多くあったことを思い出さざるえませんでした。
 以上のようにテレビで紹介された調査報告は実態的な差別を立証したものではなく、最初から「同和地区」と「一般地区」を区分けし、「被差別者」が「感じれば差別」という極めて「空想的差別」なのです。人権条例、実態調査、同和対策の必要性を強調するための虚構番組なのです。

​​​​※詳しくは本ブログ「2017年10月18日・消えゆく『部落民』―心のゴースト① 「『橋下徹は部落の鬼っ子』部落解放同盟委員長に聞く―から検討する​」を参照してください。​​​

​​※詳しくは本ブログ「2020年09月30日・あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか? 人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる」を参照してください。​​​






​3、NHKの二つの番組は「解放同盟」の理論と方針を拡散した​​

 
​ 最後にこのNHKの二つの番組が何故このような邪なものになったか解説したいと思います。​

​​◯邪な意図①―「部落」「部落民」を永久に固定化する​​

 「部落解放同盟」は「部落差別」が解消された状況を、「部落民」であっても差別されない社会であるという見解を持っています。「部落民」は固定化され、永遠に存在し続けるのです。「バリバラ」も「かんさい熱視線」も「部落」「部落民」という言葉を何のこだわりもなく使用していました。「部落解放同盟」と同じ認識に基づいて番組が制作されているからです。
 当然ながらこうした番組の趣旨を無批判に受け入れると、「部落」「部落民」は永遠に存在し続けることなりますから、「部落」「部落民」と「一般国民」の分断も永久に続くことになります。「部落差別」に不安な母親は子どもに「いつ部落出身」を伝えるか悩み続けることになるのです。
 賢明な皆さんはもうお分かりですね。「部落民」が成立する前提は「部落差別」です。「部落差別」がなくなれば「部落民」も存在しませんから、「部落民」として解放されることは絶対にありません。新型コロナウイルスが消滅すれば、患者がいなくなり、誹謗・中傷がなくなるのと同じなのです。
 「部落差別」の解消過程は「部落民」の消滅過程に比例するのです。そう両方ともほぼ同時に消滅するのです。これは簡単な事実です。
 
​○邪な意図②―「部落民」を異民族と誤解させる​​

​ マスメディアは第4の権力といわれていますね。その代表格であるNHKが放送の中で「部落」「部落民」を連呼させ、番組出演者の皆さんを「部落をルーツに持つ人たち」とまで紹介していました。まさに「部落差別」が民族差別であるかのような誤解を与える演出です。さらに、「バリバラ」では黒人タレントに「水平社宣言」を声高に読ませ、宣言の国際的価値を強調するように見せかけながら、「部落差別」が民族差別と同質であるかのような印象づけを行っていました。​
 「部落差別」は日本民族の内部の差別問題です。現代における部落差別は封建社会の身分イデオロギーの残滓から派生しているもので、人民の民主主義運動の発展と日本国憲法に基づく基本的人権を基調とする民主社会が成熟し、封建的な社会関係・身分イデオロギーが解消する中で、実態的にも観念的にも消滅していくものなのです。
 こうした科学的認識を半ば無視し、​日本民族内に「部落民」という「異民族」があたかも存在するかのように演出することは、国民の財産である電波を格安に利用し、視聴者から受信料を半ば強制的に徴収する公共放送であるNHKのやるべきことではないはず。​

​〇邪な意図③―人権条例と実態調査を全国に広げる​​

 「まさか天下の公共放送がそんなことするはずがない!」という疑問は解けましたか。
 そうなんです。NHKは「部落差別」の定義も、その解決の到達点も無視して、「解放同盟」の走狗となってしまっているのです。
 番組は部落差別解消推進法(附帯決議も含む)の趣旨を捻じ曲げ、人権条例を制定させ、実態調査を行わせ、同和対策を復活させるための基本計画の策定を後押しすることでした。実際に番組でも、たつの市が今回の調査をもとに「計画案」を策定するために審議会を開催し、検討することが紹介されていました。
 番組ではわざわざ担当記者が人権条例を制定した全国の自治体が89(2020年7月)あると紹介し、「実際には調査や対策に乗り出している自治体は限られている」と、人権条例や実態調査を実施しないことが問題かのように指摘し、「たつの市の取組みが注目されている」と強調するのです。
 結局、「バリバラ」と「かんさい熱視線」は不偏不党であるべき公共放送の使命を投げ捨てて、「解放同盟」の誤った理論を大々的に宣伝し、人権条例、実態調査、同和対策の維持および復活を進めるためのキャンペーンであったのです。

​​​​​​※詳しくは「2020年03月17日・ことわざで考える-部落差別の解消の推進に関する法律 「人権条例」は自治体の発行する「同和補助金の誓約書」」を参照してください。​​







 ​さいごに​​
 
 「本当の敵は味方のふりをして現れる」という諺があります。「部落差別」はいけないと、「被差別者」に寄り添うふりをして、「部落差別」の拡大に手を貸しているのがNHKなのです。
 悪いですね。
 悪いのはNHKに限ったことではありません。マスメディアにも認知バイアスが存在しています。「八鹿高校事件」が報道されなかったのはそのためです。一方で、マスメディアは国民の認知バイアスを利用して「洗脳」する能力があることをわすれてはいけません。戦前、天皇は「現人神」であり、そのもとで行われた戦争は「聖戦」であったのです。その「洗脳」の先頭で旗を振ったのはマスメディアだったのです。
 念のために、私たちはNHKの番組すべてが悪いとはおもっていません。NHKの受信料は滞納せずに払っていますし、払うことで放送の公共性と独立性を守るのが正しいと考えています。また、部落解放運動からいえば、「解放同盟」の御用新聞ともいえる『朝日新聞』も定期購読しています。
 今回のこの二つの部落問題特集は、権威の発する情報を疑い、勇気を持って自分の認識までを疑い、是正すべき時期に来ていることを強く感じさせる内容でした。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
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消えゆく「部落民」―心のゴースト⑨​​​​​​​​​貧困と部落差別の深い関係​ 国民もだまされた「同対審答申」の魔術

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​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑨
​​​​​​​​​貧困と部落差別の深い関係​

​国民もだまされた「同対審答申」の魔術​




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 謹賀新年 ​​​​​​​  におしえてもらう部落問題 ​​​​​​​​​
私たちのブログの発信者はノラ猫軍団だ。
なぜ、生物の進化の頂点に立つホモ・サピエンス様に「部落差別はいけない」などと、ノラ猫に説教させるのかって?
人間ならば「人間が人間を差別してはいけない」という簡単な真理は理解できるはず。さらに、封建社会に生まれた「部落差別」の思想は現代においては「残りカス」だ。それを残し続けることは社会発展にとって弊害となるのだ。
しかし、その「部落差別」を少数だがもてあそぶ人たちが存在し、それを取り上げ、「部落差別」の本質や解決方法を知らないくせに、知ったかぶりして、大げさにバズらせようとする運動団体や報道機関が未だに存在していることが不思議だからだ。
そこで私たちは人間が説得してもだめなこうした人たちの説得は猫たちにお願いしようと丸投げしたのだ。
このノラ猫軍団、人間ではないだけに人間の本質から「部落差別」を科学的にとらえていて面白いと大好評だ。
今年もがんばってもらおう。​​​​​
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はじめに
 
​ ネット上では「部落」​(かつて部落差別の対象にされた地域)​が今なお貧困な状態に置かれているというイメージが意識的に創られているようですね。その例がネット上に羅列されている「部落」といわれる画像です。それらはほとんどが劣悪な住環境におかれていた過去のものであり、大きく変化している現在の「部落」の姿ではありません。依然として部落差別=貧困というイメージは振りまかれているのです。​
 これは国民の耳目を集め、部落問題に関心を持たせ同和対策の必要性を理解させるために大量に振りまかれた旧い情報が更新されず残存しているか、部落差別の実態を誤認させる目的で意識的に発信しているかのどちらかでしょう。
 「部落解放同盟」(同和派)と一部自治体はこのイメージに乗っかかり、「部落差別解消推進法」の目的を都合よく解釈し、人権条例を制定し、人権意識調査だけでなく生活実態調査まで行わせ、「部落」の貧困問題を解決するという名目で「部落」同和対策の継続、あるいは復活をしようとしているのです。
 あくなき経済成長の追求は環境破壊をすすめ、多発する気候変動による災害の多発は確実に人類の生存を脅かし、新型コロナによるパンデミックは国民の貧困を深刻化させつつあります。こんな中で、「部落」だけが「同和対策で貧困を解決する」などといえば国民のヒンシュクと怒りをかい孤立することは明白です。
 大げさにいえば人類が危機に直面する中、「部落差別」などという脳の染みにとらわれ、特別対策で貧困を解決するなどという思想に意味があるかどうか、明確に答えを出すべき段階にきているのではないでしょうか。
 今回はあまり議論されてこなかった部落差別と貧困の相互関係について問題提起させていただきますので、ぜひご一緒にお考えください。


​◯いったいあとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか。経済成長を目指して、「痛みを伴う」構造改革や量的緩和を行いながら、労働配分率は低下し、格差は拡大しつづけているではないか。そして、経済成長はいつまで自然を犠牲にしつづけるのだろうか。​
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書) ​








​​​はじまりは天平時代​ 

信楽焼は滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、狸の焼き物が有名ですが、天平時代に生まれたと言われる日本六古窯の1つで、とても歴史は古いのだ。

はじまりは聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われ、信楽の外れに遺跡がある。
信楽焼きの特徴は特有の土味を発揮して、温かみのある火色(緋色)の発色と、自然釉による景色が人気である。国内だけでなく世界的にも高い評価を受けているらしい。
そういえばNHKの朝ドラ「スカーレット」では火鉢が製作されていたね。​​

​​1、「同対審答申」の貧困規定は誤りだった​​

 同和対策という歴史的事業は1965(昭和40)年8月に出された『同和対策審議会答申』(「同対審答申」)によってはじまりました。この時期は日本の高度経済成長期にあたり、経済学者アダムスミスが描いたように経済成長により生みだされた富は最下層の人々にも及ぶという成長賛美の時代の産物でもありました。
​​ 「同対審答申」は貧困を「同和地区における人口、住宅の過密性、道路、上下水道、居住形式など物的環境の荒廃状況はきわめて顕著である。それらは、職業選択の制限されていること、通婚圏の狭いこととは無関係ではない。(中略)そこには『差別』が原因となって、『貧困』が同居している。同和地区がしばしば一般低所得地区と同一視されることがあるが、それは必ずしも正しい認識ではない」(2・同和問題の概観・同和問題の理解)と、「部落」における「貧困」の原因は「部落差別」であり、一般の貧困とは区別されると規定しました。​​
 どのような審議を経てこのような規定になったかについては紙数の都合で書けませんが、この規定には以下の誤りが内包されていました。
①「部落」の貧困の要因のひとつに部落差別があることは事実ですが、根本原因は資本主義の利潤を増やすための経済成長にあることを無視したことです。そのことは今日、部落差別が大きく解消してきているにもかかわらず貧困がますます深刻化している現状を見ればわかります。
②貧困を「部落」と「一般低所得地区」とに対立化させたことにより、「部落」を特別な貧困地区として位置づけ、部落の貧困を特殊化しました。一方で、国民の貧困を解決をするために優先すべき一般行政水準の引き上げを先送りにしました。
​③「部落」の貧困の根本原因を部落差別としたことにより、部落差別と貧困を同時的解決することが国や自治体の責任となったことです。実際にも、「同対審答申」に基づいて制定された同和対策事業特別措置法(1969年)では、部落差別の解消は国および自治体、国民の責務であることを明記しているのです。​
 こうした誤りは、「部落住民」に貧困の根本原因は部落差別であること、それを解決する責任は国および自治体、そして、差別者である国民にあるという認識を持たせる結果となったのです。
 この認識は、それまでの「部落住民」の一部にあった憎悪感情と結合し、「部落」に対する特別対策は行政や一般国民による積年にわたる差別の代償であるという「部落差別代償論」などという「心のゴースト」まで生み出したのです。


​〇どの個人もできるだけ自分の資本を国内の労働を支えることに用いるように努めその生産物が最大の価値をもつように労働を方向づけることにも努めるのであるから、必然的に社会の年間収入をできるだけ大きくしようと努めることになる。確かに個人は、一般に公共の利益を推進しようと意図していないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。(中略)個人は多くの場合にも、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。                   ​​​​​
​​(アダムスミス『国富論』四編二章)​​



​​

​​たぬきの置物信仰​​ 

はじめて造られてからわずか85年。その間に、この狸には相当多くの御利益という付加価値がつけられた。
笠・目・口元・お腹・お酒・大福帳・しっぽ・金袋の計8箇所には、それぞれ意味がつけられ、それぞれが福を呼んでくれそうだ。
例えば狸の笠は思いがけない災難や悪事から笠がまもってくれるそうでだ。酒を入れるとっくりは漢字では「徳利」と書くので商売繁盛につながるというのである。
「ほんまかいな?」ではあるが、狸の顔を見ると嘘でもうれしくなるから不思議だ。​​​



2、「同対審答申」が創りだした分断の思想

​ 
「同対審答申」の時代においても、「部落」は単一の階級ではなく、少ないとはいえ資本家もいれば、労働者も商売人もいました。さらに、高度経済成長期でもあったため、混住や一般地区との婚姻も進み、ゆっくりした足取りではありましたが、「同対審答申」の規定するような単一の身分の集住地ではなくなりつつあったのです。そうした流れを食い止める形で、一般の貧困と「部落」の貧困は区別されたのです。
 その結果、「部落」は新しい思想を強制されることになりました。その思想とは「同対審答申思想」ともいうべき分断の思想でした。
​①「同対審答申」とその後の同和対策は同和対策に対応するための新しい共同意識を生み出した。​
 高度経済成長の中で、「部落」は急激な階層分化が起こり、都市においては転入と転出が急激に進み、身分的紐帯に基づく共同意識が衰退しつつありました。同和対策はそれを押しとどめる役割を果たしただけでなく、同和対策推進とそれに依存する新しい共同意識を生みだしたのです。それが証拠に、同和対策が終結した「部落」では部落解放団体だけでなく、自治会をはじめ住民団体は急速に衰退しているのです。
​②「部落」の貧困の根本原因が部落差別とされたため敵は差別者のみになってしまった。​
 その結果、「部落民以外は差別者だ!」という被害者感情を煽る理論が貧困者の心をとらえ、過激な確認・糾弾行為を横行させただけでなく、「部落差別代償論」の要因となったのです。
​③行きすぎた貧困対策は逆差別を生み出した。​
 貧困を一日も早く解決するという大義名分のため、「部落住民」だけでなく、人権認識と民主的運動の未成熟な段階にあった部落解放運動までもが囲いこまれてしまったため、行き過ぎた同和対策、運動団体や運動系の研究団体への過度な補助金、市職員の選考採用などが全国的に行われ、国民的批判を受ける結果となったのです。


​◯往々にして、差別主義は被差別者の側にも起こりうるのです。差別主義は、現実の、または架空の差異を普遍化しまして、それを価値づけし、これを他への攻撃や他とは違う自己の特権のために利用する時に起こるものです。​
​(榊利夫『国民的融合論の展開』大月書店)​​
 





​​​たぬきは平和的で家族的​​

狸はオスとメスの番(つがい)で子育てし、家族をつくる。雑食性のため食料を確保するのにあまり困らず、人間の近くにいても人間の生活領域には入らず平和的に暮らしてきた。

しかし、高速道路で「たぬき飛び出し注意」という標識を見つけることがある。また、都会でも森や緑地の多い場所では交通事故で死ぬ狸が多いらしく、狸を危機にさらしているようだ。
長編映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(高畑勲監督・スタジオジブリ作品)は住処を人間の乱開発で失う狸たちが人間に対し抵抗を試みる様子が描かれている。
狸が住めなくなるということは自然はがなくなり、やがて人間が破滅的な気候変動を迎えるということだから、おあいこだ。​​



3、貧困の定義と「部落」の状態
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 まず貧困について考えてみましょう。貧困は簡単に言えば低所得で生活水準が低いことを指します。さらに、貧困の定義は相対的貧困と絶対的貧困に分けられています。
 相対的貧困は、主に先進国における貧困といわれ、その国の中で特に所得が低く、平均的な生活がおくれない状態のことを指し、テレビやクーラー、車などを所有し、肥満で成人病になって医療を受けていても、その国の平均以下の所得であれば貧困であるとされるのです。日本では一般的には生活保護が貧困のボーダーラインとして認識されているようですが、生活保護以下の低年金、非正規労働者の低所得などが大きな問題になっており、曖昧な状況となっています。
 絶対的貧困とは、開発途上国のように飢餓に苦しみ、充分な医療を受けることができない人たちのように日常的に人間として最低限の生存を維持することが困難な状態を指します。
 かつて都市における「部落」は「植民地以下の劣悪な住環境および生活状況」とさえ言われるほど、歴然と、一般地区との生活および住環境に格差が存在していたので絶対的貧困の範疇にありました。しかし、日本国憲法に基づく基本的人権意識の定着が進み、「部落」に対する差別が急速に解消に進んだこと、同和対策による特別対策(特に大量の公営住宅の建設)と「部落住民」の自立的努力が相互作用し、「部落」の住環境、教育、就労状況は大きく改善されてきたため、今日では「部落」は絶対的貧困から脱しており、「同対審答申」の指摘したような画一的な貧困状態にもありません。もはや部落差別による貧困という「同対審答申」規定は破棄すべき段階に来ているのです。
​ いまや「部落」は同和対策という外被を自ら脱ぎ捨て、資本主義の生み出す貧困という鬼と「全集中」でたたかわなければならないのです。​


​​〇資本は、死んだ労働であって、吸血鬼のようにただ生きている労働を吸収することによってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである。労働者が労働する時間は、資本家が自分の買った労働力を消費する時間である。
(マルクス『資本論』第一巻第三篇第8章・労働日・あゆみ出版)
 




​​​​​​​​​​​​​​​日本史上に残る2匹の悪だぬき​​​​​​​​​​​​​​

「森友・加計問題」では政府の公文書を改ざん・焼却、国会では関与を否定し続けたが、とうとう尻尾をあらわした。
安倍晋三前首相が主催した「桜を見る会」を巡り、前夜に開かれた夕食会で有権者に飲食代を提供したとして、公選法違反(寄付行為)と政治資金規正法違反の疑いで、東京地検特捜部が前首相の秘書や地元支援者を任意で事情聴取していたことが明るみになった。
早速、安倍さんは首相在任中は「事務所の収入や支出は一切ない。会費はホテル側が設定した」などと強く疑惑を否定していたのに、「事務所、第一秘書のやったこと。私は知らなかった」などと嘘をつく。
「あの時、秘書に確かめんと答弁したんかい!」。菅義偉首相も「安倍さんから聞いたことを答弁しただけ」などと、責任逃れに終始。
この2匹の悪大だぬきを国民はどうするんだろうか?​​​



​​4、部落差別は解消しても貧困は残る​​

 「同対審答申」は「部落」の貧困の原因は部落差別であるとしたのは、貧困の根本原因である資本主義を否定することができないという限界のためです。そのために、部落差別=貧困という世界に「部落」を囲い込み、特別対策を講じざるを得なかったのです。
 しかし、貧困は根本的に解決できなくても部落差別は解決できるのです。実際に社会問題としての部落差別は基本的に解消しています。 
 改めて説明すれば、部落差別の原因は封建的な身分制の残滓から派生するものであり、資本主義社会を成立・発展させようとすれば、封建的身分制度を廃止し、形式的であってもすべての人間の自由と平等を保障しなければなりません。
 第二次大戦後の日本は主権在民、基本的人権の保障を明記し、封建的な旧制度を解体させました。さらに、高度経済成長は日本社会の旧い家族制度や共同社会の習俗・慣習を急速に解体させ、民主主義的価値観を深化させ、部落差別の社会的存在理由を解消させたのです。
 貧困は根本的には資本主義の利潤追求にかかわる問題であり、資本主義が民主的に改革されるまで貧困は継続することになります。その間、貧困層は様々な要因によって形成されます。高い社会的地位や財産を所有する階層に生まれた人々は基本的に裕福となり、社会的地位や財産のない貧困な階層に生まれた人々は低所得となる場合が多いのです。それが貧困の連鎖なのです。
 貧困な階層に属する人々には裕福になれない様々な要因が存在しています。親が貧困であること、教育環境に恵まれなかったために学力や学歴がないこと、慢性病を抱えていたり、精神疾患や障害があることなど様々です。同じように部落差別はこれらの要因のひとつでした。歴史的成立過程、基本的性格は違う問題であっても、特別扱いすべきものでもはなかったのです。
 資本主義は利潤を追求するためには生産や販売に必要な能力以外に価値を認めませんから、個々の要因などは眼中にはありません。また、価値が無くなれば冷酷に廃棄します。さらに、デジタル社会の到来は人間労働をAI・ITに置き換えるものですから、出自が「貴族」であろうが「部落」であろうが関係なく、選ばれた少数の人間しか必要でなくなるのです。
 エンゲルスが175年前に指摘した「生殺与奪」の権利は依然として資本家の掌中にあるのです。


​◯ブルジョアジー(資本家階級)は、プロレタリア(労働者階級)に対して生殺与奪の権を持っている。ブルジョアジーはプロレタリアにその生活手段を提供するが、それは一つの「等価物」とひきかえに、すなわちプロレタリアの労働とのひきかえに提供するのである。そのうえブルジョアジーは、まるで労働者が自由意志で行動し、自由な、強制されない同意によって、成年に達した人間として自分を契約を結んでいるかのような外観をも、労働者にあたえるのだ。​
(エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態・競争』大月書店)





​​​​​コロナ禍の中で丑年をむかえる皆さん​​​

少し早いが、がまぐちを持った開運たぬき、忍者たぬき、おまけに幸運を招く招き猫までつけて、皆さんがコロナに感染せずに、幸せな来年を迎えていただくことを祈念させていただいた。
悪いたぬきが支配する日本にいると、つらいこともあるだろうが、いいたぬきがいることを信じて頑張っていこうぜ。​​

​5、貧困は世界の勤労者の力でしか解決できない​​

 最近、マルクス・エンゲルスが再評価されています。中でもベストセラーになっている斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読んでみました。この本の中で斎藤氏は「人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象とみなす。(中略)そして、そのような社会システムが、無限の経済成長を目指せば、地球環境が危機的状況に陥るのは、いわば当然の帰結なのである」と、資本主義のあくなき利潤追求が地球環境破壊をすすめ、異常気象、疫病などをもたらしていることを指摘しています。
​ さらに、「この惑星の少なからぬ部分が生態学的には手遅れの状態になっているだろう。資本主義が崩壊するよりも前に、地球が人類の住めない場所になっているわけだ」と、資本主義体制よりも人類が破滅に追い込まれるかもしれないと警告しているのです。​
 グローバル経済のもとで、正規雇用社員が減らされ非正規雇用社員が増加し続け、経済格差は大きく広がってきました。そうした中、新型コロナウイルスが世界経済を直撃し、急激な生産縮小が起こり、世界中で大量の雇い止めや解雇を生み出し、自殺者を急増させています。認めようと認めまいが​175年前のエンゲルスの指摘は厳然と生きているのです。​
 当然ながらこの書は中国や北朝鮮のような社会主義を標榜する独裁政権を容認する書ではなく、マルクスの学説を基礎に、資本主義による環境破壊から人類の破滅を阻止するために、脱成長と市民参加による協同の経済体制を実現するための提案を行っているのです。
 私たちは「同対審答申」が創りだした同和対策という分断の魔術から自ら目覚め、勤労者として資本の利潤追求から地球を守る共同の戦いに参加しなければならないようです。


​◯経済成長を追求すれば人々は豊かになると信じてきたが、人々が「豊かさ」と感じたのはスマートホンがもたらす大量の情報だったようだ。その結果、得たものは異常気象と新型コロナウイルスによるパンデミックだけであったかもしれない。
​​(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書)​​

国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」開設 松浦武四郎から考えるアイヌ民族

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​​国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」開設
松浦武四郎から考えるアイヌ民族






 はじめに
 私たちはアイヌ(人間)が好きです。
 アイヌの信仰ではこの世の生きとし生けるものは神と考える。神たちはそれぞれ本国があり、本国では人間と同じように家を建てて村を造り、生活しているというのである。その神たちが人間界に遊びに来るときに、仮装してクマとなり、鳥となり、鮭となるというのである。だからよいアイヌを選んで身を捧げ、再び神の世界に帰るというのです。
 西洋の宗教のように動植物を人間の従属物とは考えず、人間と対等と考え敬うゆえ、乱獲や破壊は生まれない。これは仏教における「足るを知る」にも共通します。さらに、国連のすすめるMDGs(Millennium Development Goals 「ミレニアム開発目標」)を実現するための理念にも通じているのです。こんな深い温かい信仰をもち、それとともに生きてきた民族が日本に存在することが誠に素直に嬉しいのです。
 だから好きなのです。
 「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(2019年・「アイヌ施策推進法」)が制定され、本年7月に国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」が開設されました。
 1899(明治32)年に『北海道旧土人保護法』が制定されてからほぼ100年を経て、日本の先住民族で日本国民であるアイヌの「誇り」が尊重される社会を実現するために、「ウポポイ」が設置された意味を深く考えなくてはなりません。
 それは日本国民が少数民族に対する理解を深め、共生社会を実現していくという法律的な建前ではなく、日本にはアイヌという素晴らしい歴史と文化を持った同胞の存在していることを認識し、そこから世界と日本を持続的発展の基礎となる思想と文化的恩恵を得られると考えられるからです。
 そこで今回は部落問題しかわからないのに人権の専門家面してしまう軽薄な自分たちへの戒めとして、日本の少数民族アイヌについて学習するはじめとして松浦武四郎記念館を訪ねました。







​​​​​​​​​​​​国立施設「ウポポイ(民族共生象徴空間)」の意味を考えよう​​​​​​​​​​

1899年に制定された「北海道旧土人保護法」は、1997年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及および啓発に関する法律」が制定され、アイヌを日本の法律の上で初めて民族として認め、アイヌの伝統的な文化を国と地方公共団体が保証し,振興していくものであると明記した。それとともに、アイヌを「土人」という侮蔑語で総称した「北海道旧土人保護法」は廃止された。​​その間ほぼ100年、アイヌは強制的に日本国民にされながら不当で屈辱的な扱いを受けてきたのである。​​

政府は法律を補充するために、2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」を制定し、「アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、及びその誇りが尊重される社会の実現を図り、もって全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」アイヌ施策の推進を決定した。​​






​​​菅義偉官房長官(当時)も参加して開業された国立施設「ウポポイ」​

アイヌの文化復興を担う白老町の国立施設「ウポポイ」が7月12日に開業された。前日に開催された開業記念式典には、菅義偉官房長官(当時)、鈴木知事ら政府や道内自治体、北海道アイヌ協会の関係者ら約160人が参加して盛大に行われました。

主催者あいさつで、菅氏は「ウポポイは貴重なアイヌ文化を復興、発展させるとともに、我が国が多様で豊かな文化の社会をつくるための拠点。政府としてもPR、魅力向上に努めたい」などと述べた。(読売新聞より)
「アイヌ文化」の本質もわからずに官僚の用意した文章を読んだのでは?という疑いも残りますが、今は菅さんを信じるべきだと思います。
「ウホポイ」に対しては批判意見もあるようですが、「万世一系の天皇に統率される単一民族」という非科学的な民族信仰を持つ国会議員の多い日本で、少数民族の存在を認め、「アイヌ文化を復興、発展させる」という政府代表の言葉は重く、歴史的です。
​​今回はこの重さの意味を考えてみたい。​


※アイヌは固有に日本列島にいた民族である。
かれらは縄文的な採集のくらしを、弥生時代になってからも、頑固に守りつづけたひとびとの後裔であることは、まぎれない。もっとも、太古以来、アイヌがいまのアイヌ文化(文様も含めて)を持ち続けてきたわけではなかった。いまのアイヌ文化がはじまるのは考古学的には意外なほどあたらしく、せいぜい13世紀かららしい。
(司馬遼太郎・『オホーツク街道・街道をゆく』)




​​​​​アイヌを愛した―松浦武四郎​

アイヌの歴史を知るうえで必ず知っておかねばならない人物がいます。その人はアイヌ民族と日本民族の最初の架け橋となった松浦武四郎です。
武四郎は文化15(1818)年、三重県松阪市小野江町にて生まれました。17歳で家を飛び出し26歳までは日本全国をめぐる旅をしました。28歳から41歳までの間に合計6回(内3回は私費)に及ぶ蝦夷地(北海道)の探査を行ったのです。
51歳の時明治維新においては政府開拓使で蝦夷地にかわる道名、北加伊道(のちの北海道)という名前を考案しました。また、国名、郡名とその境界の撰定にも関わり、北海道発展の出発点を築くとともに、​国際的に権利概念が確立していない当時にアイヌを先住民として尊敬していたのです。
晩年68歳からは大台ケ原の探査を70歳までに3回、また70歳には富士山へも登っています。
その生涯は冒険家であり、旅の中で生き抜いた人生でした。作家の司馬遼太郎は次のように武四郎を評価している。
「江戸末期の松浦武四郎は、江戸文化が蒸留された一滴といえる。みずからの意志による北方探検の人であった。儒教夷狄観から脱した人文科学的思考者であり、薄明の天地人を知りたいという好奇心と不抜の意志の人であった。アイヌへの愛も深かった」。
(司馬遼太郎・『オホーツク街道・街道をゆく』)


●写真は武四郎肖像65歳の時の写真と伝えられるが、首からは勾玉など玉製品が数多く通された首飾りを下げるなど、古物の収集にも熱心であった。​​​​




​​「松浦武四郎記念館」を訪ねる​
  吉田松陰にも大きな影響を与えた

私たちは武四郎をさらに知るために三重県松阪市にある記念館を訪ねました。
そうなんです。武四郎さんはアイヌの住む蝦夷地とは程遠い三重県の出身なのです。なのになぜアイヌに関心を抱き、私費で何度も探検したのか?それを深く知ることが自分たちがアイヌを正しく理解するための導きの糸のように思われます。
記念館には松浦家から松阪市に寄贈された武四郎に関する貴重な資料が数多く収蔵されています。
平成20年(2008年)には、寄贈された資料のうち1503点が、国の重要文化財に指定され、展示室は、約2ヶ月ごとに資料を入れ替えながら、多彩な分野で活躍した武四郎の様々な姿を紹介しています。
資料館には武四郎28歳から41歳までの間に合計6度に及ぶ蝦夷地(北海道)の探査を記録した手書きの日記・絵日記や絵図が展示されています。
日記や絵図に書かれているアイヌたちの生活する姿はリアルであり、例外なく温かい。武四郎がアイヌの人々と心を通わせていたのが伝わってきます。
一方では蝦夷探検を通じて、日本の国防と明治維新に大きな影響を与えたことも資料で説明しています。
吉田松陰、頼三樹三郎など、維新を推進した指導者は武四郎の考えに大きな影響を受けたのです。​​





​​​​​自費出版で―アイヌ民族を紹介

蝦夷地は広大な島である。まだ内陸部の詳細な地図もない中で、原生林の広がる大地を目の前にして、武四郎は道内各地で暮らしているアイヌの人びとの協力を得て、調査を進めていきました。
武四郎の偏見のない人間共感力は寝食をともにする調査の中で、アイヌ文化は我々とは異なる文化であるが、自分たちにはない素晴らしい部分を持っていることを強く感じました。
調査の後、蝦夷地の様子を多くの人びとに伝えるためにたくさんの紀行本を執筆し、内陸部を詳細に示した蝦夷地地図を制作するとともに、アイヌ文化の紹介にも力を注ぎました。武四郎は成果である151冊にものぼる調査記録をもとに、紀行本や地図を出版しています。
『壺の石』『於幾能以志』など、当時有名な本屋であった播磨屋から出しているものもありますが、多くは「多気志樓蔵板(版)」と自費出版を行っているのです。​​

※(知床半島の雑木林を観て)
雑木林を見ながら、松浦武四郎のことを思った。その日記や紀行文のたぐいも持ってきた。武四郎が愛した山川草木の中でその文章をよむと、自分がアイヌになって武四郎と話しているような気になる。
(司馬遼太郎・『オホーツク街道・街道をゆく』)




​​​松前藩を命をかけて批判―アイヌの生活と文化を発信​

武四郎の人間共感力はアイヌ語をはじめ、独特の文様を多用する文化、織物や服装の独特の文様などに感銘し、日本人にアイヌの生活を詳細に紹介しました。さらに、アイヌの自然と調和した狩猟、漁猟、採取(山林・海洋)、農耕、及び交易を組み合わせて生活に必要な物資を確保する生活に感動しています。
しかも、単なる旅行記ではないのは武四郎の視点が、家族愛や狩猟採取での知恵や勇気、アイヌの長老の語る意味深い伝説や逸話とともに、17世紀以来アイヌを収奪してきた松前藩の役人や商人たちのむごい交易や支配の記録も含まれており、自らも和人(日本人)ながら同胞の非道な行いを厳しく告発していることなのです。
次々と蝦夷地の実情を公表していった武四郎は、松前藩への批判を容赦なくおこなった。その結果、当然命を狙われ、調査の妨害を受けることや、暗殺されそうになったこともあったといいます。
アイヌの文化や生活を守るために命をかけていたのです。​​





​日本人を告発した日本人―武四郎​​

幕末には、大久保利通(写真左)、西郷隆盛(写真右)、桂小五郎こと木戸孝允らは蝦夷地情報を知るために、松浦の家を訪れていました。
明治新政府が成立すると、武四郎を高く評価していた大久保は政府に彼を登用させ、「蝦夷地開拓御用掛(ごようがかり)」に任じました。
明治2(1869)年に戊辰戦争が終結し開拓使が設置されると、これまでの調査実績を認められ蝦夷地通として、開拓判官の職に任命されました。 
武四郎は、アイヌ民族の生活と伝統的な生態系を守ろうとして、松前藩の政策を批判し、アイヌの権利を保護するための政策を公に採用しようとしました。和人とアイヌが共存しながら、アイヌが安心して暮らせる蝦夷地を創ろうとしたのです。当然ながら蝦夷地の資源を独占化しようとする抵抗勢力とぶつかることになりました。
それは、松前藩以来続く商場知行制(あきないばちぎょうせい)のようにアイヌを排除し、商人たちに海産物の交易権を独占させ、アイヌの男女を酷使する悪制を守るか、廃止するかという争いでもあったのです。
開拓長官となった公家の東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)は、商人たちの賄賂攻勢により、商人たちのいいなりとなったため、武四郎の提言は骨抜きにされ、武四郎は挫折します。
​​​その挫折は日本における長いアイヌ差別のはじまりとなりました。​​​​





​​コタンの口笛―アイヌ差別

明治時代に入り、「北海道旧土人保護法」が制定され、表向きではアイヌ民族を受け入れているようにも見えますが、学校では、アイヌ語をはじめ独自の文化や習慣は否定され、日本語や和人風の生活の仕方を覚えなければなりませんでした。民族差別は続いていき、アイヌの人たちの自由はますます奪われていってしまいました。
戦後に発刊された石森延男の小説『コタンの口笛』(コタンのくちぶえ)、それを原作とする成瀬巳喜男監督の映画(1957年)は和人によるアイヌに対する差別・偏見の厳しさをよく著している。

小説『コタンの口笛』に出てくる差別

◯先生に手をつなぎ丸い輪になれといわれたのに、ユタカ(アイヌの子ども)と手をつながない佐吉(シャモの子ども)。「おい手を出せよ」というと人差し指をかぎなりにまげて、「ここへつかまれ。」というしぐさ。

◯クラスの和人の財布がなくなった嫌疑をアイヌという理由でかけられたマサ。

◯英語でいい成績をとったユタカは「劣等なアイヌがいい成績がとれるはずがない。和人とアイヌは「血が違う」と非難される。

かつての部落差別に似ていますね。子どもたちの差別は親や社会の影響を受けたものですからパターンは同じになるのは仕方がないようですね。​


​※私たちの「国土」に和人は何百年も前から渡ってきていました。本格的に全面的に「侵略」したのは今から百十年ほど前の明治になってからです。(萱野茂『アイヌの碑』朝日新聞社)​​




​​​松浦武四郎生家とお蔭参り​

松浦武四郎生家は記念館から歩いて10分もかからない場所にあります。約200年という生家の前の道は伊勢参宮街道であったことから、多くの旅人が行き交ったといわれています。
生家におられるガイドボランティアによれば、「武四郎の冒険好きは子どものころから伊勢参りの人々を見聞したことからはじまったのではないか」ということでした。
お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣のことです。お蔭参りの最大の特徴は奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣できたことにあります。それが、お蔭参りが「抜け参り」とも呼ばれたゆえんなのです。
大金を持たなくても信心の旅ということであれば沿道の施しを受けることができ、身分制のくびきから解放されてつかの間の「自由な旅」を体験できたのです。




​国防意識から蝦夷地探検へ

武四郎の生家の前は伊勢街道が通っていたため、その影響を大きく受けたといわれています。

文政13(1830)年、武四郎が13歳の時に起こった「文政のおかげ参り」は、日本の人口が約3000万人と推定されている時代に、一年間に約500万人もの人びとが、全国からお伊勢参りにやって来たとも言われ、今では想像を絶するほどの賑わいであったようです。
かつて武四郎の家の前の街道の両脇には宿場もあり、旅人で混雑していたようです。その旅人たちのお国自慢や歌や踊りに影響を受け、未知の世界に憧れて武四郎は冒険に出たというのです。
武四郎が蝦夷地を目指した動機についても、同ガイドから教えていただきました。
武四郎の冒険の最終的目的地は中国、インドであったという。全国各地を旅し、中国、インドに行くために朝鮮半島に渡ろうと意図し、長崎に滞在していた時、武四郎の耳に海外の情勢がはいってきたそうです。東南アジアの国々がヨーロッパ諸国の植民地となり、日本へも外国船がやってきていることを知ったのでした。
日本の将来を心配する人びととの話の中で、北の大国ロシアが南に勢力を拡大しようとして、蝦夷地(北海道)を狙っていることを聞き、このままでは日本もロシアから植民地の支配を受けるかもしれない、自分に何かできることはないだろうかと考えた武四郎は、蝦夷地を調査し、その様子を明らかにすることで、多くの人びとへ伝えようと決意したというのです。この時、武四郎は26歳でした。​​






​​​武四郎から学ぶべきは人権の基礎​

この看板は記念館の隣にある松阪市小野江小学校の卒業生が製作したものです。松阪市の教育委員会では人権教育の一環としてアイヌの歴史や文化について教えているそうです。
武四郎の生まれた時代は今から150年ほどまえ、江戸末期、その頃はすべての人びとは身分制に縛られ平等ではありませんでした。
支配者に対する政治的・経済的な不平不満は存在していても、「人権」という高尚な概念は存在していませんでした。
そうした社会構造の中で、現代的な視点でいえば、アイヌ民族の「人権」を守るために力を尽くした武四郎には驚かされます。 
彼はなぜアイヌ民族の「人権」を認識し、その文化を受け入れることができたのでしょうか。その答えは、幼い頃から他郷から流れてくるお蔭参りの人々との身分にとらわれない交流、自ら旅の体験を通じて培われた人間に対する共感ではないかと思われます。
そうなんです。彼の「人権」とは「人間的共感力」ではないかと考えられます。それが基礎となって、アイヌとの出会いによる異文化体験を素直に受け入れることでアイヌ文化の本質を認識し、その価値を認めることが出来たのです。
一応人権概念を理解しているはずの私たちであっても、異なる文化、価値観に出会ったとき、対象に対する無知と誤った情報から自分たちの文化や考え方と比較して優劣をつけてしまうことや、表面だけで判断し、他を否定し、排除することがないとは言い切れませんね。それは人間的共感力が未熟だからです。先入観や偏見を排し、自由で対等な人間として交流し、理解を深め合うことが人権教育の基礎であることを武四郎の人生が教えているような気がするのです。


●参考文献
司馬遼太郎『街道をゆく―街道をゆく15』(朝日文芸文庫)
司馬遼太郎『街道をゆく―街道をゆく38』(朝日文芸文庫)
金田一京助・荒木田家寿『アイヌ童話集』(角川ソフィア文庫)
萱野茂『アイヌの碑』(朝日新聞社)
石森延男『コタンの口笛』(偕成社)
知里幸惠『アイヌ神謡集』(岩波文庫)他。

あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか? 人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる

​​​​​​ あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか?
      人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる



​​​市街地の大木 神戸市長田区にある長田神社のクスノキ。樹齢は不明だが、周辺住民に伝承されている話しによると300年と言われている。​​



 
 はじめに 

 今、差別意識という言葉の意味が混乱している。混乱の根源は日本政府にあることはいうまでもない。
 『人権教育および啓発の推進に関する法律』(2000年6月施行)にもとづき、人権教育・啓発に関する基本計画」(「人権教育・啓発計画」)を策定した。それにともないすべての自治体においても「人権教育・啓発計画」を策定している。
​ その共通した趣旨は「国民一人一人の人権尊重の精神の涵養を図ることが不可欠」ということであり、人権侵害を発生させる主な原因は「国民の人権尊重の精神が低い」ことであり、それが「差別意識や偏見にとらわれた言動」につながっていると明記しているのである。​
 国民の「人権尊重の精神が低い」という意味は? 
​ それは人権尊重に対する心、意識、気構え、気力、理念が脆弱であるということであり、「人権尊重社会を精神力で構築せよ!」ということのようだ。まるで戦前の軍国主義国家のスローガンのようで全く科学性を感じられない。​
 さらに、この法律には致命的な欠陥があるのだ。それは精神を形成する意識および差別意識や偏見とは何か?差別意識や偏見が発生するメカニズムとは何か?が明確にされていないことだ。 
​ そこで今回は私たちの顧問、ブラ猫先生にサンマ二匹を講師料にして「差別意識」の本質についてお話しを聞いてみた。以下はブラ猫先生のお話しを要約したものである。​

           
​​​ブラ猫先生​ は私たちの顧問だ。クスノキの根元の空洞に住み着いている。年齢は不詳だ。「ブラ猫先生」の由来はいつも「ブラブラ」しているからという説と、「ブラク」に生まれたからだという説があるが、どうでもいいことだ。​​



1、意識と実態の関係―いちご大福はいちご大福である

〇部落差別が実態概念だという理由
 例えばいちご大福はいちごと大福がひとつになったもの。
 分けるといちご。
 分けると大福となる。
 そのままでもおいしいが、分けるといちご大福とはいえない。
 わけると本質が変わる。​分けるな危険。​

​〇部落差別を意識と行為にわけると部落差別にならない​
 差別意識のない差別行為は存在しない。
 差別行為がなければ差別意識は存在しない。
 差別意識を差別的記憶と混同してはいけない。

​〇部落差別の存在は実態でしか確認できない​
 実態がないということは差別意識もないということだ。
 実態が減少しているということは差別意識が減少しているということだ。

​◯部落差別に関する意識調査は必要がない​
 差別意識は実態である差別事象の発生件数に一致すると認識すべき。
 差別事象は「氷山の一角」でなく流氷である。流れ流れて溶けてゆく。
​※意識調査や実態調査に反対しながらそれを資料にして「差別解消」の証明にするのはもうやめよう。​

 差別の実態から差別意識だけを切り離して肥大化させていくとどうなるか考えてみよう。このまま差別意識のみを限定して人権教育・啓発や人権意識調査が継続されていくと、実態と差別意識の乖離が生まれ、新しい部落差別(ゴースト)を生む危険性があるのだ。
 さらに意識とは何かについて深めてみよう。

​​●詳しくは当ブログ・2019年04月16日「部落に関する意識調査の原理は『オレオレ詐欺』に似ている」を参照を。​​



​イチゴ大福​ だれが創作したかはしらないけれど、果物と餅を合体させるとはすごい発想だ。でもイチゴと大福を分けるとイチゴ大福ではなくイチゴと大福となる。
イチゴ大福の好きな人よ。分けるな危険。​​​​



​2、意識とは何か?―差別意識は個別的なものである​

 差別とは法(国際法・国内法)により保障され、政治的・社会的にも承認されている基本的人権が侵害される、もしくは侵害された状態に置かれていることである。
​ このように差別の概念はほぼ明確にされているが、差別意識の根源となる意識の問題については長年にわたり宗教、哲学、心理学、社会心理学などにより探求されてきたが、依然として明確に定義されていない。その理由は意識が「心」「心理」などとも表現され、人間の存在の根幹にかかわる特別なものであると考えられてきたためである。​
 プラトンは(BC428-348)は人間を霊魂(心)と身体(肉体)の二つに分け、アリストテレス(BC384-322)は、心は心臓の働きであると考えた。デカルト(AC1589-1650)は心は身体(物質)とは別に存在するという二元論により、心と世界の関係を科学的に認識しようと試みてきたが、産業革命を推し進めた科学技術の発展が哲学にも多大な影響を与え、カント、ヘーゲル、マルクスを経て存在と意識を統一的に認識することが主流となった。さらに、脳科学の発展は意識は脳という物質の働きの産物であり、存在と認識は分割されることなく、脳内の活動によって統一的に行われていることが証明されているのだ。
 しかし、不思議なことに二元論は今もなお存在しているのだ。人権教育・啓発においては、差別は「心理的差別」(心)と「実態的差別」(実態)の二元論に基づき行われ、「実態的差別」は減少してきたが、「心理的差別」は広く残存しているとし、教育・啓発活動が展開されているのだ。
 いまや意識と実態は分離できないことは明白だ。 
 ゆえに差別事象が発生すれば、その事象に「差別意識」が存在しているとしても、その「差別意識」が社会全般を支配しているという根拠にはならない。極めて個別的なものと考えるべきなのだ。
 ネットで「地名総監」を売る奴がいても、みんなが売りたいとは思っていないはずだ。

​​●詳しくは当ブログ・2019年06月05日「差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​-若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する-」を参照を。​


        
​​ルネ・デカルト​(仏・1596年―1650年)フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり …」は有名。​​



​3、意識とは何か?― 二元論では部落差別は解決できない​​

​ 今日の脳科学の発展は意識は脳の活動であることをほぼ突き止められている。意識は脳という物質の働きであり、生きるために必要な情報を収集し、分析し、適応するために最善の方法を選択する情報処理機能なのである。​

※「意識とは何か。それは脳の機能である。これは馬鹿みたいな答えだが、それしか言いようがない。意識の問題がこじれて唯心論や唯物論が生じるわけだが、どんなことを論じるにせよ、ものごとには前提というものがある。」『唯脳論』(養老孟司・ちくま学芸文庫)

※意識はいわば志向性を持つ高次な脳の情報処理の一様式である。意識を考えるとき、われわれの悪い癖は初めに辞書を持ちだして、それが持つ多様で重層的な意味領域に幻惑されてしまいホールドアップをかけられてしまうことである。『意識とは何か』(苧阪尚行・岩波科学ライブラリー)

​ 脳科学の視点からいえば部落差別意識とは脳に集積された情報の一部ということであり、その情報が誤っているために部落差別が発生するのである。情報は社会的な価値判断と個人的価値判断が相互に関連し合い利用されるから、部落に対する誤った情報を信じる人が多ければ部落差別は数多く発生するし、情報を信じない人が増えれば部落差別は減少していくのである。​


​4、無意識と意識―差別意識の正体は記憶​

​ 意識が人間が生存するために脳が行う情報処理の機能であるとすれば、差別意識は誤った情報に基づく脳の活動の一部にすぎないことになる。コンピューターでは誤った情報は正しい情報を上書きすれば消去できるが、人間の脳は「誤った情報か?正しい情報か?」を判断する基準がなければ情報を修正できないから厄介なのだ。​
 人間の意識を定義すると、無意識と意識に区別される。無意識は五感にかかわる感情であり、音楽や絵画に感動する。リンゴを食べておいしいとか、甘ずっぱいとか、そういう生々しい感覚のことを指す。いわゆる「覚醒感覚」というべきものである。その本体は無意識なのだ。
 意識については次の通りである。
​​①判断できること​​
 蛇は怖いという感覚的なものから、毒蛇と毒のない蛇を区別できる。りんごを色や形を見るだけで甘さや酸っぱさが判断できる。
​②表現を選択できる​
 意識の中で最も顕著な例は「言葉」だ。「意識」の中でかなりランクが高い。意識は少なくとも、短い時間、情報を脳に取っておかなければならない。「短期記憶」が働いている。「ワーキングメモリ」(working memory)。
​③意識は選択するための根拠を持っている​
 その根拠というのは必ず「過去の記憶」に存在する。過去の経験によって脳の状態が変わる。これを「可塑性」という。
※言葉というのは実はそれぞれ単独で存在しているのではなく、脳の中で、ある単語とある単語は内容が近い、ある単語とある単語は意味が結びついている。というようにグループ化されて、カテゴリー化されて、連合されて存在している。『進化しすぎた脳』(池谷祐二・朝日出版社)
 人間は誤った情報も正しい情報も記憶するのだ。

​​●詳しくは2018年01月29日「消えゆく『部落民』―心のゴースト③​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する」を参照を。​​​ ​​​

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意識と記憶 意識は情報処理をするための機能である。そのためには記憶機能が必要なことはいうまでもない。​
友人と食事に行ったが料理はまずかった、おいしかったという感覚記憶とともに、友人のお金を建替えたという短期記憶が結びつく。それとともに前にも貸したが返してもらってないという長期記憶がよみがえり、友人と喧嘩になる。
※プライミングとはあらかじめある事柄を見聞きしておくことにより、別の事柄が覚えやすくなったり、思い出しやすくなることをいう。​​



​5、意識の変革―差別記憶はつくられる​​

 ある親しい元教師(88歳)が話してくれた。「小学生の時、仲のいい友達を家に連れてきた。帰った後、母親から『もうあの子とは遊ぶな』」と言われた。その友人は「部落」の子だった。母親のその言葉に衝撃を受けた。今でも記憶に残っている」。
 言葉は愛する、信頼する人の言葉ほど強く記憶に残るらしい。差別意識などはもともと存在していない。意識が差別意識を持つのは差別的な言葉を記憶するからである。
 そこで、差別・偏見の認識がどのように形成されるか、心理学史の巨人といわれているスイスのピアジェ(J.Piaget)の4つの発達段階に沿って説明する。
●誕生から2歳(感覚運動期)
 感覚と体を使い外の世界を知っていく。
​ ※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪の対象を感覚的に身に着けていく。​
●2歳から7、8歳(前操作期)
 頭の中で考えることが出来るが自己中心的。心の中と現実が混同する(アニミズム)。
​※目の前にいなくても愛情、恐怖、嫌悪、憎悪すべき対象を自己流に描けるようになる。​
●7、8歳から11歳、12歳(具体的操作期)
 具体的なことは論理的に考える。
​※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪に対する感情について自己説明ができるようになる。​
●11、12歳以降(形式的操作期)
 抽象的なことや一般的なことを考えることが出来、実際に目の前にいなくても、言葉だけでもイメージすることができるというのである。
 ​以上のように差別・偏見は言葉によって形成され、脳に記憶されるのだ。だから差別・偏見は生まれつき持っているものではなく、持たされたものなのだ。
 前記の元教師は衝撃を受けたが、人を差別することに疑問を持ちはじめたという、その理由は、家には連れてこれなくなったが学校では友人関係が続いていたからだという。そして、疑問は科学的な知識を得ることにより解かれ、与えられてきた記憶が誤りであることに気づいたという。
​ 友人関係と科学的知識が与えられた記憶が誤りであると認識させたのである。​

​​​●詳しくは2019年10月10日「私たちは人権社会を実現すると称して「憎悪の種」をまいてはいないか―京都アニメーションの事件現場を訪ねて」を参照を。​ ​​

          

意識は脳活動の総体 ​脳は進化の過程で様々な機能を獲得した。特に前頭葉は意識を司る中心機能として位置づけられるが、意識活動は脳部位全体が相互関連することで行われる。
見る(後頭葉)―思考する(前頭葉)―判断する(頭頂葉)―運動する(前頭葉)という活動を一瞬のうちに行う。当然ながら組み合わせは無数にあるのだ。​​


​​6、意識は暴走する―「人権教育・啓発基本計画」​​
 
 意識は人間の生存を維持するために広い活動を行うものであり、差別意識は意識活動の一部にすぎない。むしろ、差別意識は差別記憶である。差別記憶は多様でありながら個別的であるから、基本的には一般的な教育・啓発はなじまない。にもかかわらず、「人権教育・啓発基本計画」は国民の差別意識をなくすと称して教育・啓発活動を進めている。しかも、「結婚差別、就職差別、忌避」などという事例を引き合いにして、差別者、被差別者を問わず恐怖感情を煽っているのだ。 
 これははじめて子どもたちが同和教育を受けたときの思い出を聞くとよくわかる。異口同音に「教室が暗かった。すごく緊張した」と言うのだ。こうした恐怖感情を広げることは差別記憶を強めたり、差別記憶のない人々にも差別記憶をうえつけることになるのだ。
 その結果、実態からかけ離れて差別意識は肥大化し、「ネット差別」にみられるような妄想的な差別書き込みが発生してくるのである。
 私は政府や自治体による人権教育・啓発は必要だと思っている。それはあくまでも目的と範囲を限定して行うべきであると主張してきた。今回のコロナウイルス禍で発生した差別は未知のウイルスに対する恐怖感と無知が生み出したことは明白である。こうした疫病が蔓延した時、自主的な学習活動とは言ってられないはずである。
 部落差別に対する人権教育・啓発については実態から見て教育・啓発の目的はすでに達成されており、時代遅れの二元論に基づく教育・啓発を継続していくことは新しい差別(ゴースト)をつくり出す結果になるものと考える。
 勿論、一年を通じて部落差別が一件も発生しない最終段階に到達しているとは考えていない。実態に即した対応は必要である。実態に即した対応とは以下の通りだ。
​①部落差別に関わる人権意識調査は止めること​
「意識調査は止めろ」と主張しながら意識調査を引用して差別の解消を証明するのもやめるべきだ。
実態を見れば差別意識の状況はわかるはず。
​②部落差別の実態調査はやめること​
 法務局、地方自治体に寄せられる人権相談の内容を分析すれば実態把握は充分だ。
「部落・部落民」と一般国民を区別して実態調査を行うことは日本国憲法の人権条項に反する行為であるとともに国民の間に分断を持ち込む。
​③人権侵害を受けた国民の訴訟費用を支援すること​
 国および地方自治体は差別を受けた国民が賠償訴訟を起こしやすいように支援制度を拡充することだ。
 コロナ禍の中でも悪質な人間は出てくる。差別者も同じだ。そんな奴にはたっぷりと損害賠償させるのが一番の薬だ。

●詳しくは当ブログ・2019年07月17日「消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥ つくられた歴史認識―こわされる歴史認識」を参照を。​

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​ブラ猫先生はノラ猫仲間からの信頼も厚い。また、難しい話の時は登場していただくことにする​


◯参考文献
 『進化しすぎた脳』(朝日出版社・池谷裕二)
  『心は何でできているか-脳科学から心の哲学へ』(角川選書・山鳥重)
  『意識とは何か』(岩波書店・苧阪直行)
  『唯脳論』(ちくま学芸文庫・養老孟司)
  『脳のしくみ』(新星出版社・中村克樹監修)
 『世界十五大哲学』(php・大井正・寺沢恒信共著)
  『哲学のことが面白いほどわかる本』(中経出版・浜田 正)
  『偏見や差別はなぜ起こる』(ちとせプレス・北村英哉・唐沢穣編)他。
  



消えゆく「部落民」―心のゴースト⑧​​​ ―京都「この世」「あの世」、「異界」めぐりの旅―​​​​​​

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​​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑧​​​
―京都「この世」「あの世」、「異界」めぐりの旅―​​​​​



はじめに


 お盆が終わりました。あなたはお墓参りに行きましたか?あの世から戻ってきたご先祖様は機嫌よくあの世に戻りましたか?新型コロナウイルスの影響でお墓参りできなかった人も多いようですね。でも大丈夫、霊魂はあなたが心に念じればすぐにあなたのもとに来てくれます。こんなことを想像できるのは高度に発達した脳(心)を持つ人間だけで動物にはできません。
 お盆に行われる行事はみんな脳でつくられたあの世とこの世の交流の「儀式」ですね。儀式は抽象的な想像を現実に変える方法なのです。ここではご先祖様は霊魂であり、実態のないものですが、墓前で拝礼する。仏壇の供物をささげ、線香を立てて経文を称えるという「儀式」を通じて、あなたはご先祖様を心の中で実態化するのです。
 でも忘れてはなりません。こうした「儀式」が存続してきた根源には愛するご先祖様を供養する思いだけではなく、「私はなぜ生まれ、死んだらどうなるのだろうか?」という自身への問いかけが存在しているからです。
 人間は古来より、生と死、この世とあの世、陰陽、極楽と地獄、古代より人間は肉体と魂は別のものとして認識し、肉体が滅んでも魂は存在し続けると考えていました。これが宗教や哲学上の二元論の始まりのようです。
 今回はお盆に因んで、お堅い人権論から少し離れ、京都市内をめぐり、人間の脳が創りだした「あの世」と「異界」という虚構の世界を歩くことで、これらの「世界」が人間社会の矛盾に喘ぎ苦しみ、安らぎを求める人民の脳の反映であったという側面と、支配階級が円滑に人民支配をすすめるための手段であったという側面を明らかにしたいと考えます。
 その目的は、人間が現実と虚構の世界の相互関係を理解し、時代に合わない非人間的な虚構を捨て去り、現実を観察し、理解することができるようになれば、どれほど素晴らしい未来が開けるかわからないと考えるからです。






​​​​巨大な脳が創りだした「あの世」​​​​​
人間はネズミより小さい哺乳類から巨大な脳をもつ哺乳類に進化した。

約7万年前に突然、言語能力を飛躍させ、対象を抽象化し、普遍化する能力を獲得した。その能力により神仏という虚構(物語)を生み出し、その虚構のもとで協力しあう社会を創りだした。
狩猟・採取時代の虚構は横に協力し合う社会を築く、先祖の霊や自然崇拝などであったが、農耕社会がはじまり農業生産力が発展し、余剰生産物が増加する中、富を独占・管理する支配者層が誕生する中、旧い虚構が利用され、軍事、法、宗教がリンクした国家という新しい虚構が創られ、多数の人々は忍従と隷属がしいられることになった。
人間の脳は理解できないことは想像力で補う。その想像力が生み出した世界こそが「あの世」と「この世」だ。 
脳は本能的に死を恐れ、死を回避しようとする。そのために常に生と死について考え本質を究明しようとしてきた。
仏教は「あの世」の虚構を示すことで、人々の「この世」での苦を緩和する道を開いた。それは、軍事力を背景にした刑罰よりも社会を安定させるのに効果があったようだ。

※すべてが始まったのはおよそ7万年前、認知革命のおかげでサピエンスが自分の想像の中にしかないものについて語りだしたときだ。その後の6万年間に、サピエンスは多くの虚構のウエブを織りなしたが、それはみな小さく局地的なものだった。(中略)それでも、先祖の霊や貴重な貝殻についての物語は、サピエンスにとって大きな強みだった。
(『ホモ・デウス』上・ユヴァル・ノア・ハラリ)
​​※詳しくは・2019年01月29日・「『サピエンス全史』から考える日本人の「穢れ」という認識」​ をお読みください。




​​嵯峨野「竹林の道」―「あの世」への道​​​
人間は生物、しかも高度に発達した脳を持っているため、死の恐怖は死後の世界を想像させ、「あの世」という虚構の世界を創りだした。 
その内容は信仰(宗教的立場)によって多少は異なるが天国(極楽)と地獄のニ元論が基本になっている。
宗教的指導者の多くは「あの世」を見てきたように説明するが、実際には「あの世」に逝って帰ってきた人はいない。だから「生まれ変わり」という儚(はかな)い夢にすがりつく宗教もあるのだ。

​​​​「竹林の道」を抜けると「あの世」​​​​
京都嵯峨野は古代、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められたとされている。平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの絶好の遊猟、行楽地だった。
光あれば陰があるのが世の習い、渡月橋や保津川などおなじみの場所から、一番京都らしさを感じられる「竹林の道」に入る。この道は化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)、愛宕念仏寺のある北嵯峨野に続く道でもある。
「竹林の道」の風音を聞きながら歩いていると化野念仏寺にたどり着く。嵯峨野はこの世から「あの世」にしらずしらずの間に入りこむように設計されているようである。

※私たちは生まれ育つ過程で、自分たちの世界を、慣れ親しんでいる既知の領域とそうでない未知の領域に分割するようになる。多くの場合、慣れ親しんでいる領域は、秩序づけられた友好的な世界、つまり「われわれ」として分類できる者が住んでいる世界である。
(『異界と日本人』小松和彦)








​​​​​​​​​​​​​​​化野念仏寺―身体は野に捨てられた​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
化野念仏寺は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺。
ここには「あの世」がある。化(あだし)とは、「むなしい」「はかない」という意味で、「生」が化して「死」となるという意味らしい。苔むした石仏・石塔が寄り集まっている景色はなぜか温かい。
古代、人間は死によって肉体は死滅するが霊魂は身体から離れると考えられていた。心が脳という物質の活動によって生み出されているということがわかっていなかったからだ。
身体は土に還るものであると考えていたので、人が亡くなると遺体を野ざらしにし、そのまま朽ちるに任せる風葬が主流で、遺体を鳥が啄んで処理するので「鳥葬」とも呼ばれた。 
京都には3カ所遺体が捨てられた場所(鳥辺野)があった。

​​​仏教が供養する心を儀式化した​​
寺伝によれば平安初期の弘仁2(811)年、真言宗の開祖空海が疫病が流行っていた都を訪れた際に、疫病の発生を抑える為に捨てられている遺体を土葬することを人々に教え、さらに、遺骨を埋葬しその上に1,000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われている。
石仏が出来ると人はその前で手を合わせるようになり、多くの人の思いが込められると稚拙な細工の石仏にも魂が宿り、深淵な意味が与えられる。
石仏のまわりには石塔・墓石が集まる。ここから集団供養がはじまる。供物を供え、線香をあげ、経文を唱える。支配者に冨が集中するにつれて供養は儀式化し、盛大化する。それとともに仏教は支配者の庇護のもとで隆盛となった。
現在、境内には約8,000体という夥しい数の石仏・石塔があるが、これは明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。​​






​​​​​​​​供養の広がり―六波羅蜜寺​​​​
六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。
死には「穢」というイメージが付きまとう。死は恐ろしいもの、悲しいものだから遠ざけたいという感情から「穢らわしい」ものとした。特に疫病による死体はその考えを強くしたはずである。だから、鳥辺野に捨てた。
10世紀に律令制度を施行するため細則「延喜式」(えんぎしき)には「穢」というものは、人と家畜の「死」と「産」、それに失火によって生じるものとある。
空想は儀式化され、現実化していったのだ。

​​​​​「穢れ」は死への恐怖から生まれた​​​​​​​
こうした文献を素直に理解すれば、皮多(後に穢多)という特殊技能民が忌み嫌われるようになったのも家畜の「死」を扱うことが発端であろう。
また、別の見方をすれば、荘園領主が特殊技能集団を固定化し、その生産物を独占化するためには都合のよいイメージでもあったのだ。

​​​浄土教―空也上人登場​​​
10世紀の半ばごろ、鳥辺野や鴨川の河原に打ち捨てられていた死体を供養する遊行僧が現れた。それが空也上人である。
穢れに満ちた死体、忌み嫌っていた死体を拾い集め、埋葬し、手を合わせて念仏を唱えたのである。
しだいに死体を供養しなければ極楽浄土にはいけないという来世信仰が一般庶民に広がりはじめ、土葬・火葬が広がり始めたという。
六波羅蜜寺には空也上人立像がある。鎌倉時代の作で、国指定の重要文化財である。

※釈迦はあくまでも生きている人間の苦を問題にしたのであって、死者を葬るということに関心を向けなかった。(中略)ただ、中国においては、仏教が葬式と結びついていくきつかけとなる出来事が起こっている。それが浄土教の流行である。
(『坊さんは葬式などあげなかった』島田裕己)
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​​​源信僧都―霊魂の行く先「あの世」​​​
人間は霊魂があると信じ込んだ。そして、霊魂は「あの世」に行くと信じた。そのことによって、人間は死という恐怖から解放されることを確信した。それから人間の脳は「あの世」とはどのような世界か空想をめぐらすことなった。
宗教の違いによって、「あの世」は様々な世界に描かれているが、仏教では如来の住む極楽浄土、永遠の責苦を受ける地獄が主なものである。
比叡山の源信僧都は『往生要集』をあらわし、極楽と地獄の姿を極めてリアルに描き出した。特に八つの地獄の記述は恐ろしいが、地獄での残酷な罰は現世の悪行に対応しており、自動的に「この世」の支配者の創りだした道徳的規範を宗教によって補完する役割を果たしているのだ。
地獄は現世の反映に過ぎないようだ。

​天皇・貴族―極楽を金で買おうとした​​​
源信さんの活躍した時代は、釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという末法思想の時代。さらに、この時代は天災・人災が続いたため、人々の不安は一層深まり、その不安から逃れるための厭世的思想として広がっていた。
芥川龍之介の『羅生門』には平安末期の京都の庶民の状態が描かれている。それによると、引き取り手のない死体を羅生門に捨てるという習慣ができていたので、羅生門の上には死体が転がっていたというのである。
実際に、飢餓や疫病で死んだ人の遺体は前記の「鳥辺野」や鴨川の河原に捨てられていた。
ひどいのは天皇・貴族である。人々の苦しみをよそに、収奪した冨を浪費し、極楽往生するために、阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営した。その代表例が宇治の平等院鳳凰堂である。
余程地獄に行くのが恐ろしかったようである。

※極楽はどこか遠くにある。見ることのできない国なのである。(中略)地獄は足下にあり、極楽は山のあなたにある。地獄は我々の住む六道の中にあるが、極楽はまったく別の世界なのである。
(『地獄の思想』梅原 猛)





​​​天皇・貴族―怨霊を恐れた​​
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。
天皇・貴族が恐れたのは地獄だけではなく、怨霊も恐れた。これは怨みを持った霊魂のことで、「あの世」にはいかず、現世に禍をなすことである。
平安時代における天皇・貴族は権力の争奪戦を続けていた。世は謀略と呪詛の時代であり、権力から追われたり、殺された者の怨念が祟りとなって、疫病、飢饉、天災を引き起こしていると考えられていたのだ。
菅原道真(すがわらのみちざね)は平安時代の貴族。当時は藤原氏の全盛時代であったにもかかわらず、醍醐天皇の信頼をえて右大臣にまで昇りつめたが、藤原氏の反感を買い、謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ左遷され現地で没した。 

​​​怨霊は神様にできる―北野天満宮​​
道真の死後、京都では天変地異が起こり、藤原氏では相次いで有力者が病死し、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王までもが突然死した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとし、道真が怨霊と化したと考えられた。
支配者といえど人間。良心の呵責(かしゃく)というものがあったようだ、悪事を働けば働くほど深い悩みとなり、偶然に生起する天変地異も怨霊の仕業となるのだ。
御所の清涼殿に落雷があって、天皇の恐怖は絶頂となり、菅原道真の祟りを収めるため北野天満宮が建立され、ここから、雷神を信仰する天神信仰が全国に広まり、菅原道真が優れた学問の才能を持っていたことから、天神は学問の神様として信仰されるようになったのだ。怨霊もご神体として祀り上げれば神様になるのである。
虚構は都合よく創りかえられる。

※つまり妖怪と人間が友好関係を取結び、結果的に人間の制御下においてしまうわけである。祀り上げられた「妖怪=神」は、その後の人間の処遇に満足すれば、彼らの守護神として働くことになるだろう。そう考えてきたのが日本人である。
(『異界と日本人』小松和彦)







​​​​晴明神社―「異界」の鬼を退治する​​​​​
晴明神社は、京都市上京区にある。安倍晴明が祀られている。
境内には復元された一条戻り橋があり、その脇に愛嬌のある式神(晴明の手下の鬼)がいる。晴明は921(延喜21)年に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がない。
ご存知のように晴明は陰陽師である。陰陽師は現実の社会において病気その他、災厄をもたらすものは「鬼」と表現し、その害を取り除く秘術を身に着けたものを指した。
秘術の中には「命の移し替え」(『金烏玉兎集』)という死んだ人間に生きた人間の命を移しかえるといものがある。
寛弘2(1005)年に晴明が亡くなると、天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4(1007)年、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建されたという。
この神社に行くと、当時の天皇・貴族たちがいかに怨霊の存在を信じ、恐れ、陰陽師たちを頼っていたかがよく理解できる。
支配者には支配者としての深い心の闇があったようだ。

※彼ら(陰陽師)は現実の世界において、病気その他の災厄をもたらすものを「鬼」と表現し、その害を未然に防ぐために定期的に祓(はら)いの儀式をしたり、あるいはまた病気などの具体的な形となって発現している災厄を、「鬼」と表現して祓い落としたりすることを仕事のひとつとしていた。
(『異界と日本人』小松和彦)





​​​​​​安倍清明・怨霊を鎮める陰陽師​​​
​​​​​​​​人間の空想力は「あの世」と「この世」をつなぐ「異界」を創りだした。
「異界」とは神や妖怪などが人間界に来るときに通過する世界であり、人間が「あの世」に行くときにも通過する中間の世界である。

​​​ 「この世」―― ​ ​異界​ ​​ ​――​​​ ​​​​​​「あの世」​​​​​​​​

この「異界」に住む者は人間と「異界」に双方の性格を持つものが偶像化される。例えば現在で言えば『ゲゲゲの鬼太郎』、平安時代では安倍晴明である。晴明の母親は狐であったという伝説がある。
陰陽師は占術と呪術を使い祟りを鎮めた。その陰陽師界のスーパースターが平安時代中期に活躍した清明である。
晴明の能力については様々な記録が残されている。『御堂関白記』によると、寛弘元年(1004年)7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め褒美を与えたことなどが記されている。
平成以降、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、主人公である安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。
今では漫画・アニメーションの世界であるが、科学や医学が未発達な社会においては秘術こそが頼りであった。勿論、陰陽師たちが詐欺師集団であったというわけではない。彼らは天文、気象、疫病などについて伝承や記録から学び、社会や自然観察を通じてある程度の基礎知識はあったようである。​​​






​​​六道珍皇寺-現世と「あの世」の入り口​​​
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。
この寺は小野篁(おののたかむら)が冥界(「あの世」の入り口)に通ったと伝わる井戸で知られている。
人間の空想力はすごい。いよいよ生身の人間が「あの世」と「この世」を行き来するという物語を創り上げたのだ。
この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と「あの世」の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。
鳥辺野が京都の葬送地として大規模化していった背景には仏教が説く「西方浄土」が大きく関係していたいわれている。京都の東に位置する鳥辺野から西の彼方にある極楽の地「西方浄土」へ向かうという願いが込められていたからという説もある。
ただ、平安京の頃は身分ある者しか墓を造ることが許されず、火葬もまた費用がかかることから、庶民のほとんどは風葬だったので、死体が捨てられた場所でもあったため、生と死の境界線と考えられたのである。

※死者の名前を読んで死者の霊魂を呼び戻す場所は、屋根の上が多かったが、井戸も使用された。井戸の中をのぞきこんで、名を呼ぶ行為は、地下に黄泉の国があると考えられていたことと結びついている。

(『呪術探究―死の呪法』豊嶋泰國)








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​​​​​小野篁―「あの世」と「この世」を行き来する​​​​​
小野篁が生まれたのは平安京遷都(794年)そのわずか8年後の802年である。
平安時代が始まったばかりのころで、この篁が有名なのは冥界の冥官、閻魔大王の補佐をしていたことである。
小野篁の冥界の冥官としての逸話は色々とあるが、なかでも有名な話は、小野篁の恩人の藤原良相(ふじわらのよしみ)が病気で他界して閻魔大王の裁きを受けている時に小野篁が閻魔大王に掛け合って藤原良相を生き返らせた話。
昼間は朝廷で仕事をして、夜は冥界でも閻魔大王の隣でバリバリ仕事をしているからすごい。

​​​許されぬ恋が道をひらく​​
篁が何故冥界に行くようになったかはあまり知られていない。契機となったのは愛する異母妹が死んでしまい、嘆き悲しんでいる時に妹の幽霊が現れ、幽霊との関係が続く中、幽霊と一緒に「あの世」に行くようになったという話しである。道ならぬ許されぬ恋がこの物語の背景にあったようである。
篁が愛する妹が亡くなった時に詠んだ歌がこの歌です。

泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに
      (『古今和歌集』)​


篁のこうした逸話は『群書類従』の「小野系図」にも篁は「閻魔第三の冥官」と書かれている。

すごいですね。この世からあの世に珍皇寺の中庭にある井戸から行き来する人間が存在したのである。

※地下に通ずる井戸は現世と他界と境界のシンボルでもあった。また仏教説話的には三途の川とも関係しているだろう。死者が三途の川を渡りきる前によびもどさなければならなかったのである。
           
(『呪術探究―死の呪法』豊嶋泰國)
​​​​​​​虚構は社会の発展に対応する​​​​
今回は封建社会の人間の脳が生み出した虚構について考えてみました。
人間の想像力の広がりのすごさと、その想像した世界を構造化していく能力に驚きますね。
「この世」と「あの世」だけでなく、「異界」までを創りだした。
「異界」から死んだ人間が怨霊となってこの世に禍をもたらすと、それとたたかう陰陽師が登場する。最大のスターは安倍晴明だ。これはもう妖怪・アニメ映画の世界である。それらが京都の名所・旧跡にまつろう物語となっているから面白い。しかし、これは無知蒙昧が生み出した妄想ではなく、社会の発展段階に根ざした人々の想いのこもった虚構でもあるのだ。

虚構を破壊しつつ科学は発展した​​​

そうした虚構が支配する中で、科学は山奥に端を発する源流が大河になるが如く、人々は生存のために収穫量を増やすという一念をもとに生産技術の改善と改良を推し進める実践を続け、科学的探究心を成長させてきたのである。
科学的探究心は長い年月を経て医学や生物学、遺伝子学、ITやAIを発展させ、移植だけでなくクローン、IPS細胞まで創りだした。
新型コロナウイルスの世界的流行は宗教や信仰が無力であることを証明した。教会やモスクではクラスターの発生を食い止められなかった。また、日本の疫病を退散を願って続けられてきた祭祀はほとんど「感染拡大阻止」という名目で中止となった。
科学は完全に勝利したのである。
しかし、忘れてはならない。「この世」と「あの世」、「異界」がいかなる空想と想像による虚構であったといえども、その時代の状況、その状況から生み出された人間の苦悩や悦びが反映していることを。

※科学の勝利はあまりにも完璧だったので、宗教についての私たちの考え方そのものが変わった。私たちはもう宗教を農業や医療とは結びつけない。
多くの狂信的な信者でさえ、今や集団健忘症にかかっており、伝統的な宗教これらの領域の支配権を主張していたことを忘れがちだ。
        (『21世紀Lessons』ユヴァル・ノア・ハラリ)



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