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私たちは人権社会を実現すると称して「憎悪の種」をまいてはいないか 京都アニメーションの事件現場を訪ねて

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​​​私たちは人権社会を実現すると称して
​「憎悪の種」をまいてはいないか​
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​​京都アニメーションの事件現場を訪ねて


 旧時代の部落問題は国民を「被差別者」と「差別者」とに単純に区分していました。その結果、「被差別者」は「踏まれたものの痛みはわからない」「部落民以外は差別者」であると、国民全体を憎悪し、攻撃的になることがありました。「差別者」も「被差別者」に否定的なレッテル(ステレオタイプ)を貼ることで差別を肯定し、忌避する行動をとることがありました。
 戦後、日本国憲法の基本的人権条項は憎悪を捨てて、対話、共感、共同する道こそが部落問題解決の大道であることを示し、国民全体の人権認識を高めることで、封建的な社会・人間関係、それに付着していた習俗・慣習を確実に解消に向わせてきました。
 しかし、今でも、「人権・同和教育」(「解放学級」も含む)においては、国民を「被差別者」と「差別者」に区分し、子どもたちの心に「憎悪の種」をまき続けています。
 もちろん、「憎悪の種」は「人権・同和教育」の分野だけでまかれているわけではありません。家族、地域社会、政治・経済・文化など、様々な分野でも怒りや苦しみや脅威は存在し、「憎悪の種」はまかれ続けています。にもかかわらず、私たちは「憎悪の種」の正体が何であるかを認識することはありません。「憎悪の種」がどのような状態で発芽し、成長し、社会的弊害を生むのかについてほとんど知らないのです。
 もし、人間の「憎悪の種」がどのように脳内で造られ、どのように発動するか知っていたとしたら、少しは理不尽な犯罪が防げるかもしれないし、穏やかないい人生が送れるかもしれません。
 そこで、今回は京都アニメーション事件の現場を訪問し、憎悪の炎にまかれた人々に哀悼の意を奉げつつ、人間の「憎悪の種」について考えてみました。
 


​ 憎悪が生み出す理不尽な犯罪​​

 美しい夢を紡ぐ人たちが理不尽な暴力によって命を失いました。
 2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオに男が侵入し、大量のガソリンを建物1階や従業員などにかけライターで着火した。爆発を伴う火災(爆燃現象)によって、死者は当初33名だったが、その後病院に搬送された負傷者が死亡し、その後、36名(10月4日時点)となってしまいました。 
 報道によれば京都アニメーションには数年前から作品への批判や社員への殺害予告が相次いでおり、その都度、警察や弁護士へ相談し、対処していたようですが、今回の事件との関係については分かっていないようです。
 放火殺人容疑者は警察官に取り押さえられる際、「パクリやがって」と声を荒らげたということですが、犯人が大やけどを負い、入院中なので詳しい動機は不明のようです。しかし、その言動から「見当違い」とはいえ強い憎悪感情(hate emotion)を京都アニメに抱いていた人物であったことは間違いないようです。

 
​​ 憎悪は脳の原始的領域から生まれる​​




 憎しみが生じるのは生物が古代からもっている生存の本能にあります。そのメカニズムは生物学、人類学、脳科学などの幅広い研究によって解明されてきました。
​​ 脳には原始的な領域(大脳辺縁系の偏桃体・図参照)があり、それは原始神経システムといわれ、自分を脅かすものに対する反応を司ります。その反応は瞬時に闘争か逃走に分けるはたらきをします。これに対して、知識と経験に基づく理性的な選択をする大脳新皮質こと、高等神経システムが存在します。​​
 闘争は外敵とたたかって生存を守ることであり、逃走は逃げることで生存を守ることです。闘争は憎悪を生み、敵を攻撃しますが、時にして自己に向くことがあります。生物のうち人間だけが自殺するのはそのせいだといわれています。
 この今回の犯人の憎悪行動には闘争するという側面と自殺するという側面が混在しているようです。


 憎悪の根源には敵意がある​





 私たちが恐怖でなく憎悪で反応する場合を考えてみましょう。例えば、毒蛇に遭遇した時には本能的に恐怖を感じますが、憎悪することはありません。しかし、それが鎌首を持ちあげて襲ってくる姿勢を見せた時、恐怖に襲われ、脳の​原始神経システム​が発動し、逃走もしくは闘争反応の引き金が引かれ、逃げるか、反撃するかを瞬時に選択します。
​​ 脳の原始神経システム「逃げ場のない状態に陥った時」に憎悪感情が理性的感情を抑え込み攻撃に打って出るのです。その瞬間、人間は憎悪の中に「しこり」があるのをはっきり確認できますね。それが敵意なのです。​​
 憎悪の中には敵意(憎悪の種というべきもの)が存在しているようです。この敵意は毒蛇に対するような個別的なものと歴史や社会体制のような抽象的なものに対しても発生します。今回の「京都アニメーション事件」は個人的憎悪のようですが、秋葉原無差別殺傷事件、大阪教育大附属池田小事件、相模原障害者施設襲撃事件などは、社会体制の歪が生み出した敵意により引き起こされた事件のようです。


​ 敵意が生み出す差別・偏見​​


2019_10月号ブログ絵解き4 


 人間はすぐに敵・味方を分けますね。この区分けは人間が生存するために必要な原始神経システムなのです。だから人間は家庭環境や社会的環境、教育によっては誰でも殺戮者になれる能力を持っているのです。だから戦争に行けば、どんなに優しい人でも一定の教育と訓練を受ければ人を殺すことが出来たのです。​
​ 部落問題でも「差別者」と「被差別者」に区分けを行います。この区分けも歴史的・社会的な知識と経験があれば高等神経システムにより、抑制力が働き「憎悪の種」にはなりませんが、子どもたちのように精神発達が未成熟な段階にあるうえに、知識や経験が乏しい場合、あるいは無知蒙昧な慣習や習俗の影響から抜けられない人たちは、この区分けを単純に「敵」と「味方」という図式に転化してしまい、「憎悪の種」を生みだす場合があります。​
 このことは麻生太郎さんが、野中広務元自民党幹事長に対して「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」(2003年)と発言したことや、「ネット差別」といわれる書き込み(極めて少数だが)を読むとよくわかります。その内容には「憎悪の種」が増幅し、敵意が発動していることがよくわかります。
 当然ながら敵意は「差別者」だけがもつものではありません。「被差別者」の方も強く持ちます。それが前記の「踏まれたものの痛みはわからない」「部落民以外は『差別者』だ!」という「憎悪の種」中に敵意は存在しているからです。


 「敵意」は共感のスイッチを切り、
 差別・偏見を受け入れる​​

 共感とは他者の考え方や感じ方を理解しようとすることで、それが正しいと認められなくても、最悪の敵に対しても相手の身になって考えようとすることです。そうした立場でいる限り、理解や和解の機会は生まれますが、共感が切れれば、攻撃性が発動され、ナチスが「敵」とみなしてアウシュビッツでユダヤ人を大量に殺戮したような想像を絶する無差別殺人に突き進むことも起こるのです。
 この共感のスイッチが切れると、脳は​原始神経システム​を発動し、「憎悪の種」は敵意の形をとり、その敵意が、「さまざまな刺激」で増幅されることにより、​​高等神経システム​​は抑圧され、理性的な働きは弱められ、脳は感情的な状態に置かれます。 
 その結果、自分の生存を脅かしたり、不利益を与えると感じる他者に対する攻撃を正当化するために、「ユダヤ人は劣等である」「黒人は知能が低い」「部落民は穢れている」など、非科学的で根拠のない差別・偏見を容易に信じ込むようになるのです。
​​ 公的権力や社会的権力がこうした脳の働きを利用して政治的扇動を行えば、国民を誘導することは可能なのです。フジテレビは政治評論家の櫻井よしこ​さんを頻繁に登場させ、隣国・韓国に対する「敵意」をやさしい声と言葉に包んでふりまきます。韓国大統領の文 在寅(ムン・ジェイン)さんは支持を維持するために韓国人の皆さんの「反日感情」を激しい言葉で煽ります。​​
 20世紀最大の殺戮者ヒトラーも、演説で最初は静かに語りかけ、聴衆を引き込んだあと、激しい言葉で煽りました。お芝居が上手な人ほど扇動も上手なようです。
 今、大切なことは日韓双方の国民が自分の敵意・憎悪を疑うことです。


 「憎悪の種」をまく部落解放運動は
 必要がない
​​

 地域人権連を卒業してから、「解放同盟」「地域人権連」という区分けを離れ、俯瞰で部落解放運動の歴史をたどると、同和特別法が制定されて以後は、部落解放運動は本来なすべき運動がほとんどできてこなかったのでないか?という疑問が生まれてきました。
 本来の部落解放運動は科学的な調査と研究に基づく地域住民運動理論の創造、それを学び、対話と交流、共同をすすめるための運動であり、敵意と憎悪に満ちた運動ではなかったはずです。特に、共同をすすめることは社会心理学の研究により、共通の目的を達成するために他者と手を結ぶと、「敵」「味方」の分断が消えることがわかっています。それが充分できなかった。
 有体に言えば、敵意と憎悪の運動への引き金を引いたのは「解放同盟」です。全国各地で暴力利権あさりを拡大するために、暴力的な「確認・糾弾」を濫用しました。その結果、国民の部落解放運動への共感スイッチは切れる寸前にありました。そうした危機を食い止めるために地域人権連は組織の全精力を注ぎこんで来たのです。
 こうした状況を国民はどう見ていたのでしょうか?「部落民同士の内輪もめ?」。
 しかし、これほど「解放同盟」の蛮行、違法行為が横行したとしても、驚いたことに、部落差別は着実に解消してきているのです。詳細な分析は別の機会に行いますが、この現象の背景には、社会構造として部落差別を残し支える必要がなくなったこと、様々な階層・分野において人権獲得運動が前進し、日本社会の基盤として人権意識が定着してきたことにあるようです。


「憎悪の種」をまく「人権・同和教育」をやめ、
「共同の教育」を​​進めよう

 「差別者」「被差別者」という区分けには「憎悪の種」が内包されています。その種の中には敵意が眠っています。当然ながら、それがすべて反社会的行動になるわけではありませんが、人間は「逃げ場のない状態に陥った時」に憎悪感情が増幅され、強い敵意となり、理性的感情を抑え込み他者への攻撃に打って出るのです。​
 子どもたちのように精神発達が未成熟な段階にあるうえに、知識や経験が乏しい場合、「人権・同和教育」(「解放学級」)は脳の​​​原始神経システム​を強化し、高等神経システムを弱め、科学的で知性的、文化的な生活意欲を弱めることになり、「極めて危険な教育」といえます。​
 心理学史の巨人といわれているスイスのピアジ(J.Piaget)は​生まれてから12歳までに恐怖、嫌悪・憎悪の対象を家族・親族、共同社会において教え込めば、立派な「差別主義者」の心理的基礎がつくられ、反対に愛情を注ぎ、家族・親族、共同社会を愛することを教えれば立派な「反差別主義者」の心理的基礎ができると指摘しています。
 今、子どもたちの教育で必要なのは、人間の理性を開花させるために「共同の種」をまく教育を創造していくことです。​共同の教育は複数の子どもたちが、対等・平等に同じ目的のために一緒に考え、行動し、責任を分担します。
 この思想は協同、協力、提携、連携、協賛、チームワーク、共催、共生に派生し、やがて平和へとつながるはずです。
  理不尽な殺人に心を痛めている皆さん。「部落差別」を解決したいと心から願う皆さん。一度、自分の心の中にある「憎悪の種」を見つめ、それを「共同の種」に変える努力をしてみませんか。


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参考文献
『ひとはなぜ戦争をするのか』A・アインシュタイン、S・フロイト・講談社
『感情はコントロールできる』G・D・マッケイ・創元社
『人はなぜ憎むのか』ラッシュ・W・ドージアJr・河出書房新社
『意識とは何か』苧阪 直行・岩波書店
『心理学のすべて』深堀 元文編著・日本実業出版社  

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​​​​​​​グローバル時代到来―「部落差別」は日本人の恥です ―著名な寺園敦史さんからお便りをいただきました―

​​​​​​​グローバル時代到来―「部落差別」は日本人の恥です
―著名な寺園敦史さんからお便りをいただきました―


地域人権連からの卒業​​
 昨年、安心・しあわせネットワーク神戸人権交流協議会(神戸人権交流協議会)は全国地域人権運動総連合(地域人権連)から規約に基づき円満に卒業させていただきました。
​​ 卒業の理由は、神戸市における同和対策が終結して22年が経過したため、「同和対策」の受給資格(「部落・部落民」)を意識したり、自覚する必要がなくなり、「部落・部落民」という共同意識が衰退し、「部落解放運動」の基盤が失われたことです。​​
 全国的に見ると部落差別の実態が基本的に解消しているのにもかかわらず、一部の自治体では依然として、「解放同盟」との癒着による同和対策、人権教育と称した同和教育を継続していますが、それは同和対策と同和教育がなくなれば、​住民の「部落民」としての自覚が維持できないためです。​
 「解放同盟」による「部落差別解消推進法」に基づく地方自治体での「条例」制定運動の本質は「解放同盟」の地位保全と組織維持のための運動なのです。
 ※「解放同盟」の皆さんも、こんな手練手管で衰退が止められないことはわかっているはずです。
 ​​馬鹿げたことですね​​​。​
 そうした「解放同盟」の批判勢力の中心として、地域人権連の役割は重要であると考えられますが、神戸においては、同和対策が終結してから長期間経過(22年)しているため、「反解放同盟」「反同和対策」を中心課題とする運動では、ほとんど地域住民が結集できなくなってしまいました。さらに、​神戸市から一文の「同和運動補助金」をもらっていない神戸人権交流協議会は組織を財政的にも維持していくことが困難になったのです。​
​ そこで、「井戸は枯れる前に新しい井戸を掘れ」という諺にならい、地域人権連を卒業して、部落解放運動の民主的伝統を基礎にして、市民の人権と生活を守るため、一般行政水準を引き上げるためのネットワーク型組織へと転換したのです。​
 あたらしい組織の重要な活動として、「部落差別解消推進法」成立の大きな根拠とされたSNSによる「差別言動」に対応するためにブログによる人権問題に関する発信を重要な課題としました。
 
孤立を恐れない人から激励​​
 そうした中、有名なフリーライター寺園敦史氏から心のこもった激励のお便りをいただきました。この手紙は単なる激励文ではなく、部落問題を解決するために孤立を恐れず真実を明らかにしてきた寺園氏の深い苦悩も書かれており、​新しい道を切り開くためには、勇気と決意があっても、一歩一歩、前に踏み出していくのは心細いものであることを深く理解され、孤軍奮闘する私たちに激励を与えてくれる寺園さんの温かい思いが伝わってきました。​
 そこで今回は了解を得て、その全文を掲載させていただきました。
​(神戸人権交流協議会代表幹事 森元 憲昭)​


​​ 寺園 敦史氏​​・フリーライター​​
部落問題と同和利権問題を主なテーマとして、『だれも書かなかった「部落」』 『同和利権の真相』(別冊宝島Realシリーズ)の編集に参加。そのメインライター。『脱常識の部落問題』(朝治武、畑中敏之、灘本昌久共編・かもがわ出版)や『「水平社伝説」からの解放』(朝治武、関口寛、黒川みどり、藤野豊共著・かもがわ出版)の企画、編集にも参加。 


 ぼくが京都市をはじめとする各地の同和行政に関する取材を開始したのは、1990年代に入ってからでした。当時の京都市の同和行政は、「不公正・乱脈」と評される典型的な自治体のひとつで、市議会において自民党議員も「全国最悪」と頭を抱えるほどでした。
 取材に着手した当時は、初めて出会う不合理な行政と運動の実態に、目をまるくすることの連続でした。ただ、しばらくすると、さらに奇妙なことに気がつきます。「不公正・乱脈」だと厳しく批判しているはずの全解連(全国部落解放運動連合会)が、批判する一方でその「不公正・乱脈」行政の施策を享受していることです。巨額の補助金やいわゆる市職員の「同和採用枠」などを最重要視する運動を行っていましたし、会員レベルでも「同和漬け」と揶揄される個人施策を受給している人は多くいました。「不公正・乱脈」行政に依存する実態にありながら、その行政を批判しているという現実があったのです。
 運動幹部の大半は現状を良しとしているわけではなく、なんとかしなければと考えているようでしたが、かといって、組織としても、個人としても、「不公正・乱脈」な施策を自主返上していこうという動きはほとんどなかったと思います。ぼくは発表する記事の中で、行政や部落解放同盟を(解同)批判することに主眼を置きながらも、全解連のこういった実情を指摘しました。これに対し、運動側の反応は、「寺園は部落問題がなんたるかの理解が浅い」「今返上などしてしまうと、解同に利することになるし、地域が混乱する」といったものでした。
 今だから言えるのですが、取材を始めた当初のぼくにとって、こういった反応は少々堪えるものがありました。やっぱり自分の理解が浅いからこんな指摘をしてしまうのだろうかとか、現実は理屈通りに割り切れないのは仕方ないことなのかと、けっこう真剣に悩むこともありました。
 そんなとき知ったのが、当時の全解連神戸市協議会だったのです。このホームページをご覧の方ならご存じのことかもしれませんが、神戸市協では、1980年代からすでに実態に合わなくなった同和施策の是正(その代表例が同和住宅の家賃適正化運動)および自主返上に取り組んでいたのです。理想論や絵空事ではなく、現実に同和行政の正常化・終結に向けて足を踏み出している運動があり、しかも実際成果を挙げている。この事実はぼくの取材活動を支え、確信を与えてくれました。
 その後、2000年代に入ってからですが、京都市の同和行政は大きく終結に方針転換します。もちろん、遅すぎた感はありますが、戦後、全国的に見ても最も重厚な同和対策事業に取り組んできた自治体の転換には大きな意味があると思っています。個別の事業・施策だけでなく、それまで運動団体の特権や特別扱いも廃止となりました。終結したり特別扱いがなくなっても、かつて、運動団体幹部が心配(?)していたような一方の運動団体に利することになったり、地域の混乱が生じることもありませんでした。
 ぼくは記事の中で何度か、この神戸市協の取り組みを紹介したことがありましたが、まだまだ不十分だったのかもしれません。広く市民運動全体に認知され、顕彰されて然るべきことだと思っています。そうなっていれば、一般の部落解放運動のイメージもずいぶん違っていただろうし、いまだに行政頼みの「解放運動」が容認されることはなかったのではないかと思っています。
 今後、インターネットを通して、神戸のみなさんが新たな刺激的な情報発信をされることを期待しています。















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消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥​​ ​​つくられた歴史認識―こわされる歴史認識

​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥​​
​​つくられた歴史認識―こわされる歴史認識​



 ​『朝日新聞』がまた失敗をやらかした。
 『朝日新聞』は元ハンセン病患者の家族に対する賠償判決に対して、「政府が控訴する方針を固めた」という記事を報道しましたが、その当日に政府は控訴を断念しました。
 『朝日新聞』は「従軍慰安婦報道―吉田証言」の取消、『週刊朝日』による橋下徹氏の「出自」を利用した人格攻撃記事、古くは八鹿高校事件を黙殺するなどの失敗を重ねてきました。残念なことですが『朝日新聞』の人権報道が信用できなくなってきました。
 戦後、部落問題をはじめ人権問題を取り上げ、大きく解決に貢献した『朝日新聞』の功績は認めなければなりませんが、それにしても失敗が多いようです。 
 私たちはこうした問題の発生の背景には、個別の人権問題の歴史性や基本的性格を分析し、解決方向を明確にするという主体性の欠如があることをご指摘させていただきました。これまで『朝日新聞』は自社の人権報道の理念を「被差別者や社会的弱者によりそう」ことであると、表明されてきました。「よりそう」という言葉は極めて温情的で慈悲深い態度ですが、見方を変えれば、自らの力に陶酔した傲慢な態度ともとれます。
 それゆえ『朝日新聞』が、「被差別者や社会的弱者」であると認める団体・個人に対しては無批判で過度な追随が行われ、それを正当化するために、予断や捏造、黙殺が生まれているようです。実際に、『朝日新聞』は私どものような「解放同盟」系でない弱小団体は見下げておられるようで、何度、「意見書」を出しても回答していただくことはありませんでした。
 それにもめげずに『朝日新聞』の購読を続けているファンとして一言ご忠告申し上げます。
 ​そんな姿勢でいるとまた失敗をやらかすよ。​
 



 歴史認識は社会的・政治的価値観でつくられる
 ​歴史は現在から見るものです。​
 それは『ドラえもん』のように時間をさかのぼって歴史的事実を自分の目で見て歩くことができないからです。さかのぼれたとしたら未知・未解明の事実が数多く発見され、歴史的事実についての解釈・理解が変化することは間違いありません。
 しかし、歴史認識は歴史的事実だけでつくられるものではありません。歴史的事実に対する「解釈・理解」は、その時代の社会的・政治的価値観に強く影響され、絶えず変化していくものであるという認識を持つ必要があります。ゆえに自分が歴史的事実であると認識していることでもしばしば間違っている場合があると疑うことが大切なのです。
 その典型例は、戦前の天皇は「現人神」(あらひとがみ)で、直視すると「目がつぶれる」とまで言われていました。「記紀」に基づき天皇制を絶対的な「神」の系譜として尊崇する認識ですね。当然ながら「人間が神様?」なんてことはありえませんが、当時の政府が日本国民に徹底して押しつけていた歴史認識であったのです。
 私たちが信じる歴史認識とは誠に危ういものです。この危うさの根源にあるのは、私たちは伝統的な常識・先入観を持たされ、家庭―地域―会社という「狭く閉じられた世界」で生活しているため、安定を求め、変化に対して拒否意識が強くはたらくからです。
 ​この傾向は封建時代におけるお百姓さんに似ています。​




 日本人の先祖はみんな百姓だった
 ​木曽路を歩きながら江戸時代のお百姓さんについて考えました。​
 江戸末期の日本の人口は約3300万人で、その80%以上はお百姓さんでした。支配者である武士は約7%だけでした。ですから父系制度的な視点でいえば、現在の日本人の先祖のほとんどはお百姓さんになりますね。
 江戸時代のお百姓さんの生活基礎は村でした。村は領主の代理として、名主―組頭―百姓代という村方三役が年貢の取立て、労役・雑役などの業務を肩代わり(村請制度)することで、一定の自治権を保障されていましたが、村方三役の組頭というのはお百姓さんを小単位に分けた5人組の責任者であり、5人組は村人の自治の基礎であり、お百姓さんの互助と相互監視を行う組織でした。
 この組織によって、領主の支配は末端まで行き届くようになっており、「百姓は生かさず殺さず」という苛酷な搾取・収奪を保障したのです。
 ​​​​こうした状況下における百姓の心理状態を推測してみると以下の通りになる​​​
①ひたすら権威に服従する。伝統や規則に従順になる。反面、強いもの、権威あるものに憧れる気持ちも強く、自分が他の人の権威になることを望む。
②ものの見方が主観的・一面的になり、権威的人格をつくる。
③上下関係の厳格な組織を好み、その中に身を置くことに満足感を持つ。
④権威により抑圧された敵意を、自分より劣る人に向けることにより発散する。
 ​黒澤明の映画『7人の侍』はこの特徴をよく描いていました。​
 ​この心理は現代の日本人にも受け継がれているようです​​​
​「現代の日本人の代表的な行動特性に、狭い人間関係の中での評価には非常に敏感であり、過剰なほどまわりに気をつかうという点があげられます。会社や学校などの小さな社会のなかで、自分の本心を隠してでも周囲から浮かないことを心掛け、場の空気を読んで行動し、集団の和を重視するのです」(『百姓の力』渡部 尚志・柏書房)​
 ​当たっていますね。​
 社会問題となっているいじめ自殺事件の背景にもお百姓さんの心理が受け継がれているのかもしれませんね。





 ​百姓は人間扱いされていなかった​​
​​ ​​木曽路の宿場の歴史をたどると、山峡の貧しい百姓の生活が想像できます。​​ ​​
 山間の狭い農耕地を耕して得た収穫のほとんどを年貢としてとられ、主食は米ではなく、粟・稗と蕎麦だったようです。 
 長子相続の時代ですから、家には後を継ぐ長男だけが残り、次男、三男は婿養子に行くか、年季奉公に行かされました。女は一定の年齢になるとほとんどが年季奉公に出されました。年季奉公というのは親が奉公先から金を借りて、その代償として子どもが期限つきで衣食住だけ与えられ、無給で働かされることです。 
 しかし、実際には借金が膨らみ、奉公の期限が延びてしまうことがほとんどで、一生ただ働きを続けなければならなくなるのがほとんどでした。もっとも、年季奉公が終わっても帰る場所はありませんからそれはそれでよかったのです。さらに、奉公人はしばしば雇用主からの暴力に曝されることがあり、まさに奴隷に等しい状態でした。
 年季奉公に耐えて、職人や商人として自立する人もいましたが、苦しさに耐えきれず逃亡したり、病気で放り出される奉公人は数多くいました。そうした人たちは江戸をはじめとする大きな城下町に集まり雑業についたようです。
​ ​「奉行は非人頭に命じて浮浪の者をかりこませ、もとの村へもどすのを第一にした。江戸で生まれた者や、体力があって役に立ちそうな者は、非人頭の配下にくりこむ。乞食でもって乞食を管理する。このシステムこそ、徳川独自の『非人制度』であった」(『江戸の貧民』塩見 鮮一郎・文藝春秋)
 非人の皆さんは、今日の時代でいえば社会的弱者といわれる人たちだったのです。


 ​​百姓女は人間として扱われなかった
​ 哀れなのは女でした。 ​
 木曽路の宿場にも「飯盛り女」がいました。宿の雑用と客の求めに応じて体を売る女たちがいました。彼女たちのほとんどは百姓の娘で、12歳頃になると年季奉公で宿場に雇われ、一定の年齢になると客を取らされたのです。
 「飯盛り女」は妊娠しても子供を産んでも育てる事は出来ません。流産してくれればそれは幸いなのですが、流産しない場合には生まれた瞬間に命は消えるのです。旅籠の男役が間引いていたようです。
 しかし、この間引きは一般的に行われていました。一般的な間引きは産婆さんが、出産後、産湯で溺れさせる、首を絞める、濡れた紙を顔に乗せて窒息させる、とかだったそうです。生まれた子が障害持ちということが分かった場合にも適用されました。これらの方法が常態化していたこともあり、農村においては自発的に人口調整がなされていたそうです。だから江戸時代の人口は3000万人から増えもせず、減りもしなかったといわれています。
 「飯盛り女」は苛酷な労働により病気になったり性病にかかり早死にし、投げ込み寺に捨てられ、無縁仏となるのが常であったようです。また、運よく生き延びても、老いて働けなくなったら宿から追い出され、路上で野垂れ死にする人たちも多かったそうです。
 ​木曽路の数多くの石仏はその供養に建てられたといわれています。​





 ​​「被差別民」という歴史認識は転換が必要だ​​​
​ ​「被差別民」は「部落民」ではなく百姓でした。​ ​
​ 人口の圧倒的多数を占めるお百姓さんは、前記のように武士からひどい差別を受け、搾取・収奪された最大の「被差別民」でした。しかし、今日では「被差別民」というのは「部落民」を指す言葉として一般化し、「差別者」に位置づけられているのは主にお百姓さんを先祖に持つ方々です。 いつ、誰が、こうした用語を創りだしたのかはわかりませんが、この認識では封建時代における基本的な支配関係とお百姓さんの置かれていた状態が欠落してしまいます。​
 なぜ欠落したのか? 
 それは、人口の圧倒的多数を占めるお百姓さんが、権力を持つ武士により抑圧された敵意を自分たちより少数の人たちに向けることにより発散し、自らの抑圧感を麻痺させ、自らが「被差別民」であることを欺瞞してきたからです。 
 これを心理学的に説明すると、人間は自己欺瞞に陥ると、無自覚な人間(自覚のない人)になり、自分の置かれている立場が自覚できなくなり、集団心理に誘導される行動をとるようになります。養殖のまぐろたちが、えさのイワシを追いかけている間は、自分たちが囲いの中にいるのを忘れるのと同じです。
 「被差別民」という言葉はお百姓さんの妄念を源泉に創られたようです。
 学校の歴史教育において、「日本国民のご先祖様」であるお百姓さんの歴史が充分な時間をとって教えられ、お百姓さんが悲しい「被差別民」であったことと併せて、「部落民」の歴史が教えられていたとしたら、お百姓さんの末裔たちは、もっと早く「部落民」は自分たちの仲間だったということが認識できたはずなのです。
 ​認識は事実の解釈・理解の方法によって変わるのです。​
​※参考文献・『江戸の貧民』塩見 鮮一郎・文藝春秋、『百姓の力』渡部 尚志・柏書房、『やまなみはるか歴史の道・日本の街道』・集英社、『身分差別社会の真実』斎藤洋一、大石慎三郎・講談社、『日本の歴史をよみなおす』網野善彦・ちくま学芸文庫他。​

差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​―若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する―

​​​​差別とたたかえる人
差別をもてあそぶ人


-若一光司さんと長谷川豊さんの
人権認識の落差を検証する-​





1、作家・若一光司さんから学ぶべきこと​ ​


 読売テレビ(大阪市)は10日の夕方放送した報道番組「かんさい情報ネットten.」のロケ企画で「男性か女性かどっち?」と、漫才コンビが一般市民に確認する映像が放送されました。その放送中に、同番組でコメンテーターをしている作家の若一光司さんが「許しがたい人権感覚の欠如」と内容を手厳しく批判したことで、大きな問題となりました。 
 その内容は「迷ってナンボ!」と題するコーナー。大阪市内の飲食店の関係者から「常連客の性別がわからない」との話を聞き、客本人に「性別はどちら」「彼女は?」などと質問したり、保険証の性別欄を確認したり、「おっぱいあります?」と尋ね、胸のあたりに触れたりしたものでした。
 映像を見た若一さんは「個人のセクシュアリティーにそういう形で踏み込むべきじゃないです。そんなものをよう平気で放送できるね。どういう感覚ですか、これは報道番組として問題。ご本人がテレビに出ることを了解していたとしても、個人のセクシュアリティーに関してそういうアプローチをすること自体が、人権感覚、人権認識にもとります」などと厳しく批判しました。

​​ この問題の大きな教訓は、​​​
​①放送されている現場において放送内容が著しく人権侵害に当たることを直接指摘したことです。若一さんはこの番組のレギュラーであり、常識的(自己保身的?)にいえば局との対立は避けたいはずでしょうが、それを顧みず、人権侵害は絶対に許さないという立場で発言されたことです。​
②セクシャルマイノリティーの人の一部がバラエティ番組において人気を集めている風潮の中でも、自己の性向に悩み苦しみ自殺したり、社会的にも差別され、排除されるなどの人権侵害を受けている人たちがいることを注意喚起されたことです。
③LGBT問題を解決するのは国や自治体、企業・マスメディアだけの課題ではなく、個人の課題でもあることを進んで提起されたことです。
 若一さんから学ぶべきことは、人権を守るということは、人権侵害を受けている人たちの側に立ち、いかなる権威・権力に対しても堂々と意見を述べられる「強いやさしさ」を持つことの大切さです。


​​※愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることを畏れる心である。​​​​
​倉田百三(『愛と認識の出発』岩波書店)​



​2、読売テレビの「体面よりも人権」という姿勢もすごかった​​

 読売テレビ総合広報部は「プライバシー情報に関する不適切な取材だった。視聴者並びに関係者の皆さまに深くおわびします。事態を重く受け止め、再発防止に向けて取り組む」と謝罪し、翌日の当該番組でもキャスターおよび担当者が同趣旨の謝罪しました。
 「取材をうけた当人は嫌がっていなかった」「本人がええというてるからええやん」という意見もある中、読売テレビはセクシャルマイノリティーが置かれている社会的状況を正確に踏まえ、時間をおかずに「不適正な取材であった」と結論づけ、謝罪しました。番組出演者からの批判という不手際、報道機関としての体面にとらわれることなく、率直に謝罪した読売テレビの人権擁護の姿勢には凄味さえ感じました。
 このブログの筆者は毎週水曜日放送の「若一調査隊」と「まちかどトレジャー」は見ているので、「若一調査隊」の今後の動向が気になっていましたが、予定通り何事もなく放送されているのを見て、安心しました。
 できれば早くお笑い芸人の「藤崎マーケット」さんにも再登場していただきたい。コンビの一人、田崎佑一さんは腎臓がんで手術し、復帰してから健気にがんばっています。一方の相方トキさんは田崎さんが入院している時には一人で取材に行き、まわりに「面白くない。面白くない」とこき下ろされながら番組のコーナーを支えてきました。その健気な姿を見ていたのでお気の毒しかいいようがありません。(相当の「ten.」ファンか?)
 今回の件はバラエティ番組の風潮に乗せられたことから発生した過ち、若一さんにしっかりと怒っていただきぜひとも再登場していただきたい。






3、元フジテレビアナの長谷川豊さんの無知な発言

 夏に行われる参議院選挙(比例区)で日本維新の会公認での立候補を予定していた元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さん(43)が、講演で部落問題に関して差別的な発言を行ったとして、テレビ・マスコミで取り上げられています。
 長谷川さんは東京都内の講演会で「日本には江戸時代にあまり良くない歴史があった。士農工商の下に人間以下の存在(穢多・非人)がいた」と切り出し、「でも人間以下と設定された人たちも性欲などがある。当然、乱暴などもはたらく」と決めつけ、「被差別民集団が女性や子どもを暴行しようとしていた時、侍は刀で守った」と続け、当時差別を受けていた人々が集団で女性を暴行していたという内容の発言をしているのです。
 毎日新聞などによると、部落解放同盟中央本部の組坂繁之委員長は5月21日に日本維新の会の馬場伸幸幹事長に「歴史的事実を無視し、差別意識を助長する行為」とする抗議文を出したといいます。

​​長谷川さんは5月22日付の自身のブログで、以下のように謝罪し、発言を撤回した​
①「江戸時代を含めた中世・近世の身分制度について、きちんとした知識を有しないにもかかわらず、安易に『一部の身分の被差別者を犯罪集団だった』と言及したことは、『差別の助長』『差別の再生産』を聴衆の皆さんにもたらす弁解の余地のない差別発言です」
②「私自身の『潜在意識にある予断と偏見』『人権意識の欠如』『差別問題解決へ向けた自覚の欠如』に起因する、とんでもない発言です」
③「人間としてあってはならないことを犯してしまい、慙愧の念に堪えません。この発言を全面的に謝罪するとともに、完全撤回させてください」

​発言した内容もお粗末ですが謝罪内容もお粗末でした
 長谷川さんの講演内容は部落の歴史を少しでも学習した人からいえば噴飯ものですね。昔の勧善懲悪の時代劇のように創作されたお話しですから聞きようによっては面白いかもしれませんが、弄ぶような誤った歴史認識を流布することは部落差別を解消するために苦労してきた方々の心を踏みつけるものですから放置しておけません。
 尚、長谷川さんが使用している被差別民というのは「部落民」をさしますが、読者の皆さんが混乱しないように、長谷川さんと同じ表現を使用します。

​長谷川さんの発言と謝罪の問題点​
①長谷川さんは被差別民を犯罪集団のように描いていますが、それを裏付ける歴史資料はありません。むしろ、被差別民の主な仕事は刑吏(けいり=牢屋の見張り番)や山番、水番、祭礼の際での「お清め」の役、各種芸能者の支配、草履作りとその販売などの、現在で言うと、下級官僚などのさらに下位の下請け的役割などもしましたので「長吏(ちょうり)」とも呼ばれる場合もありました。むしろ権力の手先として犯罪を取り締まっていたのですね。(これは農民からはきらわれる。)​
​②長谷川さんの言う「江戸時代には士農工商の下にエタ(穢多)・非人があった」というのは、分裂支配を強調するための縦型の身分認識です。一昔前まで学校教育において間違って教えていた江戸時代の身分制度の仕組みです。​
​ 現在の身分制度についての考え方は、​士の下に横並びに農・工・商があり、その他に賤業に従事するエタ(穢多)・非人などの被差別民がいたという横型になっています。​一度、試しに士・被差別民・農・工・商と読んでみて下さい。感覚が変わります。​
​​ 被差別民という概念は、古代社会の無知・蒙昧が生み出した特殊技能集団に対する忌避意識、それが長く続いた身分社会である封建社会の中で形成されたもので、現代的価値観から言えば、被差別民の皆様には誠に気の毒としかいいようがない理不尽な差別であったのです。​​
③今回、長谷川さんは自ら差別発言であったとことを認め、全面謝罪していますが、その理由は「『差別の助長』『差別の再生産』を聴衆の皆さんにもたらす」からだそうですが、聴衆は無知ではありません。
 ​​
​​​長谷川さんの話しをそのまま信じる人は少なく、むしろ「これは間違っている」と考えた人がいたからSNSで流され、批判にさらされることになったのです。(若一さんは増えている。)
④一般的には差別発言が本当に歴史的事実に対する無知から来ている場合、指摘を受けた当人が反省し、学習すれば決着することですから、マスメディアがおおげさに取り上げるような問題ではありません。 
​ しかし、長谷川さんは維新からの立候補予定者(現在公認停止中)、半ば公人。当然ながら部落の歴史に無知であってはいけませんね。さらに、いくら「駄法螺を吹く」にしても、それが人権侵害を派生させる危険があるかどうかが予想できないような幼稚な精神構造の持ち主であってもいけません。​
​⑤長谷川さんの謝罪文には重大な欠落部分(意図的か?)があります。講演で参議院選挙の政治的争点にもなってない被差別民を脈略も無しに、唐突に攻撃した動機はなんであったかが明確にされていません。​
 ​特に維新の創立者の一人、橋下徹氏(当時大阪市長)に対する『週刊朝日』の理不尽な「出自攻撃」は知っているはず。それを知りながら敢えてこんな発言をした動機と目的は何か?​


​4、侮辱的な言動は人間社会を破壊する​

​ 改めて、差別発言とは何か?考えてみましょう。​
​​ 差別とは、特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為であり、正当な理由なく不利益を生じさせる行為のことです。差別発言とは、​特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる発言のことです。​​
 こうした差別には意図的に行われるものと、無知・蒙昧の結果、生まれるものがありますね。
​①意図的に行われた最近の事例は橋下徹氏(当時大阪市長)に対する『週刊朝日』の理不尽な「出自攻撃」です。これは『週刊朝日』が橋下さんに全面謝罪して終わりましたが、依然として『週刊朝日』の真の目的とその背景は解明されていません。 ​
②無知・蒙昧から生まれる事例は「ネット差別」と総称される中に多いようです。「私の夫が部落民だったらどうしょう?」「好きなタレントが部落民だったらどうしょう?」という類の言動です。 しかし、こうした記事をよく読むと、かつての「3K同和教育」と誤った部落解放運動が与えてきた恐怖印象が原因となっているものが多いようです。
​​③最も差別発言として使われるのが「穢多・非人」という用語です。これは封建社会で生まれた身分制に基づく侮辱語であり、基本的人権を基調とする現代社会においては、​地域や個人と結びつけて使用することは許されません。​なぜなら、「部落」の人たちの基本的人権を侵害する恐れがあるだけでなく、​それによって、人権尊重を基調とする社会を分断し、国民間に無用な対立を激化させる危険性があるからです。​​​
④「穢多・非人」という用語も歴史的事実を説明する場合、あるいは差別を無くす目的において使用される場合は差別とはなりません。また、部落差別が基本的に解決した段階においては、社会生活においては死語となり、当然ながら「部落民」という自覚と被差別体験もなくなります。その結果、​それが目前で使用されていたとしても侮辱語としての効果はなくなるからです。​

 以上の観点から、差別発言および差別行為として成立する構成要件は次の通りになります。

①特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせた時。(実害の発生)
②特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる意図や目的がある場合。(実害の確証)
③特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる可能性がある場合。(実害の予見)
 一度検討してみて下さいね。





5、「人の道」が理解できない日本維新の会の議員たち

 日本維新の会は社会的的弱者を切り捨てる差別思想を本質的に持っている人が多いようです。
 長谷川さんは今回は「部落」に対する差別意識があったことは「素直に」認めました。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」(長谷川自身のブログ・2016年)と、人工透析患者の命をコストでしか見ない非人道的な記事を書いて国民的批判を浴び、透析患者の団体である一般社団法人全国腎臓病協議会から撤回と謝罪を求められても拒否しています。もし、今回の謝罪が「解放同盟」は怖いから、維新の公認停止が怖いから全面謝罪し、腎臓病団体は怖くないから謝罪しないとしたら、 
 ​この人は最低・最悪です。​

 ​他にも最低・最悪な人間はいますね。​

●丸山穂高衆議院議員(日本維新の会から除名処分)は北方4島の返還に関し、「戦争しないと」などと元島民代表に詰め寄り、回答をしつこく求めました。
 元島民から「ロシアと戦争してでも返還を実現したい」という言質をとり、平和的外交による領土返還運動をヒステリックな民族主義的運動に転換にしようとする意図があったのかもしれませんね。当然ながら元島民は誰一人同調せず、「戦争は必要ない」と一蹴しました。
 「国会議員辞職」の声は日本中に渦巻いていますが、丸山議員は国会の事情聴取を「適応障害」を理由に拒否していますが、本当に「適応障害」の人たちは怒っているそうです。。
●杉田水脈衆議院議員、今は自民党議員に在籍していますが、もともとは維新出身。「男女平等」は「反道徳の妄想」などという主張を繰り返し、LGBT(性的少数者)を差別する論文を月刊誌に投稿して大問題となりました。
●維新の創立者である橋下徹さんは大阪市長を勤めている時、旧日本軍の「慰安婦」問題にかかわって「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と暴言を放ち、世界中から批判を受けました。
●現在の維新の代表松井一郎さんも沖縄県の東村高江の米軍ヘリパット建設現場の警備に派遣されていた大阪府警の機動隊員が、建設に反対した住民に「土人」「シナ人」と差別的発言を投げつけたことを不問にするどころか「出張ごくろうさん」と慰労しています。

 政党や議員には政治に対する主義・主張があって当然です。でもその基礎には、前記の若一さんのように我が身を犠牲にしても、「人の道」を尊ぶという決意がなければなりませんね。
 ​「人の道」とは人間の命は絶対的に平等であるということです。​
 キリスト教は、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿しているといい、仏教でも人間には平等に仏性があるといいます。つまり、神仏の前では人間は平等なのです。
 さらに、人類は長い権利獲得闘争の歴史を積み重ね、その平等が現実社会においても法的に保障される社会を実現したのですから、政党や政治家は絶対に「人の道」を守らなければならないのです。
 残念ながら維新の議員たちには、​この「人の道」がなんであるかを心から理解されている方が少ないようです。​


※阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。

​​芥川龍之介『河童』(集英社)​​​​​​​​​​​​

部落に関する意識調査の原理は「オレオレ詐欺」に似ている

​​​​​部落に関する意識調査の原理は
「オレオレ詐欺」に似ている​​​​​​





​ ​はじめに​​

 人間には、それぞれ生育環境や人間関係によって、「思考の偏り」こと、「認知バイアス」の違いが生まれます。「認知バイアス」は個人特有の色眼鏡のようなものです。人間はその色眼鏡を通して、相手を判断しますから、好き嫌いにおのずと他人とは違う個性がでてきます。
​ 個性は大切ですが、心理学者のアドラーはこの色眼鏡認識には5つの誤り(青字部分)が生じる危険性を指摘しています。 ​
 この5つの誤りを部落問題と関連づけていえば以下の通りになります。
​①決めつける​―部落問題は苦しい。悲しい。希望が持てない。​
​②誇張する​―将来、絶対差別される。絶対結婚できない。​
③見落とす―差別的偏見のない人が存在しているのに気づかない。​
④過度の一般化―「部落民」は怖い。​
⑤誤った価値観―「部落民」は穢れている。​
 これまで全国の自治体で行われてきた意識調査の多くは、国民や市民の部落に対する差別認識の状態を把握するためにおこなわれてきたものですが、その調査は個人の「認知バイアス」と国や自治体が与える誤った情報によって左右される危険性については全く指摘していません。
 意識調査が個人の持つ色眼鏡を意図的に利用し、設問と選択肢によって調査協力者の心理そのものを誘導しているとしたら、その結果は、現実からかけ離れ、実態のない「偏見」(心のゴースト)を創りだす、「部落差別」解消に役に立たない有害なものになります。

1、部落に関する意識調査にはトリックがある​

 真面目に人権・同和教育や啓発を推進している方には誠に失礼とは存知ますが、神戸市をはじめ全国の市民意識調査を閲覧していると、その手法が、今社会問題となっている「オレオレ詐欺」と重なることに気づいてしまいました。
 そこで神戸市が5年ごとに行ってきた市民意識調査(対象は、20歳から80歳以上、郵送)の結果を参考に検証させていただき、問題提起をさせていただきます。
◯次の資料を確認してください。これは神戸市の行った市民意識調査の結婚に関する質問に対する回答を集計し、結果を円・帯グラフにしたものです。






  いかがですか?この調査の設問は「あなたのお子さんが結婚しようとしている相手が、同和地区の人であるとわかった場合、あなたはどうされますか」という質問です。​
 この円グラフを比較すると、
●5年間で「どちらかといえば家族の意見」と「明らかに家族の意見」が合わせて9.9%から12.8%に増加しています。
●「当人同士の意見」と「どちらかといえば当人同士の意見」の合計は85.4%から81.9%に微減しています。
 ​これを数字の通りに理解すれば、同和対策や人権教育・啓発はほとんど効果がないばかりか、逆効果ということになりますね。​
​​ 神戸市は同じ質問をしても同じような回答になると考えることを恐れてか、神戸市は「2005年調査」(1986年調査から19年後の調査)では、設問を「あなたが結婚する相手が、同和地区の人であるとわかった場合」に変えました ​​
 その結果が次の帯グラフです。




①「自分の意思で結婚する」と「家族や親族の反対があっても-結婚する」を合わせるとなんと47.3%しかありません。
②家族や親戚の反対があれば結婚しない。結婚しないが合わせると20%近くなります。
③「わからない」が27.9%もあります。
 19年前は「どちらかといえば当人同士」と「当人の意思」を合わせると85%以上あったのになぜこんな数字になるのか?
 ​賢明な皆様にはこの変化の理由はすぐに理解されているはず。​
 この調査では「あなたのお子さん」が「あなた」となり、結婚すべき主体が明確になっているのです。その結果、選択肢も「どちらかといえば」などという曖昧な回答をやめざるを得なくなり、選択肢がより現実的になったからです。
​​ 2005年まで行われてきた調査は市民の意識を正確に把握してきたものではなかったことになりますね。「これは大変だ!差別がきびしくなっている」「同和対策も人権・同和教育も役立っていなかった」ということになりますね。​​
 でもご心配なく、​市民意識調査調査にはトリックがあるのです。​




◯第1のトリック・調査協力者は送られてきた依頼文と調査表を見て、以下のような認識を持つ
①「部落差別」をなくすための調査であると認識する。(「認知バイアス」の覚醒)
②「部落差別」について見聞した記憶がよみがえる。(主に小・中の同和教育)(「宣言的記憶」の覚醒)
③「部落差別」の存在を権威ある国や自治体が保証していると錯覚する。(「元型」認識)
 ※こうした認識は複合的なものであり、順序だてて派生するとはかぎりません。
​●調査は「3K部落問題」(《K》苦しい。《K》悲しい。《K》希望が持てない。)をまず認識させます。すると、「部落の人」と「あなた」が結婚するというハードルは当然ながら高くなることになります。そうです。第1のトリックは心理誘導です。その結果、「あなた」が「部落」に対する認識(偏見)を持っていようがいまいが、調査依頼・調査票を見ると「部落の人」との結婚を忌避したくなるはずです。それでも「絶対にしない」という人が8・4%しかいないというのはむしろ意外に少ないのかもしれません。​

◯第2のトリック・協力者の大半は「適齢期でない人」である​
①この調査は20歳以上80歳以上を対象として行われている。
②「結婚をする人」の対象となるのはせいぜい20代から30代の終わり頃である。
③50代から70代の人に「結婚するかどうか」聞いても仕方がないはず。

​●そこでこの調査集計表から結婚適齢期である20代、30代だけを取り出して回答を見ると、​
 ​「自分の意思で結婚する」と「家族や親戚の反対があっても、できるだけ理解を得て結婚する」を合計すると以下の通りになります。​
①20代男性では67.2%
②20代女性では67.3%
③30代男性では62.4%
④30代女性では51.3%
​ どうですか?20代の男女では「結婚する」という人が70%ちかくになるのです。全体の平均から見ると20%も高くなるのです。そうです。なぜ適齢期だけを調査の対象にしなかったのか? これは、「差別がきびしい」という先入観を補強するための調査だからのようです。ここでは社会心理学でいう「確証バイアス」という都合のいい情報だけを集めて、先入観を補強するトリックが使われています。 ​
 

​◯第3のトリック・「わからない」を消極的回答に位置づけている​
​​​​​​ 部落に対する偏見を持たない人たちにとっては、調査で「部落差別」が存在することを前提に、「あなたは部落の人でも結婚するか?」と聞かれたら、当然ながら「わからない」となります。さらに、男女とも40歳以上の年齢層も調査対象になっていますから、「わからない」と答える人が一定数存在するのは当然なのです。ゆえに「わからない」というのは否定的回答と解釈すべきでなく、むしろ「考えたくない」「どうでもいい」という認識から出ている選択と考えるのが妥当であると考えます。​​​​​​

​この「わからない」を前記の数字に加えると以下の通りになります。​
①20代男性では67.2%+わからない21.9%=89.1
②20代女性では67.3%+わからない17.8%=85.1
③30代男性では62.4%+わからない21.2%=83.6
④30代女性では51.3%+わからない30.0%=81.3
​ 「わからない」を「結婚する」に入れると、20代30代の数字はすべて80%を超えるのです。さらに、「1986年神戸市民意識調査」も「1991年神戸市市民意識調査」も、「どちらかといえば当人同士」と「当人同士」を合計すると80%を超えているのです。 ​
 この傾向は神戸市に限らず福岡市など政令都市の市民意識調査結果にも当てはまるようです。興味と時間のある人は一度確認してみて下さいね。

◯これは大変!同和対策も人権・同和教育も役立っていなかった​
​​ こうした視点で分析すると、​もう「部落」に対する偏見は19年以前から基本的に解消しているようですね。​もし、この指摘が誤っていると言うならば、これから行う市民意識調査の質問の中に、​「部落差別はほとんどなくなりました。あなたは相手が部落の人とわかった場合、あなたは結婚しますか」​という項目を入れてみて下さい。​​

●市民意識調査のトリックを読み解けば以下の結論が出てきます。
①19年間の調査結果はほぼ同じであることから、部落に対する偏見はほぼ解消している。
② 19年間の同和対策、人権教育・啓発、部落解放運動は無意味であった。
③同和対策、人権教育・啓発、誤った部落解放運動の継続は「部落差別」を再生する。
④「部落差別解消推進法」に基づく市民意識調査は無意味である。 




​2、市民意識調査は「オレオレ詐欺」と同じ原理で意識誘導されている​​​

◯人間の心理は誘導できる
 人間の心理は誘導できることはご存知ですね。例えばマジシャンは観客の心理や脳のクセをうまく利用して人をコントロールします。「この中からお好きなカードを1枚、選んでください」と言って、相手に選ばせているかのように見せかけて、実はマジシャンがコントロールし、思惑通りのカードを選ばせていますね。これを心理誘導と言います。
 国および自治体は自らの権威を利用し、市民意識調査によって国民や市民の心に「部落」に対する偏見が存在することを証明するために、個人の「部落」に関する記憶および感情を呼び起こすための選択肢を意図的に作成し、選ばせています。広い意味でいえばこれも心理誘導になります。
 この心理誘導を犯罪に利用しているのが、「オレオレ詐欺」です。

​​​◯心理誘導は言葉によって行われている​​​
​ 聖書に「最初に言葉ありき」とあるように人間の意識は言葉により支配されています。有名な心理学者ユングは無意識の中心には「元型」という証明の難しい概念があるとし、その「元型」は時空をこえ、すべての人類が共感する言葉による物語の素になり、人類共通イメージが作り上げられていると主張しています。​
​​ その人類共通イメージが基礎になって作られるのは神であり、国家であり、法律などの権威や権力です。当然ながら家族や家族愛なども入ります。「オレオレ詐欺」にはこの人類共通イメージが利用されています。​​
 その原理は心理学・社会心理学という領域を越えて、ユヴァル・ノア・ハラリ(『サピエンス全史上・下』の著者)が指摘するホモ・サピエンスの脳の進化という視点からみても、脳と意識の関連が大きく解明されている脳科学によっても証明されつつあります。

​◯「オレオレ詐欺」の誘導手法
​ 人類共通イメージを子どもが大好きな『ウルトラマン』で分かりやすく説明しますと、①地球は最も大切なもの(宝)である②それを破壊するのが侵略者(悪)である怪獣③それを助けるのが『ウルトラマン』(正義)となります。世界の童話や民話はほぼこのパターンでできていますね。​
●「オレオレ詐欺」の誘導手法
①家族愛―家族は危害・迫害を加える者から守るべき大切なものである。
​          (宝が悪に奪われようとしている)​
②権威・権力―弁護士や警察官、行政職員は信用できる、信用すべきもの。
​          (正義の味方が助けに来てくれた)​
 そして、道具として電話が使用されるため、相手のリアル性は捨象され、①と②だけで回答を迫られる。

○市民意識調査の誘導手法​
 一般的に「部落問題」については、市民生活において日常的に意識され、選択を迫られるという問題ではありません。よほど「部落」に「関心」がある人以外は、学校や職場における人権教育・啓発や研修で知り得た記憶しかないのがほとんどですから、「オレオレ詐欺」原理を使えば誘導は簡単にできますね。
①家族愛―結婚することで「部落差別」に巻き込まれる恐れ。
​            (宝が悪に奪われようとしている)​
②権威・権力―調査の主体が権威ある国や自治体が行うことで、差別が存在することを信じ込む。
​    (正義の味方が言うことにまちがいない)​
 そして、非現実―調査表に書き込むだけなのでリアル性が捨象され、①と②だけで回答を迫られる。





​​​3、部落に対する「偏見」を調査するのは無意味である​​​

​◯「部落差別はほとんどなくりました」という市民意識調査はできない​
​​​​​​​​​​​​ 当ブログでは、これまで心(脳)への「恐怖条件づけ」が偏見を生むことを検証してきました。

(恐怖条件付けについては過去記事参照:リンククリックで開きます)

​​​​​​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト③​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する ​http://jinkenren.blog28.fc2.com/blog-entry-33.html​​​​​​​​​​​​​​
​​
消えゆく「部落民」―心のゴースト④​​​​ ​ネット規制―あなたの「差別と偏見」が国家支配に利用されるhttp://jinkenren.blog28.fc2.com/blog-entry-35.html


 
 特に、「部落差別」の解消段階を無視した人権教育・啓発、誤った部落解放運動は百害あって一利なしであることが、部落に関する市民意識調査を分析する中でほぼ明確になりました。​
​​​​
 もともと政党支持や政策選択に関する調査とは違い、人間の捕まえどころのない内心を調査するのは困難であることはいうまでもありません。特に偏見が差別行為に転換するかどうかは社会条件や人間関係によって縛られるもので、調査結果で「結婚しない」という回答が10%ちかくあったとしてもそれは直ちに現実化するものではありません。

◯市民意識調査は「部落民」という心(脳)のゴーストを生み続ける​
 これまでのような市民意識調査を続けている限り、少数とはいえ「部落」に偏見を持つ人がいることが確認できるでしょう。内心にある偏見は「差別は存在する」という現実に転化させられ、それが「部落民」という心(脳)のゴーストを生みだします。
 「部落民」―心(脳)のゴーストとは封建社会においてではなく、新しい差別を創る培地(細菌を育てる場所)である人権教育・啓発、誤った部落解放運動、それに追随するマスコミが創りだした現実を超越した存在のことです。 
 それは脳内のシミから生まれる虚構であり、本来、実態のない「部落民」という幽霊のことです。特に「ネット社会」ではこの幽霊にとらわれた人たちが加害者となり、被害者となるのです。​

​◯「ネット差別者」をなくすより「部落民」を無くす方が先だ​
​ 「部落差別解消推進法」は法的基盤である「部落差別」が基本的に解消しているにも関わらず制定されました。この法律は「ネット差別」を根拠にしていますが、同和特別法が失効し、組織や活動が衰退に瀕している部落解放同盟をはじめとする運動団体の社会的地位保全、あるいは救済法というべきものです。 ​
 その根拠は自治体や公共団体との癒着、運動団体への補助金を正当化し、継続するためのもので、実際に全国の自治体を見ると、運動団体の事務所が公共団体にあったり、活動費への助成が行われています。
 「ネット差別」というのはほぼ口実にすぎません。本当に「ネット差別」をなくすならば、「ネット差別者」を無くすより先にしなければならいことがあります。それは「部落民」を無くすことです。 
 そのためには「部落民」を前提とする同和対策、人権教育・啓発、誤った部落解放運動を速やかに解消することです。
 では仮に部落差別に遭遇したら? その時は裁判所に訴えて下さい。




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