fc2ブログ

この映画が賤称語を広げる契機にならないように注意してください 新映画『破戒』は「部落民宣言」を奨励している

この映画が賤称語を広げる契機にならないように注意してください
​新映画『破戒』は「部落民宣言」を奨励している​


 ​​はじめに​​

 全国水平社創立100周年記念映画製作委員会製作の東映映画『破戒』(製作統括・組坂繁之部落解放同盟中央本部前委員長)を観せていただいた。
 私たちはこの映画が「解放同盟」の肝入りで、「告白」(「部落民宣言」)の意義を宣伝することを目的に製作されたのではないかという疑念を持っていたが、そこは映画のこと、観てから評価するのが原則だから封切と同時に事務局員(4人)全員が観に行った。

 『破戒』は一作目は木下恵介監督(1948年)、二作目は市川崑監督(1962年)で映画化された。いずれの作品もこの記事を書くために改めてDVDとネットで観賞させていただいた。これらの両作品は白黒であったせいか暗く重苦しく、父親の「戒め」のもつ深淵な意味が極限まで描かれていた。一方、新映画『破戒』はカラーで画面は明るく、父親が丑松に「戒め」を与える場面は短く、軽い。そのためか、前作のような「戒め」に恐怖感はなく、この種の映画ではありがちな重厚感はなく、気軽に映画を最後まで観ることができた。
 「内容が浅くないか?」と、若い事務局員に聞いたら、「やたらに暗くて重い時代劇映画は受けないからです」と言われてしまった。「時代劇?」、確かに小説『破戒』が出版されて110年以上も経っているのだから、今の若者からいえば新映画『破戒』はチョンマゲの無い時代劇のようなものなのである。
 水平社100周年を記念して「解放同盟」は差別規制法を課題として掲げ、マスメディアも一斉にそれに同調している。新映画『破戒』も超人気若手俳優を揃えることで部落解放運動に広く国民の耳目を集めるために製作されたことは間違いない。さらに、この映画をよく検討すると、小説『破戒』の主題を歪めるような新場面が挿入され、必要でもないのに賤称語が使用されていることに気づく、もし、この映画を契機として賤称語が独り歩きしたり、何の前提もなく自由に使用する道が開かれるとしたら国民の分断は大きく広がる危険性があるのだ。
 お断りしておきたい。この記事は新映画『破戒』を観るなという意見を発信しているものではない。観ることで自分の部落問題に対する見識を高めていただくために発信させていただいているので、できれば原作を読み、すべての映画『破戒』を観て、ご考察願いたい。







​​​小諸城(こもろじょう)の青松​
小諸城は長野県小諸市にある日本の城祉である。
「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ」(「旅情」)ではじまる有名なこの詩は藤村が愛した小諸城祉から見た景色を思い浮かべながら創作したといわれている。
藤村はよくこの城址を散歩し、詩想や小説の構想を練ったといわれる。
城祉は城下町である市街地よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことができるが、城の西端に行くと展望台があり、その下は断崖となっている。そこからゆるやかに流れる千曲川を見下ろすことができる。
​​



​1、映画『破戒』にみる苦悩と「告白」

※「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと決してそれを自白(うちあ)けるな、一旦のいかりかなしみにこの戒めを忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え」 
                (丑松の父の戒め・小説『破戒』第一章)

 「告白」という言葉の意味は秘密にしていること、心の中で思っていたことを、ありのまま打ち明けることである。特に人生を左右するような重大な秘密を吐露する時に用いられている。キリスト教では自己の信仰を公に表明すること。また、自己の罪を神の前で打ち明け、罪の許しを求めることである。小説『破戒』の「告白」は「部落民」であることが原罪かのように扱われ、丑松の「告白」は「懺悔」のように扱われていることを既に指摘した。
 市川崑監督の『破戒』では冒頭シーンに、暴れ牛の角に刺され死ぬ父親の姿。葬式にかけつけてきた丑松の叔父が父親の「戒め」を語ることで、「戒め」を破り「告白」することの恐怖を理解させる。その結果、丑松の「告白」に至るまでの苦悩の深さが理解できるようになる。
 新映画『破戒』では霧の煙る杉林で幼い丑松が別れ際に父親に「手紙を書く」と言うと、父親は「書かなくてもよい。ふるさとを隠せ。決して他人を信用してはいけない」と「戒め」る。同じ「戒め」の重大性を説明する場面ではあるが、「部落民」の状況描写がないため、差別の与える恐怖は浅い。そのためか前記のように丑松の「告白」を逡巡する姿に深く感情移入ができない。ましてや、小説『破戒』の知識のない人が観ると『破戒』の意味さえわからないはず。
 市川崑監督の『破戒』では「告白」はクライマックスの子どもたちへのものだけであるが、新映画『破戒』では友人の銀之助にも「告白」する。銀之助は丑松の「告白」に対して「謝らなければならないのは僕だ。君を傷つけてきた」と反対に謝罪する。そして、子どもたちに「告白」する場面では、「部落民」であることを「告白」するが、原作や前作品とは違い「隠していた」ことを土下座して謝罪はしない。「本当はこの教室でいつまでもいつまでも皆さんと一緒に勉強したかった」と子どもたちと別れるのが悲しくて膝から崩れ落ちることになっている。「告白」を聞いた子どもたちは「先生は先生だ!先生に変わりない」と叫ぶ。
 市川崑監督の『破戒』の「告白」は原作通りであり、キリスト教の懺悔に近い。だから部落差別の不合理性は告発しても、解決への展望は見えない。新映画『破戒』の「告白」は「部落民宣言」である。「宣言」をすれば友人や仲間、支持者が多く生まれ、それが部落差別解消につながると誘導する。
 「告白」は部落差別解消の始まりとなるのだ。





​藤村記念館​
長野県小諸市の小諸城祉の敷地内にある小さな資料館を訪ねた。目的は藤村が部落差別をテーマにして小説を書こうとした動機が知りたいからだ。

資料館には藤村の小諸時代を中心とした作品・資料・遺品が多数展示されていた。
藤村の直筆の原稿や手紙の文字を見ると、作家にありがちな修正があまりない。恐らく、頭の中でしっかり構想してから文章を書いているからであろう。
資料館で感動したのは『破戒』と『千曲川のスケッチ』(初版本)を見つけたことだ。​​




​2、映画『破戒』の愛と友情​​

 1906(明治39)年に発行された島崎藤村の小説『破戒』は部落問題に対する認識や表現に誤りが多く、原作通りに映像化すれば部落問題に対する誤認を広げる危険性があることはいうまでもないが、作家の知名度、作品の持つ深淵な人間洞察と物語性から名作として評価されているから、今後とも映画化される価値と可能性は存在している。
 しかし、この作品を「告白」という視点から小説を見ると、誠に不遜ではあるが、『破戒』は極めて単純な構成で出来上がっていることがわかる。父親の「告白するな」という「戒め」に苦しむ主人公が、その「戒め」を破り「告白」することにより、友情を深め、志保の愛を獲得し、希望の道を拓いていく物語である。差別が苛酷であればあるほど「告白」は意義あるものになり、友情と愛情は尊く、深いものになるのである。
 土屋銀之助は小説の中でも、映画の中でも最も魅力的な人物として描かれる。一作目は、戦後の民主主義を体現するかのような部落差別に批判的な人物として描かれている。二作目は、「部落」に対する偏見を持ち、露骨な差別発言をしながらも、友人丑松の苦悩を理解することで、部落差別の不条理を理解し、丑松を支援する。新映画『破戒』では、丑松が「部落民」であることを知らず、志保と丑松の恋のとりもちをする。丑松が「部落民」であっても変わらない友情を示す。
 丸山志保は没落士族の娘で口減らしに蓮華寺に養女に出された苛酷な境遇にもかかわらず、汚れのない心をもっている聖女として描かれている。第一作目は志保への「告白」の手紙からはじまる。丑松は自分が「部落民」であることを打ち明け、志保への想いを伝える。第二作目では、丑松は志保には「告白」しないが、銀之助が丑松の想いを伝え、志保も丑松に思いをよせていることがわかる。新映画『破戒』では丑松が「告白」する場面はないが、随所に相思相愛になっていく二人の姿が描かれている。
 原作、前二作の映画に共通しているのは志保には「部落民」への偏見がないことである。その理由については説明されていない。新映画『破戒』では歌人与謝野晶子に傾倒する女性として描かれている。与謝野晶子の思想や行動が近代的人権論に裏付けられたものではないことは広く知られていることであるから、この結びつけには違和感を感じる人も多いはず。
 志保については、藤村が「告白」した丑松に救いの女神を差し伸べたと考えるべきで世俗的な理由づけの必要はないものと考えられる。
 
※あの人が私を愛してから、自分が自分にとってどれほどの価値のあるものになったことだろう。
                ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波書店)






​​藤村の東京の文壇への強い想い​​
明治学院時代の教師で牧師の木村熊二に誘われて、明治32(1899)年4月上旬に小諸義塾に国語と英語の教師として赴任した。同年5月に冬子と結婚。
教育者として詩人として活躍しつつ、小説も書き始める。なんと『旧主人』という小説で姦通を描いたため発禁処分を受けているから、当時としては相当急進的な人物であったことは間違いないようだ。
当時、文学の中心は東京であった。藤村の心の底には「東京の文壇で評価を得たい」という気持ちが強かったに違いない。
小説『破戒』は小諸の教師時代に構想したが、小説に専念できる経済状況にはなく、『破戒』完成までの生活費を知人から借金する。そして、6年間勤めた小諸義塾を退職し、東京に戻ったのである。



​3、新映画『破戒』で使われた不必要な賤称語​

 「穢多」という言葉は賤称語である。賤称語というのは身分社会において使用された賤称を現代社会においても特定の個人・集団を差別・排除するために使用する言葉のことである。この言葉の使用が許容される範囲は、①歴史的事実を記述する場合。②部落問題を解決する目的で使用される場合。③「穢多」をルーツとする被差別者が自らのアイデンティティを語る場合とされている。
 映画『破戒』の第1作、第2作では「穢多」という言葉は使用されていないが、新映画『破戒』では原作にも第1作、第2作もない演説会の場面をわざわざつくり、丑松も参加させる。その眼前で猪子蓮太郎は「われは『穢多』なり。されど『穢多』を恥じず」と、敵対する候補者高柳利三郎と雇われた壮士ら(自由民権運動のなれの果て)の前で声高に叫ばせる。聴衆は熱狂的に拍手と歓声を
蓮太郎に送る。それに感銘して丑松は「告白」を決意するのである。
 この映画のクライマックスはここにあったのだ。「穢多」であることを「告白」すれば未来は拓けるというメッセージを観客に与えているのである。これは「解放同盟」が「解放学級」などで進めてきた「部落民宣言」に通じる。しかも、この場面が加えられたことにより、新映画『破戒』は原作から離れ、リアリティを失い時代劇となったのである。こんな演説会は明治時代とはいえどありえないだろう。
 演説会に猪子、丑松、高柳を一堂に集めて対決させるという荒唐無稽ともいえる場面を創出したことによって、「穢多宣言」(「部落民宣言」)を感動的に描こうとしたのであろうが、藤村が緻密に構成した丑松の「告白」に至るまでの心理的過程が無視される結果となったのである。そのために、子どもたちへ「部落民」であることを「告白」することで、苦悩から解放されるという場面はつけ足しになってしまったのである。
 新映画『破戒』が「解放同盟」の運動方針に沿ったものであることは明白のようだ。そのために新しい場面を付け加え、賤称語を使用しているのである。前記の賤称語の規定からいえば、この場面で「穢多」という言葉を使用しているのは問題はないように思えるが、この規定には前提がある。賤称語を使用する場合は、相手の歴史的な知識・用語に対する理解度を踏まえなければならないということである。今回の映画にはそうした配慮が全く見られない。賤称語に対する理解不足から言葉だけが独り歩きし使用される弊害は「ネット差別」ですでに証明されているはずである。そうした弊害を生まないためには他の用語に置き換えて表現する方法がすでにあるはずだ。
 「穢多」という言葉は封建社会において人間を最大級に侮蔑し、排除するために生まれた言葉であり、本来、人間が人間に対して使用すべき言葉ではないからだ。だから映画『破戒』の1作目も2作目も「穢多」ではなく、「部落民」という言葉が使われているのである。
  




​小諸義塾―藤村と木村熊治
小諸義塾は1893(明治26)年11月に地元の青年たちの熱意ある要請にこたえて、木村熊二によって誕生した私塾である。
その後私立中学校認可を得て、やがて島崎藤村等を教師陣に加えて充実した中学校教育へと発展するが、日清日露の戦を契機にして、個性的で自由を特色とする教育は国家的な教育制度に阻まれて、遂に1906(明治39)年、13年間の短い歴史を閉じた。
木村は兵庫県出石生まれで、明治初年アメリカに渡り12年の留学によって近代の西欧文化を身につけた新進気鋭の教育者であり、キリスト教の牧師であった。
藤村との出会いは明治学院時代で、教師として藤村の悩みをよく聞き、指導した。藤村は木村を尊敬し、木村から洗礼を受けている。その木村の誘いで小諸義塾に来たのであるから、藤村のキリスト教に基づく理想主義は生半可なものではない。​​



​4、小説『破戒』を部落問題解決に利用するのは限界​

 小説『破戒』は日本人の頭が封建社会とほとんど変わっていない1906年(明治39)年3月に自費出版されたものである。藤村がこの小説を書いた目的はひとつには藤村の詩人から小説家への転身をかけ、文学界での出世をめざした野心作であること、もうひとつは藤村が信仰したキリスト教の同情と救済思想に基づく小説であることからいえば、小説『破戒』は部落問題を扱っているが、部落問題の解決を目的とする小説ではないことは明白である。 
 部落問題の現状と課題は社会の発展とともに変化するが、小説のストーリーは固定化され、原作者のその小説に設定したテーマも変化することはない。だから、小説『破戒』を部落解放運動団体などが部落問題の解決を託して映画化するのは限界がある。さらに、強引にストーリーやテーマを変更すれば小説の本質を歪めることになるのである。今回の新映画『破戒』がそれを示したといえよう。
 しかし、小説『破戒』には普遍的に愛される二つの側面がある。ひとつは舞台が学校で、子どもに愛される主人公の教師、出世主義の校長、ごますりの教師、正義感の強い教師、などは今日でも通用する学園ドラマの構成要素が揃っていることである。もうひとつは丑松と志保の間に通い合う純愛である。
 不思議な偶然だが、夏目漱石は松山市の中学校の教師の体験をもとに『坊ちゃん』を書き、藤村と同じ年に発行している。その中で描かれている学校の人間構成は『破戒』のものと酷似している。さしずめ勝野文平は赤シャツ、銀之助は山嵐、風間はうらなりとなる。
 藤村と漱石は教師の体験をし、その体験をもとに小説が書かれているから構成が酷似するのは仕方がない。この二人が今日まで続く日本の学園ドラマの原型を創りだしたといっても過言ではないかもしれない。だから読み継がれていく。一方は「根クラがよむ学園小説」もう一方は「根アカが読む学園小説」としてである。
 夏目漱石は、『破戒』を「明治の小説としては後世に伝ふべき名篇也」(森田草平宛て書簡)と評価している。勿論、学園小説として評価しているわけではなく、自然主義文学の傑作としてであるが、描かれたテーマは違っても二人は来るべき未来の社会像を見通していたようである。



 

​​飯山市上町の真宗寺​​
飯山市にある蓮華寺のモデルとなった真宗寺を訪ねた。藤村が描いた飯山を想像ではなく現実として把握するためである。その方が藤村の本質により迫ることができると考えたからである。
藤村は東京の文壇にデビューするために選んだテーマは近代化に突き進む日本が直面しつつあった封建社会の解体過程であった。 
藤村は『破戒』の舞台に住み慣れた小諸ではなく飯山市(当時・飯山町)を選んだ。千曲川を囲むように山が連なり、その山峡の細長く狭い土地に人々は住み、冬は非常に積雪量が多く、市内全域が特別豪雪地帯に指定されるほどの厳しい地域である。
藤村は開けた城下町の小諸より、この苛酷な自然環境に閉ざされた寒村の方が出自を隠し密かに生きなければならない丑松の重苦しい心情を表現するのに相応しいと考えたのであろう。




​5、映画の力を利用した思想・世論誘導​

 映画には人間の価値観を変える力があるといわれている。その力の最大のものは感情移入できることである。映画に登場する人物たちに感情移入し、人物たちの心と行動を共有することである。単純化すれば、丑松の苦悩が理解できれば、部落差別に否定的になるということである。もうひとつの力は伝達する力である。未知なこと、マスメディアが伝達しないことも知ることができるということである。映像は新聞や本よりも理解しやすい。さらに、映画は、計算された音響・視覚効果により、観客の感情移入を極限まで高めることが出来るから虚構を現実として信じ込ませることもできる。
 映画が教育・啓発の手段として有効なのはこのためである。新映画『破戒』を製作した東映は教育・啓発映画の老舗であり、多くの自治体の注文を受けて製作している。
 しかし、映画に人間の価値観を変える力があるゆえに大きな問題も生まれる。特定の団体や政党が自らの正当性を主張し、支持を勝ち取り維持し続けるために利用されるプロパガンダ映画である。勿論、プロパガンダ映画はすべて悪いとは思わないが、観る者を特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する性格が強いことから、かつて少数民族や異教徒を排除したり、侵略戦争を遂行するために利用されたために否定的に扱われ、プロパガンダという言葉自体が軽蔑的に扱われ、嘘、歪曲、情報操作、心理操作と同義と見るようになっている。
 今回の新映画『破戒』をプロパガンダ映画であると決めつけるつもりはないが、企画・製作が全国水平社創立100周年記念映画製作委員会であること、製作統括が「解放同盟」前委員長であること、映画の主題が「告白」(部落民宣言)となっていることから見ると誠に「プロパガンダ臭い」映画であり、小説『破戒』の芸術性を深く理解し、製作されたとは考えられないのである。
 今後、この映画がDVD化され、人権・同和教育の現場や、職場や学園、宗教界、企業研修において広く利用されることが予想されるが、その際は、小説『破戒』の本旨から外れていること、「解放同盟」の「解放理論」が深く反映した映画であることを理解したうえで利用されることをおすすめしたい。




​蓮華寺の『破戒』の石碑
真宗寺の境内には蓮華寺のモデルとなったことを示す石碑がある。藤村は、小説『破戒』の取材のため、1902(明治35)年から03(明治36)年ごろにかけ数回取材のため、この真宗寺を訪れ宿泊している。
小説では蓮華寺を「借りることにした部屋というのは、その蔵裏つづきにある二階の角のところ、寺は信州下水内郡飯山町二十何ヵ寺のひとつ真宗に付属する古刹」とある。現在でも寺は多く信仰深い都市であり、真宗寺という同じ名前の寺が他にもあるから驚かされる。
この真宗寺は1952(昭和27)年の飯山大火の際に山門や本堂等を焼失し、藤村が訪れた時代から残っているのは六角堂のみとなっているから、小説で描かれた寺を想像するのは難しい。​​


スポンサーサイト



水平社創立100周年記念報道を検証しました 私たちの夢は150周年、200周年は静かに迎えることだ

水平社創立100周年記念報道を検証しました
​私たちの夢は150周年、200周年は静かに迎えることだ​

 

 ​​はじめに​


 前号で次号は後篇として映画『破戒』について論評することを予告させていただいたが、映画の封切りが7月の初旬なので、次の記事をアップするまでの期間が長くなる。不思議なことにこのブログは「面白い」と、たくさんの人たちにアクセスしていただいている。「部落問題が面白い」とは誠に嬉しいことだ。そこで、手前勝手ながらなるべく掲載期間を空けないようにと考え、この記事を間に挟むことにした。
 マスメディアは水平社創立100周年を盛り上げるために、一生懸命に特集記事を掲載してくれました。長年にわたり人権運動に参加してきた私たちにとって誠に有り難いことですが、残念なことに部落解放団体や一部の自治体など以外ではほとんど話題になっていない。マスメディアの特集記事(主に新聞記事)の内容を検証してみると、もうすぐ真夏を迎えるのに背筋が寒くなる。
 「真実を報道する機関なのに真実がわかってない」
 「マスメディアなのに人権がわかってない」
 と批判すれば、マスメディアという{権威の塔}に住む妖怪たちから、ボロ提灯をぶらさげて夜道をとぼとぼ歩いているような小さな団体が「生意気な!」という声が聞こえてくる。






​水平社100周年報道・マスメディア(主に新聞)は「解放同盟」の記念集会を洪水のように報道した。報道するのは自由だが、どの新聞を読んでも、なぜ「ネット差別」が発生するのか?その原因については書かれていない。このままいけば150周年記念集会も盛大に開かねばならなくなるぞ。​​




​1、「解放同盟」の水平社創立150周年をめざす戦術​​

 水平社創立100周年を記念して集会を開催し、その歴史的経験と教訓を学び継承することは大切だが、部落差別が依然として「厳しい」という状況の中で開催するのは誠に悲しいことだ。100年も運動したお蔭で部落差別は基本的に解消したので記念集会は今回で終わりとする。創立150周年、200周年は歴史的記念日として記憶されるが盛大な記念集会は開けなくなったというのが嬉しいはずだ。
 「部落解放同盟」(「解放同盟」)主催の記念集会が京都市で約1000人を集め開催された。集会では映画『破戒』が上映され、主人公の丑松を演じた若手人気俳優の間宮祥太郎までが登場するという派手なものであった。この盛大さの背景にあるのはネット空間での「差別発言」や「部落地名総鑑」を根拠にした「部落差別解消推進法」が成立し、新たな運動への地歩を築いたという前進ムードがあるからであろう。
 集会では組坂繁之委員長が挨拶の中で、ロシアのウクライナ侵攻にふれ、「戦争は最大の差別であり、人権侵害」であると明確に憲法改悪と軍事大国化に反対する姿勢を示し、水平社運動の教訓を踏まえ平和主義を堅持する立場を明確にしているが、注目すべきは、集会の「あらたなる決意」(「決意文」)である。「決意文」には、①「ネット社会の到来は世界を急速に結びつけたが、同時に差別、偏見、憎悪を増幅させている。」と、ネット社会の問題を提起し、「国際的な水準を反映した包括的な法制度を実現させる」と訴え、②国内外の被差別マイノリティーとの連帯促進が提起されたことである。
 賢明な皆さんはもう「解放同盟」の描いているストーリーライン(筋書き)はおわかりですね。反戦平和主義の立場をとりつつ、​①沖縄の人々、アイヌ民族、障害者、在日外国人などのマイノリティーと連携し、②「ネット規制」を強化するための「包括的法制度」をつくるという筋書きなのです。​

​※詳しくは2020年3月17日「ことわざで考える-部落差別の解消の推進に関する法律・『人権条例』は自治体の発行する『同和補助金の誓約書』」を参照してください。





『朝日新聞』の反省・『新聞と戦争』(朝日新聞出版)には「戦後60年も過ぎたのに、朝日は戦争を翼賛し、国民を巻き込んだ経過について、包括的検証したことはなかった。」と反省し、「タブーを恐れず、事実とデータをして語らしめ、客観描写に徹すること。」と取材の原則を述べている。ホンマに反省していますか?​​





​​2、「解放同盟」のストーリーラインを無批判に報道したマスメディア​

 ●『朝日新聞』

 『光あれ水平社宣言』を5回に分けて連載した。連載のテーマは水平社宣言が日本国内の被差別者に大きな影響を与えてきたことを証言させるというものだ。有名なジャーナリストの安田菜津紀さんなどを登場させ水平社宣言について語らせている。
 安田さんは部落差別が「『存在しない』という声には、あなたの目の前にはなかったとしても、この社会のどこかにあるかもしれない。目の前にあっても気づいていないかもしれない」(2月26日)と、まるで「人権音痴よ、差別はあるのだ。よく探してみなさい!」と言われているようだ。
​ さらに、同紙社説(3月2日)では「部落解放・人権研究所の調べでは、人権擁護に関する条例をもつ自治体は130をこえ、200以上がネット上の不当な記載をチェックしているという、こうした取り組みと定着と拡大をはかりたい」と、「解放同盟」が進める人権条例やネット規制を拡大する必要性を強調している。さらに、「人々の意識までに分け入って、憲法が掲げる基本的人権の尊重をどうやって実現するか。歩みを止めてはならない。」(同上)とまでいいきる。「部落差別」をなくす為には「内心の自由」に踏み込んでもいいというのだろうか。​

 ●『毎日新聞』
 「解放同盟」の組坂繁之委員長の意見を1ページ全部を使って特集(3月4日)した。組坂氏は記者の「今後はどこに力を入れていきますか?」という質問に対して、「まずは人権侵害に対する救済機関の設置を目標にする。政府から独立した機関を作り、ネット上の差別を削除勧告できるようにする。世界のあらゆる差別撤廃運動との連帯、部落差別問題に関する啓発には引き続き力を入れたい。」と答えている。
 同紙社説(3月4日)では「差別を助長するネット上の情報が、若者に誤解や偏見を与えている可能性がある」として、「『部落差別解消推進法』は国や自治体に教育や啓発を進めるよう求めている。ネット時代に対応した新たな取組みも必要だ。」と提起し、ネット規制を強化するための法整備の必要性を強調する。

 ​●『読売新聞』​
 1ページ全部使い特集(3月3日)した。内容は水平社創立から今年までの部落の歴史と主な国の同和対策の歴史が書かれている。そして、「解放同盟」委員長の組坂氏の談話も小さいスペースであるが掲載している。その内容は「決意文」の「差別を禁じる法の整備や人権侵害救済制度の拡充を求めていく」と同趣旨であるが、同紙は他紙のように「差別を禁じる法」の必要性についてはコメントしていない。

 ​●『神戸新聞』​
 5回にわたり「向き合う水平社宣言」という連載を行い、水平社宣言が人権運動や国民の人権意識に与えている影響について報道したが、内容は他の新聞社とほぼ同じである。さらに、「解放同盟」の記念集会(3月4日)を報道する記事の中では、「部落解放・人権研究所」の情報を基に、「2000年代に入り、差別投稿を見つけて削除につなげる自治体のモニタリング事業がはじまった。新潟、和歌山、熊本などにも広がり、現在は200を超える。」さらに、「全国同和行政促進協議会がネットでの差別防止については『現行法等では有効な手段がとれない状況を踏まえ、実効ある対策が必要だ』と国に要望した」という事例まで紹介している。
​ 同紙社説(3月10日)では、「現行制度では有効な手段がないのが実情だ。差別そのものを禁じる法律と人権侵害の被害を救済する仕組みを確立する必要がある。」と、差別規制法を策定する必要性を提起している。​
 『西日本新聞』や『東京新聞』についても読んでみたが、その主張する内容は「解放同盟」の描く筋書きに沿ったものであった。
 
※詳しくは2012年12月06日―「『週刊朝日』橋下徹大阪市長連載記事に対する意見書その2」を参照してください。​​




​​​紫陽花にカエル・カエルの同音異義語には、変える・替える・代える・換えるなどがある。いずれも主体的に変化を起こす言葉だ。​​




​​​3、「差別」を監視するシステムは言論・表現を抑圧するシステムに転化する​​​



 すでに200を超える自治体がネット空間の「差別」を監視(モニタリング)し、「差別」と判定した場合にはプロバイダーに削除要請し、応じない場合は訴訟を起こし、判決に基づき削除させるシステムを確立しつつある。「解放同盟」はこれを全国の自治体に広げようとしているだけでなく、規制を強化し、罰則を与える法律を制定しようとしているのである。この方針をマスメディアは水平社創立100周年特集の中で、こぞって支持している。
 こうした流れに沿って、本年6月13日、侮辱罪の厳罰化(1年以下の懲役・禁固か30万円以下の罰金)などを盛り込んだ改正刑法が参議院本会議で可決、成立した。7月に施行される。厳罰化の目的はネット上の誹謗中傷の深刻化を抑止するためのものであるといわれるが、これによって、ネット上における誹謗中傷が減少することになるだろうか?また、政治家や公務員に対する批判などを萎縮させ、表現の自由が脅かされる危険性が強くなることもあるはずだ。しかし、差別規制の強化・厳罰化を掲げているマスメディアの立場から言えば、この流れに抵抗することはできない。
​ 私たちはこの監視システムについても注意を怠ってはいけない。 ​
 ロシアのプーチン大統領はウクライナへの侵攻の口実に「ネオナチ」の排除を掲げている。そして、侵攻に反対する世論を徹底して抑え込むために、ネットのモニタリング(監視)を行い、侵攻に批判的な言論の削除を行っている。支配者は「戦争するため」「言論を統制するため」などと、正直に言うことはない。「ネオナチをやっつける」ためだなどと、国民が共感する言葉を利用してシステムをつくる。
 恐ろしいことに日本では極少数の「差別者」が発する「ネット差別」が利用され、「人権を守れ」と称してネット監視システムがつくられつつあるのである。宇宙ロケットが大陸間弾道弾になるようにシステムは一旦出来上がると「人権抑圧」にも転用が可能なのである。ゆえに法規制については最大限の注意をはらわなければならないのである。
 
​​※詳しくは2020年7月16日―「国家の規制で『ネット差別』が消える社会はいい社会ですか?」 ​​​​​を参照してください。​​






​紫陽花の下のたぬき・いたらびっくりするがいたら楽しいだろう。「部落民」を誹謗中傷する人の中には、「部落民」もいるらしい。なんて悲しいことだ。​​




​4、水平社創立100周年報道にみるマスメディアの非科学性​​

 なぜマスメディアは「解放同盟」の手先となっているのか?
​​ 理由はふたつある。ひとつは部落差別の定義が明確にされていないことである。『朝日新聞』や『神戸新聞』などの報道を見ると、他の差別問題と部落差別の区別が出来ていない。すべての差別問題は同じではない。​それぞれ成立過程や条件が違うために、その基本的性格、解決の過程、解決された状態はおのずと違う。​一括りにしてしまうと、部落差別はすべての差別が「一斉」に解決しなければ解消しないことになってしまう。その違いを無視して、「被害者の立場によりそう」などという、情緒的で非科学的な態度を基本にして報道してきたため、「被害者団体」の意見に無批判に追随せざるを得ない状態に陥っているのである。​​
 信じられないことだが第三の権力といわれるマスメディアは未だに部落差別の本質がわかっていないのである。
 二つ目は報道内容がマスメディアの収益に繋がるという逃れられない宿命にある。SNSの広がりの中、新聞協会が公表した一般新聞の総発行部数(2021末)は2000年には4740万部あったのが3000万部を割る寸前になっていることを明らかにしている。この3年間はコロナ禍で新聞を読む時間は増えたはずだが、発行部数は激減しているのである。
 新聞は発行部数を基礎として、広告、販売店の折り込み広告によって収益を確保するから、発行部数の増減は会社の存続さえ左右するのである。そうした観点から見れば、マスメディアが最も影響を受けるのは読者の動向、社会の気分なのである。
 「部落差別解消推進法」の成立、自治体での人権条例制定の広がりがマスメディアの注目を「解放同盟」に集中させる結果となったようだ。また、「解放同盟」の批判勢力である全国地域人権運動総連合がコロナ禍を理由に記念集会を開催しなかったことも要因の一つであろう。


​5、SNSの広がりで激化していく個人とマスメディアの対立​

 SNSの広がりはパラダイムシフト(社会的価値観の転換)を引き起こしている。 
​ SNSの発達はパラダイムシフトを進めつつあるのだ。マスメディアの報道がSNSにとって代わられようとしていることは国民みんなが感じているはず。大量の活字と写真で提供される新聞。「社説」や「論説」にみられるように、人々の価値観をある一定方向に向かわせようとする洗脳性が批判されはじめている。このブログもそのひとつだ。​
 SNSの優れた特徴は双方性である。一般人がはじめて今まで一方的に提供されてきた情報を選択し、分析し、整理して、自分から不特定多数の人に向けて自分の意見を述べるシステムを手に入れたのである。
 こうした変化の中で、私たちは国民の社会的価値観が大きく変化し始めていることに気付かねばならない。その変化をおおまかに表現すれば次の通りだ。
①21世紀は「人権と平和の時代」ではなく「戦争、異常気象の時代」であった。 
②SNSの発達により、自由と民主主義が世界に広がる時代ではなく、SNSを利用して言論・表現の自由を規制する全体主義が広がる時代となった。
③国民がSNSを手にいれたことにより、社会制度の改革より、「個人の価値観」、「気持ち」を優先する意識が広がっている。

 部落差別についても社会的価値観が変化していることを認識しておかねばならない。SNS普及により以下のように変化している。
①部落問題に関する情報や知識が学校同和教育や自治体の啓発、運動団体の独占物であった時代は終わっている。
②部落差別に関する認識は個人の価値観を基礎にして行われる情報収集と分析によって決まる。
③SNSはネット空間を介して部落差別に関する認識の一致するグルーブを形成する。

 「ネット差別」は同和対策に関わる運動団体関係者による利権あさり、終わりなき同和対策に対する批判や意見が暴力的「確認・糾弾」により長期間にわたり抑圧されてきた結果、国民の間にストレスが蓄積されてきたために発生している。
 SNSの普及は部落問題に関する意見や疑問を発する空間を国民に与えた。その空間は匿名性が高いということもあって、自由な批判を誘発し、沈殿していた「差別・偏見」さえも舞い上がらせた。玉石混交は世の常であるはずだから、人権教育・啓発を推進している政府や自治体は「専門家」として積極的にネットに参加して「ネット内啓発」を活発化すべきであったが、「差別・偏見」を「差別がある」という例証にするだけであった。​ SNSは優れた啓発システムである。どんな意味で優れているかといえば、個人が自由に発言できるということである。これを法規制強化で封殺すれば「差別・偏見」がなくなるだろうか?さらに、悪質なサイトが生まれ、激しいヘイトクライムが発信されることになるのではないだろうか。その結果、私たちは水平社150周年もまた盛大に記念集会を開かなければならなくなるのではないだろうか。​






​​夏到来・人を攻撃すると余計暑くなるから、夏は「ネット差別」はお休みにしようぜ。​​





​​6、「入口にもどろう」―どんな基準をもって「差別」と断定するのか?​​


 マスメディアは差別の定義が分かっていないと書いた。そして、政府や地方自治体も同じである。そうした状況の中において、差別を断定できる個人や団体があるはずがない。あるとすれば当事者となる。では当事者は差別の定義を理解しているであろうか?あるとすれば被害者しか感じることのできない気持・感情となる。
 「部落差別解消推進法」の成立、全国に広がる人権条例の制定は部落差別の定義を持たないマスメディアから見れば、「解放同盟」は「水平社の後継者」となり、必然的に「解放同盟」の主張を無批判に報道することになるのだ。 
 水平社創立100周年にもなるのに今頃という意見もあるかもしれないが、「わからなくなったら入口にもどる」(NHK連ドラ「ちむどんどん」の平良三郎の言葉)こと、部落差別の根本概念を認識することである。

​●まずは部落差別の定義を明確にしておこう―見えない差別はない。​
①差別とは、自然法・社会契約説に基づき成立した近・現代社会の法及び道徳に反して、本来、平等であるべき人間が不平等に扱われることである。
②部落差別とは、日本における封建社会において成立した身分制度の残り滓(カス)により、現代社会においても日本国民の一部の人たちが不平等に扱われることである。その不平等とは居住地の移転、通婚、就職、教育などの権利と自由が完全に保障されていないことである。


​● 「ネット差別」(部落差別に限定)の定義も明確にしておこう―法規制で『差別者人名総鑑』ができるかも。
①「ネット差別」とはネットの匿名性を利用した「部落」「部落民」に対する誹謗・中傷である。
当然ながら誹謗中傷とはいわれなき理由により、集団およびそこに所属する個人の平等な権利を侵害することである。

​●ついでに「ネット批判」も定義しておこう―ネット空間を社会的弱者の砦に​
①「ネット批判」とは政治的・社会的少数派および個人がネットを利用して意見や批判を表明する権利である。しかし、いわれなき理由による批判は誹謗中傷となる。
 部落差別を判定するのは政府でも自治体でも、マスメディアや運動団体でもなく部落差別の根本概念を理解している人なのである。 
 さあ夏だ!がんばって勉強しようぜ。





​​タヌキとカエルからのお知らせ・
次号は後篇-映画『破戒』について論評するよ。​

​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑩ 前篇-島崎藤村の小説『破戒』の丑松はもういない

​​​​​​​​
消えゆく「部落民」―心のゴースト⑩
前篇-島崎藤村の小説『破戒』の丑松はもういない



 はじめに

​ 小説『破戒』が三度目の映画化された。 ​
 企画・製作は「全国水平社創立100周年記念映画製作委員会」、映画を制作したのは東映株式会社である。この製作委員会の構成員や団体はよくわからないが、完成披露として最初に上映されたのが、今年3月3日に京都で開催された「解放同盟」主催の「全国水平社創立100年記念集会」であることから考えて、その中心となっているのは「解放同盟」であることは間違いないようだ。 映画『破戒』の第1作目は木下恵介監督、第2作目は市川崑監督、いずれも日本映画の巨匠といわれた人たちである。今回は前田和男という監督だ。この監督は映画通の間では知られているらしいが、一般的にはあまり知られていないようだ。しかし、監督の技量は知名度ではない。映画は見てみないとわからないので上映される時は是非見てみたいと思っている。
 ​しかし、何故今頃?​
​ という疑問が湧く。なぜなら、私たちはこの映画の原作である小説『破戒』が明治時代の作品で、誠に旧い部落問題認識に満ちていることを知っているからだ。 ​
​ 藤村が生まれたのは明治のはじめ、青春時代を過ごした時期は明治維新による西欧文明の流入とともに、自由民権運動が全国に広がった時期だが、近代的な人権論は定着しておらず、国民の圧倒的多数を占めた「平民」の頭の中は、ほとんど江戸時代だった。そんな時代の小説であるから注意して読まなければならない。それは封建時代に使用されていた賤称語、習慣・習俗、誤った部落起源説などがほぼ無批判に使用されているからだ。​
 とはいえ、小説『破戒』が部落問題を真正面から取り上げ、「部落民」の内面を克明に描写し、差別の理不尽さを告発した名作だから長く読み継がれることは間違いないだろう。そこで今回から①前篇-小説『破戒』②後篇-映画『破戒』の2回に分けて、その意義と歴史的限界を明らかにし、『破戒』から受け継ぐべき真髄を明確にしたいと考える。
 新しい映画『破戒』を見たい人、見たくない人もこの雑文をお読みいただき、お楽しみいただければ幸いである。
 


​木曽路は花桃の里 花桃は桜でもなく、桃の花でもない。白・ピンクの三色に咲き、木曽路では桜より遅く、4月中旬から5月初めにかけて咲く。​​


※この文章で、小説『破戒』は昭和29(1954)年発行、発行所(株)新潮社を基にしている。


​​
​1、小説『破戒』の根本原理は恐怖である ​​
 ​​


​ 小説『破戒』の根本原理は「恐怖」である。丑松の父親の戒め、「社会から捨てられる」という言葉は心理学でいえば「恐怖条件」づけである。この言葉は子どもに深い絶望感を記憶させるだろう。人間の心は自己の生命維持に脅威をもたらすような外的要因に対して、自己防衛の一貫として恐怖という感情を生み出し、対象に対して憎悪感情と排除を正当化するための論理や習慣・制度を構築してきた。 ​
​ 小説は下宿屋から「不浄だ、不浄だ」と住民に追い出される「部落民」のお大尽(だいじん)、それを当然視する親友の土屋銀之助をはじめ「まわりの人々」らが、父親の戒めの正しさを証明していく。さらに、その父親が暴れ牛に突かれて深い傷を負い、臨終の際に発した言葉が「(戒めを)忘れるな」であったことは差別のもつ底の深い恐怖感を際立たせる。​
​ しかし、恐怖は一方だけでは成立しない。 ​
 両者が相手を自己の生命維持に脅威をもたらすような外的要因であると認識していることが前提となる。あなたが山道で突然熊に会ったとしよう、あなたは恐怖におそわれて逃げるだろう。熊も人間に対する恐怖のあまり逃げるあなたを追いかける。人間と熊には歴史的に敵対関係があるからだ。
 丑松は社会に恐怖を感じ、社会は「部落民」が社会の一員として加わってくることに恐怖を感じ、排除しようとするのだ。「平民」の皆さんから「多数派の我々がなんで『部落民』を怖がるんや」と怒りの声が聞こえそうだが、恐怖というのは社会制度の根底を支える伝承、習俗・慣習を通じて記憶の中にも存在しているからだ。
​ ​小説『橋のない川』(住井すえ著)にも書かれているが、「部落の人は夜になると蛇のように冷たくなる」という馬鹿げた伝承や、祭礼に参加させると「穢れる」(心理的にはこわい)から排除するなどという俗信に基づく習俗・慣習などは、その根源に恐怖があるのだ。​
 現代社会においても「部落はこわい」というつかみどころのない感情が残されている。その感情が「部落民」は「ヤクザが多い」「言葉が悪い」など、様々に分枝する。こうした心理の基層には恐怖の連鎖が起因しているようだ。
 この指摘が正しいかどうかを確認する方法は簡単だ。「部落民」という言葉を聞いた瞬間にあなたが頭に何を思い浮かべるかでわかる。何も浮かばない人は恐怖感を持たない人だ。





藤村記念館 島崎藤村の出身地、木曽谷最南端の馬籠宿のほぼ中間地点に藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。生家は1895(明治28)年の大火で焼失した。1947(昭和22)年、建築家谷口吉郎博士設計による藤村記念堂が建てられ、1952(昭和27)年より文学館として活動を開始し、1955(昭和30)年には「島崎藤村宅跡」として県の史跡指定を受けた。現在は、藤村記念館となり、『嵐』『夜明け前』などの作品原稿、遺愛品、周辺資料、明治大正詩書稀覯本コレクションなど約6千点を所蔵している。​​



​​​※詳しく知りたい方は、2018年1月30日-「消えゆく『部落民』―心のゴースト③ ​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する​​​」を参照ください。​​




​​2、小説『破戒』は「人種起源説」を基層にしている​​

 小説『破戒』には、丑松の父親は「部落民」を「東海道の沿岸に住む多くの穢多の種族のように、朝鮮人、支那人、露西亜人、または名も知らない島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違い、その血統は古(むかし)の武士の落人(おちうど)から伝わったもの、貧窮こそすれ、罪悪の為に穢れた家族ではないと言い聞かせた」。また、親友の土屋銀次郎は「僕だっていくらも新平民を見た。あの皮膚の色からして、普通の人間とは違っていらあね。そりゃあ、もう新平民か新平民でないかは容貌(かおつき)でわかる」と語る。
 小説『破戒』が「人種起源説」を基層に書かれていることは明らかだ。藤村自身もこの小説を書くにあたり、信州の「部落」を尋ね歩き取材を重ねている。「通称弥兵衛といふ部落のお頭の家を訪ねてみる機会がありました。この弥兵衛といふう人に逢つたことが、自分の『破戒』を書かうという気持ちを固めさせ、安心してああいうものを書かせる気持ちを私に与えたのでした」(『春を待ちつつ』)と取材を重ね、小説に書かれている人種起源説などは、この部落のお頭の受け売りであると『新片町より』に書いている。 
 さらに、小説『破戒』を書いた後に、その取材ノートとも言うべき『山国の新平民』の中にも、「こういう風に世の中にきらわれている特別な種族だから独立した事業という方面には随分これまでも発達し得られただろうが、知識という方の側にそういう種族が発達しえるかどうか」と書き、「部落民」を「特別な種族」と表現している。​誠に旧い。​
 当時の日本人には「部落民」を忌避し、排除するための俗説・俗信や習慣はあっても、差別を正当化するような確固たる科学的論拠は国民にも「部落民」にも無かったのである。恐らく知識人の代表である藤村にも無かったのであろう。
 人類学者の鳥居龍蔵は「人類学的調査」(『日出新聞』1898年2月)を行って「部落民」の人種的特徴を立証しようとしたが、反対に部落民特有の人種的特徴がないことを証明した。三重県では『特種部落改善の梗概』(1907年)という冊子を発行し、部落改善事業を進めるために「部落民」を「特種」とし、異人種と位置付けている。実際に「先祖」という項目欄があり、それによれば部落の先祖は朝鮮半島の渡来人、蝦夷などと書かれてある。この三重県の部落改善政策は全国の模範として他府県にも広がっているところから見て、「部落民」を「異人種」とする説は広がっていたものと考えられる。
​ もとより「部落民」は「異人種」ではない。仮にそうであっても人種や民族的相違による差別が認められるわけはないが、当時は日清・日露戦争に勝利し、台湾を植民地としたり、朝鮮半島への侵略を進めていく時代であり、欧米列強と同じ「文明国」となったという自負から、他民族や先住民を「未開」または「野蛮」な「種族」と見なす認識が広がり、部落差別の口実を人種的差異に求める風潮が強まっていたようである。​





​​藤村の故郷馬籠宿(まごめじゅく) 中山道43番目の宿場(中山道は69次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。​
前記の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後、復元され現在の姿となった。石畳の両側にお土産物屋がならび、おやき、栗きんとんなどが売られている。商売をしていない一般の家でも瓦屋根、格子戸などで、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。​​



​※詳しく知りたい方は2021年9月10日-「来年は水平社創立100周年―2021年からはじまる水平社の旅(NO4)人権の保障されていない戦争国家で水平社は生まれた」を参照ください。​​​



​3、島崎藤村が青年期を過ごした明治という時代​​​


 藤村は1881(明治14)年に上京し、1899(明治32)年に長野小諸で教師になる。その間、自由民権運動が起こり、近代的人権論が日本中に広がるのを目の当たりにし、1889(明治22)年に明治憲法が制定されると、自由民権運動が失速していく状況を彼は高い知性と若い多感な精神で受け止めていたはずである。
 激烈な対立を生み出した「解放令」については本ブログの「水平社100年の旅」に書いているので参照されたい。
 そのような時代における基本的人権はどのようなものであったか、司馬遼太郎さんが分かりやすく『「明治」という国家』(出版・日本放送協会)という本に書いてあるので引用することにする。
 「-基本的人権を。という声はごく小さなものでしかありませんでした。ひとつには、明治維新が、薩長土肥をはじめとする士族(3000万国民の約7%)によって行われましたが、それにつづく自由民権運動は、かつての庄屋階級によっておこなわれた、といってもいいからです。"庄屋階級"という言葉は、ここでは象徴的に使っています。郷士、庄屋、大百姓という富裕階級と考えていただいていいかと思います。かれらは、7%の士族に準ずる階級であるばかりか、士族一般よりも経済力があります。」(第11章)
「やはり自由と民権については、中江兆民の出現を待たねばなりません。ただ、兆民の出現は遅すぎました。かれは明治4年(1871)、大久保利通に頼んでフランスに留学し、明治7年に戻ってきて、東京で仏学塾を開くのです。かれはルソーを説き、薩長専制政府を攻撃し、人民の革命権と抵抗権を説き、自由民権運動に思想的根拠を与えつづけました。」(同第11章)
 「明治の自由民権運動は、じつにさわがしいものでした。明治七、八年からおこって、明治二十二年の「大日本帝国憲法」(通称・明治憲法)の発布とその翌年の国会の開設でほぼ終わってしまいます。明治十年代の日本を全国規模で喧騒に包んだ大運動のわりには、その勢いのおとろえはじつにあっけないものでした。私など、ふと、―かれらの目的は、代議士や県会議員になるだけが目的だったのか。と、思いたくなるほどです。」(同第11章)
 以上のように明治維新は国民の封建思想を一掃するような大変革ではなく、むしろ封建思想を温存しながら一部の士族と富裕層を中心とする近代化であった。そうした時代に生まれ生きた藤村の人権認識に限界があったことは致し方ないことであろう。




​​馬籠から妻籠(つまご)へ
馬籠から馬籠峠を越えて妻籠に至る木曽路は約7km。この観光地としても有名な2つの宿場町を結ぶ街道は、石仏あり、滝あり、花桃が咲き、古代から続く人の道としての情緒をたっぷり感じることができる。​​



​4、小説『破戒』は社会問題ではなく近代的自我の確立を描いた​​​

​ 前記のように小説『破戒』では、隠さなければ「社会から捨てられる」という状況が幾重にも設定される。その一方で、「部落民」であることを「懺悔」して部落解放のためにたたかう猪子蓮太郎を登場させ、丑松の「隠す」ことと対立させることにより苦悩を際立たせる。 ​
 様々な出来事の末に周りの人々が丑松が「部落民」であることを知り始める。追い詰められた丑松は、ついに尊敬していた猪子蓮太郎に「自分は部落民である」ことを告白しようとするが、猪子は暴漢に襲撃され死亡する。 
 猪子の勇気ある生きざまに触発された丑松は、自らが「部落出身」であることを自分が担任する子どもたちに告白し、父の「戒め」を破る。丑松を愛する志保さん、「部落民」と知って却って友情の絆を深める同僚の土屋銀次郎、丑松を慕う子どもたちの姿は青春小説のように感動させる。
 ​しかし、この「告白」は何かおかしい。​
 「告白」は「社会から捨てられる」という恐怖心に打ち克ち、社会の無知蒙昧と闘う権利宣言のはずであるから高揚し、決意に満ちたものであるはず。しかし、意外にも丑松は子どもたちに「私は穢多です。調里です、不浄な人間です」と土下座までして謝罪する。
 よく藤村が「なぜ丑松に土下座させた理由がわからない」という意見を聞く、恐らく、父の「戒め」を破り、「告白」することのドラマ性を高めるための謝罪であろうが、これにはいささか無理がある。それを感じさせる理由の一つは、「告白」すれば「社会から捨てられる」という設定にもかかわらず、社会の責任が曖昧にされていること。二つは、封建社会の身分制を宿命的なものとし、近代的な権利をいささかも認めていないこと。三つは、この小説には封建性を打倒する明確な意図がなく、「告白」「懺悔」に主題を置いていることにある。
 それは『破戒』が部落差別という深淵な社会問題を扱いながら、社会改革小説としてでなく、近代国家に脱皮する時代において、封建思想と決別しようとする個人の自我の成長を描くことに重点を置いているからである。しかも、この小説における告白の核心はキリスト教における告白が重要なファクター(要因)となっているからである。
 小説『破戒』はロシアの文豪ドストエフスキーの小説『罪と罰』(1865年執筆開始)の設定に似ている。殺人を犯した主人公ラスコーリニコフが娼婦でありながら信心深いソーニャによって愛を知り、心の葛藤を経て罪を告白し自首するという物語である。
 藤村は幼少期から青年期の間に、父親の座敷牢での狂死、代々名主を務めた旧家の没落、自由民権運動が挫折していく過程を見聞するなど、過酷な人生経験を経て、キリスト教系の学校である明治学院(明治学院大学の前身)に1887(明治20)年に入学し、翌年には洗礼まで受けている。
 この丑松の「告白」の場面は基督教的に解釈すると矛盾がなくなる。「部落民」であることを原罪とし、それを隠して生きることは神の意志に背くことであるから、「告白」することで神の許しを得るというストーリーである。実際に、猪子蓮太郎の著書名を『懺悔録』とし、その冒頭で「われは穢多なり」と「告白」させていること、また、丑松が土下座して謝罪した相手は汚れなき清い心を持つ子どもたちの前であったことからも自然である。


      

​​妻籠宿(つまごじゅく) 中山道42番目の宿場(中山道69次)で、隣接する馬籠宿からハイキングする観光客が多く、外国人を含めて訪れる旅行者が多い。馬籠宿に比べると宿場の規模は小さいが、旧い建築物が残され、木曽の風雪に耐えた屋根や塀、格子戸の色が渋い。また、あまり観光地化されていず、土産物屋さんも多くないので、宿場町の風情が強く感じられる。​​​


​​​5、小説『破戒』の丑松はもういない​​

 以上のように小説『破戒』は、今日の日本における人権認識から言えば誠に旧い。
 藤村自身も「私の『破戒』も最早読書社会から姿を消していい頃かもしれない。その意味は、部落民というような名詞ですら最早我国の字書から取り去られてもいいように、その部落民のことを書いた『破戒』のような作も姿を消していい頃かと思うのである」(1929《昭和4》年・新潮社刊『現代長編小説全集』第6巻「島崎藤村編―序にかえて」より)と、『破戒』の中で使用されている「差別語」が大きな社会問題となっていることに「気遣い」を示している。
 この背景には1922(大正11)年に創立された全国水平社が差別糾弾闘争を全国的に展開したことがあったことは間違いないようであるが、「気遣い」とはいえ、「姿を消していい頃かもしれない」という深刻な言葉には、藤村の中に『破戒』を過去のものとして葬りさりたいという認識が存在していたことも確かなようである。 
 小説『破戒』の意義は、明治期の日本国民における平民と「新平民」の相克を知る上では貴重な教材であるということ。また、読者が「部落」出身の若きエリートの苦悩と葛藤に共感し、被差別者である丑松の心理と同調することで、差別の不条理を疑似体験できることである。ここに名作として高い価値が存在しているのである。
 今日では小説『破戒』の丑松は存在し得ないし、存在していない。遅れた人権認識を持つ差別者は「部落民」が存在すると主張しているようだが、それでも明治期のような差別・偏見ではなく、「部落民」(虚構)を自らの不遇から生まれる社会への妬(うら)み、嫉(ねた)みのはけ口にしているだけである。今後、日本国民の人権認識が高まれば国民から孤立して消えていくうたかたのようなものである。
 反対に、「ネット」という「ブラックボックス」の中で展開される「ネット差別」を利用して、「部落民」であることを自覚し、部落解放運動に立ち上がらなければならないという主張も存在している。​新しい映画がそうした主張に利用されないように願いたい。​
 確かに「ネット」のごく一部には人権侵害の域を越え、刑事犯罪を予見させるような記事もあるが、ほとんどの記事は権威と圧力に弱い内気な日本人の一部にくすぶっていた差別・偏見が「ネット」の匿名性を利用して噴出しているだけである。こうした差別・偏見については「ネット内対話・議論」によって解決可能な問題である。むしろ、そうした積み重ねこそが、「部落タブー」という虚構を突き崩していく力となるように思えるのだ。
 ​現在は『破戒』の時代ではない。​
『破戒』の時代ではないとは⁉それは以下の通りである。
①「部落民」を差別することが法的にも社会的・道義的にも許されない時代。
②仮に差別者がいて、あなたが「部落民」であると攻撃されたとしても「社会から捨てられる」ことはない。あなたが公然とたたかえば、むしろ差別者が「社会から捨てられる」時代。
③差別者が極めて少数であるため、日常的生活において問題が生起せず、「部落民」であるという自覚が希薄化し、消滅していく時代。
④「部落民」が消滅していくために、差別者との最終的なたたかいは「部落民」の課題にはならなず、国民全体の課題となる時代。
 こんな時代に丑松は必要ではない。
 
​​※詳しくは2017年7月24日-「賢人の言葉から学び、差別を許さない者になろうーなれるかな?」を参照ください。​​
 





妻籠宿の石仏 木曽路には多くの石仏がある。多くの石仏は地蔵尊や馬頭観音などであるが、長年の風雨にさらされて姿形のわからないもの、嵐で倒れたのか、真ん中から割れている仏さんもいるが、みんな大切にされている。​​​


 



​ ※次回は後篇-映画『破戒』の意義と限界を解明します。​

かつ消え、かつ結びて止まりたるためしなし 「部落地名総鑑」で部落差別は再生産できるか

​​​​
かつ消え、かつ結びて止まりたるためしなし
「部落地名総鑑」で部落差別は再生産できるか





​雪の八幡掘(滋賀県近江八幡市)の景色。​



 ​はじめに​

 「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」(『方丈記』鴨長明)のように、「同和地区」への認識は水の流れのように絶えず変化している。
​ ​水の流れには必ず澱(よど)む場所ができるが、「かつ消え、かつ結びて止まりたるためしなし」であり、今の澱みは過去のものと同じではない。「部落地名総鑑」は澱みの「うたかた」にすぎず、部落差別解消への流れを堰き止めることはできない。​
 これは神戸市内のある「同和地区」(かつて同和対策が行われていた地域)に住む高齢者から最近聞いた話しだ。老朽アパートに入居した人が「同和地区」だとわかって、すぐに引っ越しした。しかし、同じ「同和地区」に建設された一戸建てや分譲マンションは即完売したという。
 その人は「不思議な気がする」と言った。
 これは「不思議」なことではない。低所得者といえど偏見にとらわれている人は存在するし、高額所得者といえど偏見を持たない人たちが増加しているという例証である。認識は個別的で不均等に発展するから、一律的な現象とはならない。 
 かつては低所得者は低家賃アパートの密集する「同和地区」に集まったから、新築の一戸建てや分譲マンションなどは建設されることは無かった。建設しても高額所得者は入居しないと考えられていたからだ。
 ​変化は起こっているのだ。​
 「同和地区」に対する偏見は解消への過程にある。それは水の流れのように不変である。時代遅れの封建的認識が近代的な人権認識に置き換わり、偏見を偏見として認識できる日本人が増えているのだ。
 確かに「部落地名総鑑」が小さい澱みをつくり出しているかもしれないが、流れは変えられない。「人間は平等である」とする認識は人類史の到達点であるからだ。
 今回は変化をキーワードにして、「部落地名総鑑」の本質に迫ってみることにする。






​​​円空の旅―弥勒寺を訪ねる​(前号からのつづき)

岐阜県関市池尻にある天台寺門宗の寺院弥勒寺(みろくじ)を訪ねた。山号は龍華山。本尊は弥勒菩薩。
門柱は円空仏のレプリカで、本堂は田舎の村にある小さな建物であった。元々は美濃地方の豪族身毛津(むげつ)氏の氏寺といわれ、豪壮なものであったらしいが、理由はわからないが廃寺された。
江戸時代に入り、円空が再建し、元禄2年(1689年)に園城寺(三井寺・滋賀県大津市)の末寺となったことが記録に残されている。円空は単なる流浪僧ではなく、人望は勿論のこと経営能力もあったようだ。 
弥勒寺の再建を終わると、元禄8(1695年)年にこの地で没した。
大正9年(1920年)に寺は焼失し、所蔵していた数百体の円空仏と円空画像はほとんど失われたといわれている。​​




​1、地名には人間の思いがある​​

​ 人間には故郷がある。いわゆる生まれ育った場所だ。そこには家族があり、家族の歴史が存在する。その家族の歴史と地名が結びついて記憶されているから、地名には個人の思いが籠っている。もともとは地名は土地に対して付けられた固有名詞であるから、地名に貴賎上下があるわけではないが、ネット空間に「部落地名総鑑」がアップされていると聞くと驚く人がいる。​
 それは「部落」に思いがあるからだ。 
​ その思いは地名と結びついた部落差別の記憶から発生する。その記憶は、かつて日本国民が差別される者、差別する者に分断されていた時代のものである。ゆえに、「部落」と聞くと、日本国民のほとんどが魚の小骨がのどに刺さったような心の痛みと不快感を感じているはずだ。 ​
 ​「部落地名総鑑」の本質は不快感であろう。​
 「部落地名総鑑」を公表することは慎重でなければならない。人を嘲り、人を見下し、排除するために利用することは理論以前に厳に戒めなければならないことはいうまでもない。
 
 しかし、私たちはこの不快感を共有するだけで「部落地名総鑑」の存在を消去できると考えてはならない。この「部落地名総鑑」は歴史的に存在し、将来も存在し続けるからである。





​​修験道―仏の住む富士山

円空は、23歳から遊行聖(ゆうぎょうひじり)に加わり、日本古来からの山岳信仰に触れ、厳しい修行の中で悟りを得るとされる修験道の道へと進んでいった。 
修験道とは人間本来が持ち得ている自然崇拝に、外来の仏教・道教・陰陽道などが融合して形成された我が国独自の宗教であるといわれているが、我々素人にはイメージできない。
素直に修験という漢字を読めば、「修」とは苦修練行の修、「験」とは験得(げんとく)を表す。つまり、山に分け入って難行、苦行をすることで、普通の人では持ち得ない能力を身につけようと修行することだ。 
江戸時代に書かれた伝記『近世畸人伝』(きんせいきじんでん・江戸後期の伝記文学。伴蒿蹊〘ばんこうけい〙他著)によれば、富士山や加賀白山に籠ったことが記されている。 
険しい山道を何日も歩き、滝に打たれ、断食し、荒行とも呼ばれる修行に耐え抜く日々。そして、修行の一つとして「造仏」をする。遊行聖の中には円空のように仏像を彫り、お布施のお礼に信者に渡す聖もいたようである。​​





​2、「部落地名総鑑」が必要となった理由​​


 「部落地名総鑑」の原典の1つとされているのが、(財)中央融和事業会が発行した『全国部落調査』(1936年3月刊行)である。
 1922(大正11)年3月に全国水平社が結成され、当初の確認・糾弾路線を修正しつつ、労働運動や農民運動との連携を深め、反戦・平和、天皇制反対へと路線が転換する中、政府は治安維持法(1925《大正14》年)を制定し、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まる団体のひとつとして水平社運動の弾圧をはじめた。一方、同年に内務省社会局に中央融和事業協会が創設され、融和運動団体の育成・統合と融和事業の拡充を進めた。
 この『全国部落調査』が発行されたのは、満州事変(1931《昭和6》年)が勃発し、日中戦争が泥沼化し、国家総動員体制が強化される時代であり、同和問題の解決をめざすより、「部落」の思想統制、「部落住民」を戦争遂行に動員するための基礎資料を作成することが目的であった。
 戦後、それが興信所・探偵社などにより複製され、身元調査に利用したり、それをもとに新たなリストが作成された。中でも「部落地名総鑑」のソースとなったのは、興信所の一つである「朝日通信社」が所持していた『全国特殊部落リスト』や各地方自治体の資料などであったと伝えられている。
 「部落地名総鑑」が部落差別の手段として暗闇の中で利用され始めたのは日本国憲法に基本的人権の保障が明記され、国民に浸透しはじめたからである。






​​​求められた木端仏―12万体に疑問あり​

円空が仏像を彫り始めたのは32歳頃からと言われ、作品はすべて木像で、12万体彫ったとされるが、現在確認されているだけで、5千200体に上るという。
12万体に対しては疑問もあるらしい。円空は63歳で入定しているので、仏像が彫れた期間は約31年。一年間で約3900体ほど彫らなければならなくなるからだ。
前出の浅野会長によれば、「12万体彫るのは無理だという説があるが、最近まで全く無名だった円空さん。捨てられたり、焼かれたりした仏像も多いはずなのに約300年経った今も5千体以上も残っているところから見て、かなりの数が彫られていたことは間違いない」と、円空の12万体が有りうることを示唆してくれた。 
円空は死者の供養、病人の快癒、疫病退散、干ばつの雨乞い祈祷のために、農民の求めに合わせて仏像を寝食を忘れて彫り続けたようだ。だから、鉈の切り口を残した荒々しいものとなったようだが、粗雑なものではない。仏像の口元には笑みがほころび、目は慈悲に溢れている。苦しみからの救いを求める庶民と共にある仏像には装飾は必要ないのかもしれない。​​






​​​3、「部落地名総鑑」は「部落差別解消推進法」を誕生させた​​

 旧い「部落地名総鑑」問題が発生したのは1970年代前後といわれている。1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、差別につながる企業の応募用紙に反対する運動が広がり、「統一応募用紙」に転換された時期のことである。 
​ 家族主義的経営を基本とする日本の企業が採用者の「身元調査」をすることが困難となった時期に、ダイレクトメールなどで販売がすすめられたのである。作成・販売者は興信所・探偵社などといわれているが実際は定かでない。購入者は主に企業(約220社)で、「解放同盟」の確認・糾弾を受けて反省し、「同和問題企業連絡会」を結成し、「解放同盟」の指導を受けて企業研修に励んでいる。​
 新しい「部落地名総鑑」問題は、「鳥取ループ」というブログのネームを名乗る団体が、「部落地名総鑑」を2015年頃にネットに掲載し、それが拡散されたことからはじまる。「解放同盟」は当然ながら「ネット差別」として問題にし、マスメディアもそれに同調した。 この「部落地名総鑑」が「ネット差別」の代表証となり、「部落差別解消推進法」(2016年12月)が実現し、それに基づき、「解放同盟」は自治体における人権条例制定運動を進め、実態調査などを行わせようとしている。また、ネットにおける「部落差別監視体制」の強化を自治体と連携してすすめている。
​ 2002年の同和特別法終結後、「解放同盟」の組織は衰退を続けていた。(これはわが神戸人権交流協議会も同様である。)同和対策は「同和地区」の連帯を保障し、運動補助金は組織基盤を支えていたが、法的根拠を失い、運動補助金の削減ないし廃止が進むなか組織は存亡の危機を迎えていたはず。そうした中で、「部落差別解消推進法」の制定はカンフル剤となったようである。​
 部落解放運動の連鎖はつながったのである。






​​円空の墓―円空は入定(にゅうじょう)するために弥勒寺に来た

弥勒寺の外れの森に入り、少し石段を登ると、円空の墓がある。記録によれば、円空は入定するために、弥勒寺に来たといわれている。
​入定とは真言宗に伝わる成仏の方法で永遠の存在(仏)となることである。そのはじまりは、弘法大師空海が高野山で入定して、永遠の瞑想に入っているという信仰から生まれたといわれ、空海は現在でも高野山奥之院の弘法大師御廟で生活しているといわれている。​​
人間は心に安寧をもたらすために物語を創作する。そして、その物語が教義や権威と結びつけば、人は物語に操られるようになる。
​円空は天台宗の僧であるが、元々自然崇拝からはじまる修験道には宗派の相違いは関係がない。​
​入定は断食・生き埋めなど苦行の果てに絶命してそのままミイラ化する、いわゆる「即身仏」となる。その行為も、空海の入定信仰にあやかって俗に「入定」と呼ばれるようになった。​
円空の入定は「即身仏」になったという記録は残っていないから、修験道の仕上げとして仏に近づくための精神行為であったようだ。​​




​4、「身元調査」と「部落地名総鑑」問題の本質​​


 新旧の「部落地名総鑑」問題が部落差別となるのは「身元調査」の基礎資料として利用されるからである。そこで、興信所・探偵社が一般的に行っている「身元調査」の内容を調べてみた。その内容は以下の通りである。
 ①縁談に際しての結婚調査。
 ②取引相手の素性や背景(バックグランド)等を調べる。
 ③採用に関しての適性を調べる。
 ④中途採用の人物の経歴や仕事ぶりなどに関しての「リファレンス(照会)」を行う。
 ⑤反社会的人物とのかかわりを調査する。
​ しかも、これらの調査は対象となる人には秘密で行われるから、大いに人権侵害を生む危険性を孕んでいることは間違いない。だからといって興信所と探偵社が差別企業であるとは言わない。それは部落差別を意図して調査を依頼する個人や団体・企業がなければ「部落地名総鑑」が利用されることはないからである。​
 ゆえに「部落地名総鑑」問題の本質は、部落差別を意図して「部落地名総鑑」を利用することである。
仮に「部落地名総鑑」が目の前にあっても部落差別を意図し、実際に利用されなければ、差別とならないのである。
 しかし、調査は常に闇の中でおこなわれている。
​ 「暗闇の中でしか見えぬものがある。暗闇の中でしか聞こえぬ歌がある」(NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の剣士の言葉)なのである。​
 私たちは剣士ではないから、明るい光の中で発生する差別事象を見つけ、粘り強く糺さなければならない。端的に言えば、「部落地名総鑑」を利用して、日本全国でどれだけ差別事象が現実に発生しているかを把握するしかないのである。
 差別は実数で表れる。妄想や空想、想像で考えるなよ。




​​森の中にある関市円空館

弥勒寺から円空の墓にお参りし、雑木林の間の細道を少し歩いていくと関市円空館にたどり着く。
関市の円空資料館とはいっても小さいが、森と静寂に包まれた建物は、修験道を極めた円空仏のおられるのにふさわしい場所と思わせる。入り口はコンクリートの板柱で通路をつくり、訪れる者に円空仏との出会いに期待を持たせる。
​​​資料館に入ると、右側の壁に著名な哲学者で歴史・宗教学者の梅原猛氏(1925年―2019年)の色紙が飾られている。展示品は大きく二つにわけられている。一つは円空関係展示品、もう一つは飛鳥、奈良時代の郡衙(ぐんが・役所)関係展示品である。​​​
展示されている円空関係展示品は、常設展示と期間展示のものがあるらしいが、常設展示されている円空仏は18体だ。「円空館」とするのは少し寂しい。
しかし、当館のパンフによると、関市内にある円空仏は294体ほど。神社・寺など52カ所に192体、個人70戸に102体あるそうだ。
この場所に立ち、円空仏の世界が関市全体に広がっていると想像すると楽しい。​​





​​5、「部落地名総鑑」問題は澱みに浮かぶ「うたかた」
 
 ブックオフ(古本屋)にある有名な学者の部落問題全集が販売されていたのを見て驚いた。店員に「あれ売らん方がええで」と、簡単に理由を説明して忠告しておいた。気になって数日後見に行ったら無かった。売れたのか、お蔵入りになったかまでは確認していない。
 その全集には全国の地区名が限定的ではあるが掲載されているのだ。
 神戸市においても同和対策を進捗するために同和地区の生活実態調査をおこなってきた。当然ながらその報告集は関係団体や関係者に配布されている。それを入手すれば「神戸部落地名総鑑」はできるはずだ。誤解を恐れずに言えば、部落問題を解決するために発行した出版物の中にも「部落地名総鑑」を作成するための資料は散乱しており、偏見を持つ人間に利用される可能性があるのだ。 
 「部落地名総鑑」をこの世から消し去るためには「焚書坑儒」ではないが、資料を見つけたら片っ端から焼却するしかない。あるいは治安維持法下に行われた社会主義・共産主義文献のように発禁にし、所有していたら監獄にぶちこむしかないようだ。
 ​そんなことはできない。​
 ​ではどうすればよいか?​
 答えは簡単である。「部落」に対する偏見を無くせばいいのだ。実際に、神戸の「同和地区」では同和対策が終結してから約20年経過し、行政の「同和」と「一般」の区分けは完全に消え、住民の意識からも区分けは消えつつある。さらに、前記のように混住化がますます進み、「部落」にこだわらない人が圧倒的に多くなっているのだ。
 ​「部落地名総鑑」とは、一定の歴史期間に存在した「部落」の名称を記した資料にすぎない。地名に込められる思いは居住者が変化すれば変化する。部落差別の記憶や体験を持たない居住者が多数を占めていくと、あるいは偏見を持たない人が増えていくと、その地名から「部落」の記憶は消え去るのだ。​
 「部落地名総鑑」をネットにアップして部落差別を再生しようとする意図は澱みに浮かぶうたかたであり、国民に不快感を与えても成功することはない。そうした意味では2021年9月27日に東京地裁が「鳥取ループ」の出版部門である「示現社」が予定していた、昭和初期の「全国部落調査」の出版差し止めを命じる判決は国民の不快感を減ずる点では意味があったといえる。







​​​円空に対する偏見​

この句は、梅原猛氏が円空の善女竜王(ぜんにょりゅうおう)仏に感銘して詠んだ。
梅原氏は日本を代表する哲学者であり、文化・宗教の研究者である。
​梅原氏は、「日本の学界において、円空は今なお正統な地位を獲得していないように思われる。私は、円空は彫刻家として止利仏師(とりふつし)や定朝(じょうちょう)や運慶に匹敵すると思うが、(中略)円空は無学な田舎仏師で、大学の美術史の講義で取り上げられるようなものではないという偏見が今もなお存在している」(梅原猛『思うままに 戦争と仏教』文芸春秋)と、円空の彫刻に対する学界の評価の低さを嘆いている。​
平安末期創建の宇治平等院の定朝作の阿弥陀仏、鎌倉時代の運慶・快慶という天才の仏像製作の流れが、大寺院の信仰を支える仏像の見本となり、それが職業的な仏師により模倣されてきた。
円空仏は現実社会で苦しむ人々の苦悩を救済する仏像であるから、表現形式にはこだわらず、本質的である。
​形式がこの天才の評価を歪めているのだ。​​​







​​円空入定塚を訪ねる―長良川を鎮める

円空の入定地は、関市円空館から歩いて15分ほどの長良川のほとりにある。
生誕地は諸説あるが、没した場所についてはここ関市池尻であることで一致している。
弥勒寺の墓碑銘に拠れば、円空は64歳の時(1695年7月13日)、己の死期を悟り、弟子に後事を任せる。そして弥勒寺の南に位置するこの長良川河畔に穴を掘り、多くの里人に見守られ念仏を唱えながら自ら土に埋もれ、入定を果たしたという。
長良川河畔を選んだ理由は、母の命を奪った暴れ川を鎮めるためという説がある。
弥勒寺の山中には藤が繁茂しており、円空は「この藤が咲く間は、この土中に生きていると思ってほしい」と言い残し、この世を去った。 
円空入定塚は藤棚の下にあり、季節になると藤の花が咲き誇っているという。(円空の旅終わり)​​








​​​​​​​来年は水平社創立100周年 2021年からはじまる水平社の旅​​​(あらすじ) ​​​ 「ありがとう水平社」と言おう、日本国民は恥をかかずにすみました​​

​​​​
​​​​​​来年は水平社創立100周年
2021年からはじまる水平社の旅​​(あらすじ)
​​ 「ありがとう水平社」と言おう、日本国民は恥をかかずにすみました​​



​​​​水平社創立してくれてありがとう

今年は水平社創立100周年、水平社の創立の意義は日本国民(一部)が日本ではじめて地域を基礎にした自主的な人権運動を開始したということにある。
もし、こうした日本人がいなければ、部落差別は残され続けたかもしれず、「バイデン米大統領、日本にはチベット以上に酷い人権侵害があるんです」と訴えられる状況にあったかもしれない。
日本は中国以下の人権後進国として世界から批判され、オリンピックの開催はおろか、万博さえ開催できるかどうかわからない事態に陥っているはずだ。
だから水平社を創立した国民に、今年は気持ちを込めて「水平社創立100年おめでとう。ありがとう」と、言おうぜ。​​​








​​​今年のはじまりは円空さん​(円空肖像画)

異常気象から人類の生存を守らなければならない時代に突入している。しかし、​私たちは前号で紹介した良寛さんのように不要なものは捨てるという覚悟を未だ持てていない。​
50年前はどこの家にもクーラーはなかった。すき焼きは盆と正月、焼肉など高嶺の花だった。そんな生活に戻ればCO2が大幅に減少するのはわかっているが、できない。
​だからSDGsという新しい技術革新に頼り、快適な生活と豊かな生活を守り続けようしているが、今の生活を守れるはずがない。​
​前回は​Eco​生活をした良寛さんの旅でしたね。今回は良寛さんより時代を遡り円空さんを訪ねる旅である。​
「なんで坊さんばかりを?」と、疑問を持たれる人もおられるだろうが、このお二人には共通性があるのだ。​
お二人とも、地位や名誉を望まず、流浪、貧窮を楽しみ、庶民救済に生きた僧侶で、二人とも庶民に愛された芸術家だったことである。
​​CO2削減の精神を学ぶにふさわしい人物なのだ。​​​​





​​1、水平社の旅―NO1では「人間はなぜ差別するのか?」について検討させていただきました​​
 
 ​部落問題は解消の段階にある。ゆえに部落問題は混乱している。​
 その混乱の主戦場は「ネット世界」で生まれていることはいうまでもない。主な混乱は、部落差別と民族差別を「差別」という共通概念だけを取り上げ一面的に強調することで部落差別を民族差別と同質化してしまうこと、さらに、最近のマスメディアの報道でよく見られる「部落民」が部落差別があると「感じれ」ば、差別的実態とは関係なく、「部落差別は存在している」とする空想的な差別を肯定すること、また、「部落地名総鑑」をネットに掲載して、「部落」の地名を公にすれば、封建社会が現代社会に復活できると考えている時代錯誤などである。
 その根底には「人間は差別する動物である」という人間不信が存在するようだ。そこでNO1では、部落差別の原点ともいえる人間の生物的本能と人間社会発展の相互関連について検討させていただき、「人間は差別を克服できる生物である」ことを提起させていただいた。

​※まだお読みでない方は次のアドレスをクリックしてください。​
​​​2021年05月31日・来年は水平社創立100周年―2021年からはじまる水平社の旅(NO1)​​






​​幼き日に洪水で母親を無くす

2020年の3月末、円空の生まれた地とされている岐阜県羽島市・中観音堂を訪れた。
中観音堂の資料によれば、円空は江戸時代のはじめの寛永9(1632)年、この付近で生まれた。このあたりは長良川と木曽川に囲まれた土地であり、大雨が降るたびに洪水が村を襲う貧しい地域であった。
もの心がついた時には父親はすでになく、6歳の時に洪水で母親を亡くした。天涯孤独となった円空は、尾張の寺に小僧として預けられ天台宗の僧として修行した。
この時代は、かつての弘法大師や行基のように、地方を巡って様々な仏の功徳を説法する遊行聖(ゆぎょうひじり)というものが存在していた時代であった。​​








​​流浪の中―円空の彫った仏像は12万体

円空は、23歳からこの遊行聖に加わり、流浪の旅を始めた。遊行聖の中には円空のように仏像を彫り、お布施のお礼に信者に渡すものもいたようである。
円空が仏像を彫り始めたのは32歳頃からと言われ、作品はすべて木像で、12万体彫ったとされるが、現在確認されているだけで、5千200体に上るという。
彼は生涯を旅に費やし、近畿から北海道にまで足を運んだという。そして、その旅の先々で彫ったのが円空仏である。その仏像は、荒々しく鑿(ノミ)で削られた跡があり、木肌が生々しくさらされている。さらに、顔の造形は徹底的に単純化されており、従来の仏像にはない独特の存在感を放つ。
しかしながら、円空の初期の作品にはその「荒々しさ」はなかったという。それどころか、作品からは実にていねいに鑿を入れていたことが窺えるらしい。​​






​2、水平社の旅―NO2では差別の根源について検討させていただきました​​

 差別が無知と恐怖を根源として生まれること、その無知と恐怖を家族・社会の力で制御しながら社会を進歩させた。同時に、社会の発展は差別を生み、それを残し支える制度を創りだした。しかし、その時代における人民の差別認識は近・現代におけるものではない。宗教や信仰をイデオロギー的背景とする身分制に基づく、「強制力」のある「しきたり」や「御定法」などの下で、むしろ多くの人民は宿命として受け入れていたのであるが、大飢饉のような家族・一族、共同体が生存の危機に追い込まれた時には一揆などの怒りの行動をとった。
​​​​ 差別は分断を生み、分断は権威あるいは権力者の扇動や政策によって分断社会となる。分断社会は差別の発生装置のようなものであり、人間が恐怖に追い詰められ極度の緊張状態に陥った時、その装置は強い憎悪感情を生み出し、様々な差異を理由にして排除したり攻撃することで、分断を広く深くする。

​ ※まだお読みでない方は次のアドレスをクリックしてください。​
 ​2021年07月02日・​来年は水平社創立100周年​―2021年からはじまる水平社の旅 人類は無知と恐怖とたたかいながら社会を進歩させた(NO2)​​​​






​​​​​​幸運にも「円空学会」浅野薫会長​(左側の人)に直接お話しが聞けました

中観音堂にある資料館を訪ねた時。幸運にも「円空学会」の会長・浅野薫さんがおられたのです。会長はきさくな方で、少し尋ねると、次々と円空の人生、彫刻の変遷、円空の歴史的評価などについて詳しくお話ししていただけました。​
浅野会長によれば、「この地で生まれたとされているが諸説ある。また、天台宗の僧であったといわれているが浄土真宗の僧という説もある」らしく、​依然として謎の多い人物らしい。​
伝承では洪水で非業の死を遂げた母の供養のため出家し、全国を行脚する放浪の旅に出て、飢饉や流行病を治したいという気迫を込めて、自らの思うままに鋭いノミ痕の残った仏像を彫り続けた円空だが、当堂の本尊の「十一面観音像」について、​「この仏さんは円空仏の初期のもので、よく知られている円空仏の彫り方ではありません」。​​​​​​





​3、水平社の旅―NO3では社会はその社会の価値観に支配されることを検証しました​​

 人権教育・啓発では部落差別の根拠として、封建社会の身分が「最下層」だった、「人の嫌がる仕事をさせられていたからだ」という理由を、さもまことしやかに教えている。しかし、封建社会の身分制度は少数の支配者と圧倒的多数の農民を基本として成立しており、商、工、賤民は職業区分による補完身分にすぎなかった。さらに、それぞれの身分ごとにも、「しきたり」「御定法」などという強制力が存在し、生活圏、職業は宿命的に固定化され、社会的交流はほぼ完全に分断されていた。そうした状況の中では、それぞれが他の身分を「異界」として認識することはあっても、「部落民」が「最下層身分」、部落民の仕事は「人が嫌がる」などという明確な社会的観念は存在していなかった。なぜなら居住地の移転も、職業の選択権もないからだ。​
 身分制社会を支えるのは他の身分に対する憎悪や嫌悪、排除感覚であろう、特に、「斃牛馬処理権」という特権を与えられた「部落民」を憎悪しないはずはないだろう。
 
 ​※まだお読みでない方は次のアドレスをクリックしてください。​
 ​2021年08月07日・来年は水平社創立100周年―2021年からはじまる水平社の旅 封建社会の農民を知らなければ部落差別はわからない(NO3)





​​​​円空初期の観音菩薩像(中観音堂所蔵)

この観音菩薩像にみられるように、円空初期の仏像は後期のノミの荒々しさがなく、仏の姿も従来の仏師の彫りを踏襲している。
「なぜ表現が変わったのですか?」と聞くと、前記の浅野氏は「想像ですが」と前置きし、旅に生きていたからではないか、各地を流浪し、乞食行で飢えをしのぐ中で仏像を彫る円空には、普通の仏師みたいに道具を背負って歩くわけにいかない。 
当時、仏師があくまでも職人として、寺院や権力者の注文に答え、自分の創造性を抑圧して、古来の仏像を模倣するのに対して、円空さんは野山に起伏して生きる人生の中で、木の中に仏を見出し、いらないところだけを削っていくという技法を生み出したのではないかと、お話しされた。
​円空は流浪したがゆえに、自らの思うままに彫っていくことができたようだ。​​​​






​​4、水平社の旅―NO4では日本人の人権の理解度について検証しました​​

 昔、日本人はコーヒーを飲む時、角砂糖を2個、3個入れてかき混ぜて、お汁粉のように甘くして飲んでいた。現代ではブラック、微糖が主流らしい。
 人権という概念が外国から輸入され、それが自由民権運動として広がったが、それでは苦すぎたせいか大日本帝国憲法に収斂された。コーヒーのように人権に「天皇制という角砂糖」を入れて、「帝国臣民」の味に変えて飲み込んだ。
 日本が明治から昭和にかけて大きく変化した。国家は極端すぎるくらい中央集権化し、軍事体制は常在化した。それを支えるために国民は重税を払い、兵役義務を果たしていた。
 封建社会下の農民の状態と意識、その農民が明治の近代化のもとで国民となったが、個人の自由・平等を原理とする人権認識が広がることなく、「帝国臣民」としての意識を成長させた。こうした軍事国家体制のもとで水平社は生まれたのである。
 水平社は鉱内の鳥かごの中でかよわく鳴くカナリアのようなものであったが、水平社に結集した人々は確かに自由・平等を求めて鳴いたのである。夜明けに向かって鳴いていたのである。

 ​※まだお読みでない方は次のアドレスをクリックしてください。​
 ​2021年09月10日・来年は水平社創立100周年―2021年からはじまる水平社の旅 人権の保障されていない戦争国家で水平社は生まれた(NO4)






​​​​​飛騨高山市・千光寺の両面宿儺​(りょうめんすくな)​に会いに行く​

夏の終わりに、円空の最高傑作といわれる両面宿儺を所蔵している飛騨高山市千光寺を訪ねた。
寺伝によれば、仁徳天皇65(377)年、宿儺(すくな)が開山したと伝えられる。寺は幾たびの天災、戦火に焼かれたが天正16(1588)年、高山城城主金森長近により再建された。
円空は貞享2(1685)年頃、千光寺に滞在し、最高傑作といわれている宿儺などを彫ったという。宿儺は飛騨地方の伝説では凶賊ではなく官軍に討伐された飛騨の豪族として、農民に禍をなす龍や悪鬼を退治した観音様の化身という伝承が伝わっている。
但し、これらの伝説の起源については定説はないらしいが、宿儺は大和王権によって征服され、怪物のように描かれているが、米の取れない山峡飛騨で苛酷な生活を強いられてきた農民は宿儺を愛し、宿儺を観音信仰の蔭に隠して伝承してきたのではないかと指摘する研究者もいる。​​​​








​​円空仏寺宝館に鎮座する宿儺

千光寺の境内に寺宝館がある。中に入ると、円空の仏像が陳列されているが写真撮影は禁止だ。まず、巨木の幹に彫られた観音像の迫力に圧倒される。​「木の中に仏がいる」「仏を木から取り出す」という円空の思想がよく表れている。​
円空は流浪と修験道を極める中、人間と自然は一体のものであるという認識を深め、動かない、話さない自然の中にも人間と同じように仏性が存在していることを悟ったのであろう。
​​「山川草木悉皆成仏」(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)という思想だ。​​
哲学者で円空研究者の梅原猛は言う、「自然との共生・循環を考える哲学。そのような哲学は、これからの人類哲学とはとうてい言えない」と、「共生・循環」という哲学の中に、すでに人間が一番、優先という思想が垣間見えると批判しているのだ。
仏像を見ながら館内を歩いていると、突如として宿儺が現れる。ガラスケースに入っているのだが、闇の中に光彩を放ち浮いている。
恐る恐る近づいて見ると、大きさは大人が両手で抱えられるくらいだが、周りを圧倒するような存在感を示すその姿は荘厳であった。​​







​​5、水平社の旅―NO5では部落問題解決と反共主義の関係について検証しました​​
​​​​​​​​​ ​​
 部落問題はすでに終わり、「解同問題」になっている。「ネット」の「部落問題関連サイト」を見ていると、同和対策や「解放同盟」(利権派)に対する批判​​​​​​​​​​​​が多い。にもかかわらず何故、自治体は国の同和特別法が終結してから20年ちかく経過しているのに、「解放同盟」(利権派)のいいなりになり、同和対策を継続し、団体補助金を支給しているのか? そうした根源的な問題にメスをいれさせていただいた。
 「解同問題」とは、反共主義を錦の御旗として政党、行政、「解放同盟」が一体となり、もはや社会的合意が得られない、部落問題の最終解決の妨げとなっている同和対策や人権・同和教育を推進することで、国民の不満や批判だけでなく誤解を受けている状態を指す。
 ​これが「ネット差別」の主な原因となっているのである。​
 もしすべての行政が反共主義から脱却し、主体性を確立し、同和対策を終結させ、「解放同盟」(利権派)も一般対策のもとで地域の改善、人権教育・啓発を進める団体へと転換すれば、これほどの批判を受けることはないし、あったとしてもすぐに消え去るはずだ。
 
 ​※まだお読みでない方は次のアドレスをクリックしてください。​
 ​2021年11月10日・​​​​​来年は水平社創立100周年―2021年からはじまる水平社の旅 部落問題はすでに終わっている、最終的な課題は「解同問題」(NO5)



​​​ついに「両面宿儺坐像」にご対面​

円空の仏像の中でも最高傑作と名高い「両面宿儺坐像」だ。正面の顔は慈悲深く、側面の顔は憤怒の形相をしている。民を思いやり、民を守るために鬼神となった宿儺の姿を荒々しいノミの跡で表現している。
『日本書紀』に、「六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つの胴体に二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷で、左右に剣を帯び、四つの手で二張りの弓矢を用いた。そこで皇命に従わず、人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣の祖、難波根子武振熊を遣わしてこれを誅した。」(現代語訳)
このように怪物・悪鬼の如く表現しているのは、王権に服さない豪族に対する蔑視を込めた形容とも考えられるが、権力は従わぬ敵を怪物・悪鬼にしてしまうのだ。
円空は飛騨の民の底流に伝えられてきた伝承をもとに宿儺を仏として彫りあげたのである。
                 (この円空のはなしは次回につづく)​​
​​​​
カウンター
プロフィール

神戸人権連

Author:神戸人権連
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR