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常識から考えてこれはおかしいよ特集 その3

これはおかしいよ3 行政に人の心が裁けますか?

 

●「○○は同和地区ですか?」というくだらない問い合わせ

 

 神戸市の行政関係者の話を聞くと、人権関係の窓口に「あそこは同和地区ですか?」「部落ですか?」という問い合わせが年に数回はあるという。当然ながら「そういう質問には答えられない」と回答するという。しかし、新聞報道によれば滋賀県下の自治体においてはこうした当然のことが行われていないらしい。

 内容は、滋賀県下の愛荘町役場に「○○は同和地区ですか?」という問い合わせが電話であったという。担当者が氏名と住所を聞くと「別の人の氏名と住所を語った」という。愛荘町は問い合わせた住民が東近江市の住民であることを突き止め、市に調査を依頼。市が調査したところ問い合わせた動機には「差別的意図はない」と回答したというものである。

 その調査に納得しない愛荘町と「解放同盟」が、問い合わせた住民の差別意識と市の対応を批判し、問題となり、さらに、東近江市の市長が「解放同盟」ベツタリの市長に代わってから、見解を180度転換させたため大問題となっているというものである。

こうした経過はともかくとして、この問題の本質を簡単にいえば、「○○地区は同和地区ですか?」という問い合わせが差別であるかどうか、行政はどのような基本的態度をとるべきかである。


●問い合わせに対して行政のとるべき態度は

 

当然ながら差別は実態概念であり、差別的意図は行為として現実のものになってはじめて差別・人権侵害が成立することはいうまでもないから、こうした質問や疑問が社会的に考えて降らない行為であることは明白であるが、問い合わせそのものだけでは差別とは言い難いことはいうまでもないが、行政の場合はこうした質問に対応する際には幾つかの配慮が必要になることはいうまでもない。


 その1は、「○○は同和地区ですか?」と尋ねられた○○地域に住む住民感情への配慮である。今日では部落差別は社会的に大きな問題とはなっていないとしても、差別の厳しい時代を知っている住民が依然としておられ、そうした問い合わせが現在でもあることを知れば落胆し、悲しい思いをすることがあるということである。


 その2は、差別意図があろうがなかろうが、「○○は同和地区ですか?」と尋ねる行為は、結婚、就職などの差別に繋がる行為であったという歴史的事実があり、将来は別として、人権教育・啓発推進という現在においては依然として行政関係者が強く警戒する行為であることはいうまでもない。


 その3は、行政という公的機関が、同和特別法や同和対策がない今日において、市民の「同和地区」を確認したいという要望や要求に対して対応する義務や権利があるかどうかである。行政的にいえば同和対策と共に同和地区は解消されるべきであり、本来ならば「同和地区はない」というべきであろう。また、仮に同和対策を継続していても前記の1と2を考慮するならばうかつに答えるべきでないことはいうまでもない。


 その4は、行政が「解放同盟」などの運動団体に「差別事象」を通報することである。差別意図があろうがなかろうが、差別行為があろうがなかろうが、中立であるべき行政が特定の運動目的・理論を持つ団体に差別の判定を委ねたり、差別問題を解決すると称して共に行動するというのは間違いである。


 その5は、当人に差別的意図はあるなしは別として、差別的行為を行っていない段階において市民を差別者扱いし、内心に踏み込んだ調査をするのは一種の人権侵害であり、行政であろうが運動団体であろうが決して許されるべきことではない。

 以上の諸点を考察すると、「○○は同和地区ですか?」という問い合わせに対する行政の正しい態度は「その件については一切お答えできません」と回答することがベストである。

 その態度を継続すれば、行政に問い合わせても何も答えてもらえない、分からないということが社会的に定着していけば、いずれ問い合わせは無くなるであろう。

中には、「善意で同和地区であるかを問い合わせする場合があるのでは?例えば、学者・研究者が実態調査する場合のように…。」などという意見を聞くことがあるが、こうしたケースは現実的にはほとんどありえない。そもそも常識のある学者・研究者の方々が自らの名前も住所も調査意図も語らず「○○は同和地区ですか?」などと尋ねてくることはまず無いであろう。神戸だけのことかもしれないが、そんな体験はないし、そんな話しがあったということも一度も聞いたことがない。


●税金を使った「差別ごっこ」ではないか

 

こうした立場からいえば、愛荘町の問い合わせに対する対応はすべてにおいて誤りである。また、愛荘町の強い要請があったとしても東近江市が電話の主の調査をし、内心に踏み込み「差別的意図」があったかどうかを判定するのも行過ぎた行為であろう。さらに、問題なのは新市長と結びついて「解放同盟」が主導し、差別事件に仕立て上げようとしていることである。誠に東近江市の市民の皆さんはお気の毒である。新市長と「解放同盟」は税金を使って「差別ごっこ」をしているのである。 

 問い合わせという行為は、やみくもに同和対策を継続し、一方的に同和啓発・教育を継続してきた結果、現実には差別事象がほとんど派生しなくなっているのに、差別は依然として多発していると思い込むことにより生まれる同和地区への「新しい異質感」が作り出した結果であり、「旧同和地区関係者」にとっては不愉快なことであっても問い合わせそのものがすべて「旧同和地区」「旧同和地区住民」に対する差別行為に直接つながるというものではない。

さらに言えば、問い合わせで市政や町政が混乱するなどというのは「解放同盟」の悪影響を受け、「解放同盟」を異常に恐れている自治体がかかるハシカのようなものであり、行政の主体性の欠如が原因である。

主体性の欠如の背景には、部落問題を最終的に解決する道筋が見えず、「解放同盟」路線に追随することで行政責任を回避するという安易さと無責任さの表れであり、部落問題の解決にとっては最も有害といえる姿勢である。こうした病根を治療するのは市民の批判しかない。しっかりと行政としての主体性を確立させ、「○○は同和地区ですか?」などという一部市民による降らない問い合わせが自治体の「重大な人権問題」にならないように基本的態度を明確にさせることが大切であろう。
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常識的に考えてこれはおかしいよ特集 その2

おかしいよその2 元自民党幹事長の野中広務さん

野中広務2 
 部落解放運動に参加せず、自民党という保守本流を歩いてきた
野中広務氏が語った部落問題は何かおかしいのだ…。



 野中広務さんはすごい人だ!京都府下の町会議員から町長になり、府会議員、京都府副知事を務め、自民党から衆議院選挙に出馬し、当選して以来、大臣を歴任し、最後は自民党幹事長までやった大物だ。その大人物が「差別と人権」(『角川oneテーマ21』)という本で自らが部落出身で差別を受けてきたことを告白して話題となった。
 本の中で語られている内容には相当の事実誤認はあるが、それはこの際横に置くとして、その本には、麻生元首相が首相になる前(2001年)に、ある会合で「野中やらAやBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい」と暴言を吐いたということを、「ある新聞社の記者」が手紙で教えてくれたというくだりがある。

 麻生太郎が「家柄・血筋自慢」の程度の低い議員であることは多くの国民が知っていることだが、野中さんも相当程度が低い。

 その理由の第1は、こんな大切な問題を今頃になってなぜしゃべるのか?その時点において問題にし、公にしていれば、あんな程度の悪い総理大臣は誕生しなかったかもしれない。少なくともアメリカヨーロッパで「黒人は大統領なれない」などと言えば、大統領はおろか議員辞職となるであろう。したがって、麻生太郎は総理大臣になるどころか議員としての地位さえ危なかったであろう。

 第2の理由は、野中氏は当日会合に参加した議員には事実確認したようだが、麻生氏本人には直接事実を確認していない。(確認したとは書いていない)本当に人権を守るという決意と気概があれば事実確認は常識でしょう。

 第3の理由は、「ある新聞社の記者」は直接会合で聞いているのに、なぜ野中氏は記者の名前を明かし、その事実を公表させようとしないのか。

 第4の理由は、「ある新聞記者の記者」は直接会合で聞いて何故、その場で問題にしなかったのか?仮にも人権を守る使命を担う新聞記者であろう。
 これらの話しを総合すると、野中さんも「ある新聞記者」も自民党もなれあいで、本気で差別問題を解決する気がないのである。野中さん得意の裏取引でもあったのか?
 そこで野中さんへ、あなたが差別を受けてもそれを乗り越えて大物になったことを自慢されるのはよくわかりますが、社会的に大きな影響力を持つ大物政治家の差別発言を曖昧にしたことを反省せずに、地域で地道に運動を続けてきた運動団体を批判するのはいかがなものですか?
 私たちのような草莽の士でも麻生発言を曖昧に終わらせませんよ。

常識から考えてこれはおかしいよ特集 その1

 その1 猿回し芸人の村崎太郎さん  


 
むらさきたろう



 最近、猿回しの村崎太郎さんが、マスコミによく登場し、自分が「部落出身」であることを告白している。
 内容は芸能界で「部落出身」であることを「発覚する」ことを恐れていたというものである。
まるで島崎藤村の「破戒」の丑松であるが、この考え方はまちがいである。

◎第1の間違いは、「部落出身」を自覚すること
 今は江戸時代のような身分制社会ではない。よって、何人も自らの身分を自覚し、名乗る必要はない。但し、旧身分を利用して商売したい人は別である。

◎第2の間違いは「告白」すること
 「部落」に生まれたことはなんら罪ではない。ましてや犯罪を犯して潜伏しているわけではない。
 よって、「告白」などする義務や必要は全く無い。

◎第3の間違いは、ふるさとを自ら卑下していること
 人間には誰でもふるさとがあり、どこのふるさとにも歴史があり、一生懸命に命をつないできた家族の歴史がある。その歴史に優劣を付けるのは間違いである。
 麻生太郎のような「出自・家柄」にこだわる人間もいるがあれは時代感覚と人権認識がおかしいのである。

◎「部落差別」のない状態を想像して見てください
 学校や職場、地域の日常生活において交際や交流する際に相手の地域の歴史や家柄・血筋を意識していますか?
 ほとんどの人は意識していません。大切なのは人格・能力ですね。
 かつての家柄・血筋が利用できる人は天皇家だけで、一般的にはなんの利用価値もありません。
 健全な社会とは家柄・血筋ではなく人格・能力で人間の価値が決まる社会ではありませんか。

◎一部の遅れた意識をもつ政治家のように、血筋や家柄を自慢する人は心が貧しいと思いませんか?

ブログの主旨

 人権問題を複雑で解決困難なものと考えている方がたくさんおられます。その背景には、行政をはじめ様々な団体や政党の主張や意見の食い違いがあるよう思われます。 例えば同和問題です。地域人権連は同和問題は基本的に解決し、現在は総仕上げの段階にあるといい、解放同盟は表面的には解決したようにみえるが、国民の間には部落に対する差別意識が深く潜在化していると主張しています。
 多くの国民の皆さんはどちらが正しいとお考えになりますか?また、それを判断する際に何を基準としていますか?行政の広報、政党の主張、マスコミの報道、どれを基準にしていますか?
 このブログでは、様々な主張や意見は尊重しつつも、そうした立場から離れ、人間が豊かに楽しく平和に暮らすために、営々と築いてきた常識という立場で様々な人権問題に接近したいと考えています。
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