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「週刊朝日の橋下徹・大阪市長についての連載記事に関する、朝日新聞社報道と人権委員会の見解」に対する疑問と意見書

「週刊朝日の橋下徹・大阪市長について
 
の連載記事に関する、朝日新聞社報道

と人権委員会の見解」に対する疑問と意見書

 

 

「週刊朝日」のおかしな反省と不可思議な見解

 

 はじめに

 

 部落問題報道において、「解放同盟」から抗議を受けたり、確認・糾弾を受けたりした場合の自己批判や謝罪は知っているが、新聞・雑誌が公人で人気者であるとはいえ個人の抗議を受けて、このように全面的に謝罪したという話は聞いたことが無い。

 余程強い国民的抗議を受けたのか、橋下徹氏の「朝日新聞取材拒否」の態度が応えたのかは不明ではあるが、これまでの流れを見ると、余りにも本質論を抜きにした解決であり、「週刊朝日」と「解放同盟」と橋下徹氏の三者によるデキレースではないかとさえ思えるような展開となった。

 時系列的にいえば、掲載、橋下徹氏の抗議、掲載中止、「解放同盟」の抗議、そして、PRCの見解、橋下徹氏の「了承」となっており、「週刊朝日」は最初から橋下徹氏に頭を下げるために掲載したのではないか?とさえ思えるほどの手際よさであった。

 いずれにしてもこの過程において、私たちの指摘したように、朝日新聞には部落問題の現状認識に誤りがあることが一層明確になったので、いくつかの疑惑とともに、改めて問題点を指摘し、改善を要求する。

第三者機関朝日新聞 

1、PRCの見解への疑問

 

疑問-1

PRCの見解(「見解」)の中に、橋下徹氏の「政治信条や人格に出自が投影している」として「出自について書くべきだと考えていた」として、取材したとある。その取材の中身は詳細には発表していないが、維新の会の議員とともに、部落解放同盟関係者からも取材したとある。

部落解放同盟関係者は取材の目的も聞かず知らず取材に協力したのであろうか?そんなことはあり得ないのではないか?週刊朝日の報道目的を知りつつ協力したものと考えられる。また、この点については週刊朝日の「経過報告書」にはない。

 

疑問-2

「見解」の中には、10回から15回の連載を予定していながら、企画について「その狙いの当否、各視点の相互関係、手法、表現のありかた等について、社内において慎重に議論すべきであった」が、「検討する企画書もなく、レジュメもコンテもない」とある。

こんないい加減な話しを信じる人がいるであろうか?仮に本当であったとしても、企画書もレジュメもコンテも作らなかった、残さなかった背景には、しかるべき理由があったものと考えられるが、その理由が解明されていないのは何故か?

 

疑問-3

雑誌統括が「被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった」とあるが、その内容はすでに週刊新潮(11月3日号)で公表されている。また、その記事に関して、橋下徹氏や「解放同盟」からの抗議を受けて、訂正・お詫びしたという事実は公表されていない。 

こうした流れから見れば、デスクが「佐野さんの原稿です」と言って、押し切る理由は充分あったとものと考えられる。「見解」では、「時間切れ」を理由に訂正されなかったようになっているが、この企画の核心がこの部分にあり、もともと変更することは不可能ではなかったのか?

 

疑問-4

橋下徹氏の朝日新聞に対する抗議と取材拒否を受けて、ただちに「お詫び」を出し、掲載中止を決定した。理由は、前記の「地区の特定」をしたことであるが、他の週刊誌・月刊誌においては複数掲載されている事柄である。

結局、掲載中止の理由は「差別表現」ではなく、「時の人・橋下徹」に逆らい、来るべき総選挙を含む政治情報の入手が困難になることを恐れたからではないのか?また、記事掲載の裏に「解放同盟」との密約はなかったか?

 

疑問-5

結局のところ橋下徹氏は、了解も無く父親が同和地区の出身であることを明るみにされ、そのことは「ハシシタ」「奴」「本性」という侮辱的な表現とともに、社会に流布された。皮肉なことに、「お詫び」掲載中止、「見解」により一層広く国民の間に流布される結果となった。

橋下徹氏は朝日の見解を「了承した」として問題を終息させた。総選挙前にこの問題を長引かせることは得策ではないと考え「了承した」のかもしれないが、問題が終わっていないことはいうまでもない。 

仮にも橋下徹氏は大阪市長であり、同和問題解決の先頭に立つべき立場の人間である。何故、このような記事が出されたか?本質的な解明を進めるべきではないか、また、朝日新聞には厳しく対応しながら、何故、他の雑誌・月刊誌に対して謝罪を要求し、部落問題に対する正しい認識を広げようとしないのか?も明確にすべきではないか。

 

2、マスメディアの世界に封印された部落差別

 

 

1、「被差別部落の地区の特定」は差別か?

「被差別部落」というのは今日においては現実とは合わない概念であることは私たちの意見ですでに論証した。実際に、被差別地域というのは大きく変化し、同和対策事業が終結した地域においては、「同和対策も受けていないのに、部落、部落といわれるのは困る」という住民が圧倒的多数である。

また、被差別体験のない地域住民が圧倒的多数を占めはじめており、「差別の現実」は「解放同盟」やその影響を強く受けた行政の情報でしか知る機会が無いというのが現状である。

マスメディアもまた、「差別の現実」は「解放同盟」の情報を根拠にしているようで、特集と称する記事で紹介される差別事例は「解放同盟」の報道したものばかりで占めている。     

実際に大阪市長選挙前に「週刊新潮」が今回のような特集をしたが、橋下徹氏は圧勝しているのである。国民の圧倒的多数は出自より、人格と能力を選ぶ時代となっているのである。

「被差別部落」などという概念は、「解放同盟」とマスメディアの世界に残されている遅れた認識であり、それは丁度シベリアの凍土に埋もれたマンモスの死骸のようなものである。「被差別部落の地区の特定」を反省するより、そのことを深く反省すべきである。

マスメディアは自ら「旧同和地区」に出かけ、現状を踏まえた報道指針を確立すべきである。

 

2、出自報道は人格否定になるか

最近、猿回し芸人村崎太郎氏のような著名人が「告白」したことが話題となっている。これは本人の勝手であるが、時代錯誤の産物であることはいうまでもない。また、今回のように出自を勝手に報道して金儲けしようとするのは誠に卑しい限りである。

「見解」はしきりに「出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている」とあるが、「出自を根拠にその人格を否定する」ことは本当にできるであろうか?皇族出身ということで人格を否定することは出来ないとは思うが、仮に皇族が間違いを犯すことがあれば、皇族の権威を失墜させことにはなる。では、「旧同和地区」の出身であることを記事にして報道することは即人格否定となるのか?「旧同和地区」出身の政治家やタレントは数多くおり、「旧同和地区」出身であることが報道されればそれは人格否定になるのであろうか?マスメディアの世界では依然としてそうした価値観が支配しているようだが、地域社会ではそうはならない。 

近くに「旧同和地区」や出身者の人がいたとしても、差別的偏見を持たず、社会的常識を備えた人は何の違和感も異質感を持つことは無い。市民の交流と連帯の輪が広がりは必然的に、出自よりも人格と能力が最優先されるのである。中に、差別的偏見を持つ人がいたとしてもそのことの正当性を主張できる社会ではないのである。

当然ながら、出自を報道されて、それに傷つく人がいることも確かであるから該当者からの了解は必要であるが、出自を報道されることがすべて人権侵害とならないことはいうまでもない。 

日本人の感覚からいえば、橋下徹氏は母親の手一つで育てられ苦学して弁護士になり、大阪府知事、大阪市長にまでなった立志伝中の人物であり、そのような報道であれば仮に父親が「旧同和地区」の出身であってもほとんどリスクにはならないはずである。(そんな記事は誰も読まないかも...。)

今回の「週刊朝日」の問題は、「同和地区」を陰惨・陰湿(暴力団や犯罪の巣窟)な社会であり、それが過去の旧身分(血筋)に由来する宿命的・運命的なものであるかのように描き出し、「時の人・橋下徹氏」の人格と政治的態度を攻撃したことにある。

 

3、正しい部落問題報道のありかた

 非科学的な「被差別部落」「被差別部落出身」などという表現は止めよう。この前提は「差別者」であり、国民分断を固定する。

 今日では「被差別部落」「部落出身」などという認識を持っているのは解放運動関係者と勉強不足のマスコミ、そして、少数の差別者だけである。それはまるで幽霊を信じている人だけが幽霊を見るのというのに近い状況である。

差別的偏見の無い人たちは、そこに当該地区や当該地区の人が居ても「被差別部落」「部落出身」を特に意識することはない。 

ではどのような表現とすべきか?同和対策事業が継続されている該当地域は「同和地区」、同和対策事業が終結した該当地区については「旧同和地区」という表現にすべきである。こうした表現により、課題の経過性が明確となり、読者の認識が現実的となる。

同和対策により住環境が整備され、周辺地域と違和感のないまちづくりがすすめられた神戸市内の「旧同和地区」においては、かつて同和住宅といわれた公営住宅にも応能応益家賃制度が導入され、一般公募も始まっている。また、賃貸マンション、外国語専門学校、商業施設が建設され、急激な住民の交流がはじまっている。

重要なのは同和特別法が終わり、神戸市のように同和対策が完全に終結している自治体があるのに、自治体と癒着し、同和対策を続けさせ、利権あさりに群がる解放運動団体が存在し、マスコミがそれを正しく批判できないことであると考える。

私たちは部落問題の最終的な解決を阻んでいるのは誤った解放運動団体と部落問題の解決に真に責任を負わないマスコミであると考えている。

今回の「見解」は誠に不充分であり、朝日新聞と橋下徹氏の政治的決着文章の域を出ていない。多くのマスコミが参戦し、論議を深めていただくことを願うものである。 以上 

 

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