FC2ブログ

覚悟のない部落解放運動は必要か?

覚悟のない部落解放運動は必要か?
 
 今回も部落問題について「さもわかったように」書かせていただきます。
 今回は何かと問題になっている部落解放運動および部落解放団体の必要性について問題提起させていただきます。
 ちなみに私どもの団体は部落解放同盟(1962年結成)から部落解放同盟正常化連絡会議(1975年)、全国部落解放運動連合会(1976年)に移行し、そして、現在の地域人権運動連合(2004年)に発展的に改組した団体で、神戸市内の「同和地区」を拠点にして、通算55年の長きにわたり運動している団体ですから、少しくらいの生意気なのは許してください。
 ちなみに私どもの団体とその運動については、「解放同盟」「全解連」を問わず、タブーを恐れず取材し、部落問題の現実を発信してきた気骨のルポライターの寺園敦史氏が「誰も書かなかった『部落』」(かもがわ出版)で詳しく報告されています。また、最近では『人権と部落問題』(2017年6月号・京都部落問題研究所)に、神戸人権交流協議会の代表の報告が掲載されています。
 よかったら読んでみてください。「本当にこんな部落解放運動団体があったのか?」と、思うかもしれませんよ。 



誰も書かなかった部落



部落問題





1、新法と部落解放運動の在り方

 
 改めて部落解放運動とは何か考えてみよう
 物事には構成する条件がありますね。部落解放運動を構成する条件は大きくいえば次の3つです。 
①部落差別(実態的差別のこと)を残し支える歴史的・社会的諸条件が存在すること。
 ※社会制度として部落差別(身分制度)が必要とされた封建社会。あるいは封建社会が資本主義社会へと発展する過渡期をさします。この過渡期をかの有名なマルクスさんは『資本論』の中で「資本主義は封建社会の汚物を垂れ流しながら登場する」という表現がありますが、その汚物のひとつですね。
②社会問題としての部落差別が存在すること
 ※社会問題としての部落差別とは、社会の中に、「部落」(かつて部落といわれた地区)およびその出身者に対して就職、結婚、居住にかかわる差別が存在し、その人権が日常的に侵害を受けている状態を指します。
「同和地区」に部落解放の主体となる組織や住民が存在すること。
 ※封建社会の残滓(汚物)である部落差別を、被差別者である「部落民」(部落在住者および出身者)を中心に部落差別を解消することを目的に運動する団体や自覚的な人たちが存在する事です。



猫1修正




部落差別どんな状態にあるか?

 法務省の調査や自治体の調査結果などを見ると、社会問題としての就職・結婚・居住にかかる部落差別は基本的に解消しています。 
 新法では「ネット差別」を根拠にしていますが、
①「ネット差別」は匿名性が高く、悪質な発信者は極めて少数。
②「ネット差別」を発信できる世代は、どちらかといえば若い世代。部落に対する差別・偏見
が克服しきれていない高齢者はネットを活用するのは不得手。

③「ネット差別」をよく読むと、その記事の動機になっているは「解放同盟」の暴力・利権あさりであり、部落差別というより「解放同盟」批判が多い。中には「差別」と「批判」が区別できなくてグチャグチャになった異様なものもある。
④「ネット差別」の中には「解放同盟」関係者が発信したと考えざるを得ないようなものも存在している。 

 以上の諸点からいえば、「ネット差別」は部落差別というより「ブラックボックス」中の差別、「ブラック差別」と言うべきものです。



「差別落書き」はなぜ激減したのか?

 かつて1980・90年代に「差別落書き事件」が横行しました。この時代は、国民の行き過ぎた同和対策への批判が広がり、政府・自治体が同和対策の見直しと終結を議論していた時期にあたります。「解放同盟」は「差別は陰湿・固定化している」として、同和対策の継続や恒久法としての「部落解放基本法」の制定を要求しました。
 「差別落書き」も「ネット差別」と同じく誰が書いたかわからないものでしたが、中にははっきりと「解放同盟」関係者の「自作・自演」もありました。その「差別落書き」が減少して「ネット差別」が増える。それが口実となって新法ができるというのは誠に不可思議なことです。
 以上のように「ネット差別」を部落差別の根拠とするには極めて浅薄のようです。非科学的です。やはり、社会問題としての部落差別は基本的に解消しているようです。


差別(Discrimination)と批判(Criticism)を混同しないように

 「『同和地区』の人は言葉が悪い。『同和地区』には『やくざ』が多い。同和対策で『いい思いしている』。『解放同盟』や部落解放団体が怖い」等、批判があることはよく知っています。確かに言葉は悪い人も結構いますね。(慣れると人間味があっていいんですが…。)
 しかし、今日では「やくざ」は住民の努力と同和対策により教育水準が向上したこと。「新暴対法」の効力もあってか姿がありません。神戸では16年前に同和対策は終結していますから、「いい思い」はしている人は誰もいません。また、「解放同盟」も人権連も確認・糾弾などやりませんから、部落問題に関して相当自由にものが言えます。 
 部落差別とは封建社会における身分を理由に差別し、社会の諸関係から排除する事であり、主に社会関係から排除するための言動をさしますから、「言葉が悪い」「やくざが多い」などというのは差別ではありません。批判なのです。勿論、前記のように「同和地区」は大きく変化していますから、的外れの「批判」(おかしな批判)も多々ありますから、このブログをよく読まれ、地域の変化をよく学習して正しく批判するようにして下さい。
 「批判」する人に多いのは「同和地区」に来たことのない人が多いようですね。昔の伝聞でイメージが抜けていないようです。一度「同和地区」に遊びに来て、ぶらり歩きをしてみて下さい。変化が実感できますよ。
 場所はどこか?部落解放運動団体事務所のある地域が大体そうですから、ネットで検索。(「地名総鑑」なんか買わなくてもいい。何が目的でそんなものが出回るのが不思議?)。
 差別と批判の区別については重要なことですから詳しくは次号に書かせていただきます。


ブログ猫2




2、部落解放運動は弊害になりつつある


断ち切れない部落解放運動の連鎖
 
以上のように検証すると、部落差別はほとんど解消しているので、部落解放運動団体はあまり必要ではありませんね。必要以上に運動団体がのさばっているのではないか?という感じですね。
 運動団体は一度結成されると、自己保存の法則が働き、簡単に「役割が終わったから解散」というわけにいかないようです。利権・特権だけでなく、地位欲・名誉欲・自己顕示欲などが絡んでいるようで、とても人間らしい理由でもありますね。
 「解放同盟」は「部落民」という身分的紐帯(封建時代の身分)を基礎に、団体を維持していくために、「差別があるかぎり同和対策」という論理で、「部落差別」(「解放同盟」が主張している部落差別の意)が一件もなくなるまで続けることになりますが、前記のように「マッチポンプ」でも「部落差別」作れるので終わりはありませんね。正に「部落差別の連鎖」にはまり込んでいます。 
 「人権連」は社会問題としての部落差別は基本的に解消したとしていますが、運動団体を解散することはできません。それは正義の味方として、暴力・利権あさりや同和対策の継続を狙う「解放同盟」の策動を阻止する役割を果さなければならないからです。これもまた「『解放同盟』連鎖」というべきもので終りがありませんね。
 ※「解放同盟」-差別探し-同和対策-人権連反対-「解放同盟」-差別探し-同和対策-人権連反対-と、永遠に続くのです。
 その結果、部落差別が解消しているのに部落解放運動団体が存在するという奇妙な社会的現象が発生しているのです。それは観客のいない舞台で両団体が「人権劇」を演じているように見えて、なんとなく滑稽で悲しいですね。


ブログ猫3



3、部落解放運動を本当に支えているのは同和対策

部落解放運動を支える同和対策

 前記のように、部落解放運動団体が存立していく基礎(部落差別)は基本的に解消しています。さらに、少子・高齢化と人口の減は運動団体にも深刻な影響を与えつつあります。組織の高齢化が進み後継者問題も顕著になっているようです。特に、「解放同盟」は「部落民」の組織ですから「自覚づくり」が大変です。(同和教育・解放学級が解消に向かい大変。)さらに、運動を継続し行くためには財政が必要です。利権あさりや同和補助金の根拠となる同和対策の復活が不可欠だったようです。
 今回の新法制定の背景には自民党幹事長の二階俊博さんが、「解放同盟」を延命させることで民進党と日本共産党の間にクサビを打ち込むという政治目的があったため、同和対策継続し、「解放同盟」への同和補助金を維持する狙いがあったといわれています。そうした目的がなければ常に部落問題解決に消極的であった自民党が法案まで準備し、成立させるために心血を注ぐということはありえませんからね。いずれにしても新法は「解放同盟」の延命に手をかすことになりました。 
 利権あさりと団体補助金をもらって運動する「解放同盟」。同和補助金を返上して運動する「人権連」が、これからも対等にたたかいが続けられるかどうか?難しくなりそうですね。
 ここで本当の正義の味方国民が登場すべきです。

部落問題は最終的には国民が解決すべき

 部落解放運動団体の必要性は薄弱ですね。むしろ、弊害の方が多いかもしれませんね。そうした視点から見ると、遠慮せずに主権者として、不必要な同和対策、行き過ぎた同和対策(現在ではほとんどの同和対策がそうだが)の終結を要求する必要がありますね。
 前記のように批判は差別ではありません。同和対策の実態を正確に把握し、どんどん批判して下さい。その方が「同和地区」と運動団体にはいい結果をもたらします。 その典型が神戸の運動団体です。市民の批判を率直に聞いて「いつまでも同和対策に頼っていてはダメ、自立が必要」と、同和対策を終結しました。
 その結果、神戸では人権連と「解放同盟」が「街づくり協議会」に参加し、安全・安心・快適な地域づくりのために一致し、共に阪神大震災の復興や街づくりを進めてきました。その際、部落差別に対する認識や運動論の相違については保留しあっています。当然ですよね。運動は組織利益のためでなく住民のためにやっているんですからね。
 こうした共同した活動ができたのは、神戸の「解放同盟」が暴力・利権あさりに手を染めず、同和対策の終結と一般対策への移行を決めた神戸市の神戸市同和対協(すでに解散)の最終答申を尊重しているからです
 同和対策は無い。当然ながら両組織とも同和補助金はもらっていません。その結果、「喜ぶべきこと」に部落解放運動の基盤の衰退と高齢化の進行により自然消滅の危機に直面しているのです。
 同和対策がなくなれば、差別探しも無くなる。そうなれば前記の「連鎖」もなくなる。「連鎖」が無くなれば部落解放運動も必要が無くなる。この単純で明確な真実を政府も自治体も運動団体も直視すべきす。


部落解放運動がなくなれば誰が人権を守るのか?

 部落解放運動団体がなくなれば、部落差別に直面した時に対処出来ないのでは?という意見もありますがこれは歴史的経過もあって、部落差別の解消は部落解放運動団体の専売特許という思いこみが国民の間に存在し、他の有効な解決手段を熟知していないからです。時代は大きく変化しており、被害者も部落解放運動の到達点を理解し、自立的・自覚的行動をとるべき段階に来ています。
 本来ならば「人権委員会」を設置し、法的保護のもとに相談、調査、仲介、訴訟および訴訟支援などの支援態勢を確立すべきであったと思われますが、今回、新法が制定されたことにより、「国内人権機関」の実現性は極めて困難となりましたが、実際に部落差別に直面した場合は、法務省の人権擁護機関(人権擁護委員、法務局、地方法務局)に相談すればいいし、日本弁護士連合会の人権擁護委員会(もよりの弁護士)に相談し、必要な場合は法的措置をとればいいのです。
 この方法がいいのは、プライバシーが守られること、運動団体の目的に利用されることがないことなど、多くの利点があることです。
 部落解放運動は必要なくなる方がいいのです。
 必要が亡くなれば解散する覚悟が必要だと考えています。
 次回は「同和対策」は部落差別を固定化するか?
 出自は差別の根拠になるか?について検証します。
 
ブログ猫4





スポンサーサイト



カウンター
プロフィール

神戸人権連

Author:神戸人権連
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR