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差別を恐れない者になろうーなれるかな?

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​​​賢人の言葉から学び②-差別を恐れない者になろう-なれるかな?​​​
​​​​​ご先祖様が「部落民」だったら…。未解明に終わった橋下vs『週刊・朝日』が残したもの​​​   ​​
 
 最近、橋下徹さん(前大阪市長)のお父さんが「部落」の人だったということをネタに、『週刊朝日』がえげつない人格攻撃を行い、政治的ダメージを与えようとした問題があったこともあってか、ネットで「自分は部落出身かもしれない」「どうしたらいい」などという「悩み」らしい書き込みが目立ちます。
 これは橋下さんと『週刊朝日』が問題の本質や背景を明確にしないまま全面謝罪するという形で幕引きをしたため、「部落」というイメージが歪んだまま放置されてしまったからだと考えられます。(詳しくは本ブログの『週刊朝日』への意見書をお読みください) 
 私どもの事務所にも同和地区外の若者が訪ねてきて、「自分のご先祖様が『部落民』だったらどうしたらいいのか?」という相談がありました。どうして「そんなことを気にしているのか?」と聞くと、「この地域に親戚がいるから」というものでした。
 そこで出自に対する私たちの見解をわかりやすく説明させていただきました。この見解(2010年5月)は、猿回し芸人の村崎太郎さんが頻繁にマスコミに登場して自ら「部落出身」であることを告白して話題になっていた時に出したものです。


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「差別者」の言動には一理もない​​​

​​​​​​  出自に対する私たちの見解  ​​

​​​​​◎第1の間違いは「部落出身」を自覚すること
 今は江戸時代のように身分制社会ではない。 よって、何人も自らの旧身分を自覚し、名乗る必要はない。但し、旧身分を利用して商売したい人は別である。
​※現代社会において「私は百姓です」「私は武士です」「私は賤民です」と名乗って日常生活している人はいませんよ。そんな人は相当な変わり者ですね。​


​​◎第2の間違いは「告白」すること​​
 部落に生まれたことはなんら罪ではない。ましてや犯罪をおかして潜伏しているわけではない。よって、「告白」などする義務や必要は全くない。
※肌の色、言語、習慣・文化、歴史を同じくする民族なのに「告白」するしないなどということを問題にするのは馬鹿げていますね。
最近はスポーツや文化の世界で外国人が日本に帰化して大きな成果をあげてくれています。そんな時代に同じ日本人同士が封建社会の身分を理由に差別していては時代に合いませんね。


◎第3の間違いはふるさとを自ら卑下すること​​
 人間には誰でもふるさとがあり、どこのふるさとにも歴史があり、一生懸命に命をつないできた家族の歴史がある。その歴史に優劣をつけるのは間違いである。麻生太郎(元総理大臣)のように「出自・家柄」にこだわる人間​​​(本ブログの野中広務氏の本に対するコメントを参照してください)​​​もいるが、あれは時代感覚と人権認識がおかしいのである。
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​​​◎「部落差別」のない状態を想像してみよう
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 学校や職場、地域の日常生活において交際や交流する際に地域の歴史や家柄・血筋を意識していますか?ほとんどの人は意識していません。大切なのはまず人格・能力ですね。
 かつての家柄・血筋で法的に保障されているのは天皇家だけで、一般的になんの利用価値もありません。「出自・家柄」のいい麻生太郎さんでさえ場合によっては選挙に落ちることがあるかもしれません。
​※麻生太郎さんが最近また失言(ヒトラー支持発言)しました。ここまでくるともう言い間違いではなく、麻生さんの根本思想ですね。以前、口の悪いマスコミの中には「あほう太郎」という人もいましたが、これからは「差別太郎」ですね。​
◎一部の遅れた意識をもつ政治家のように、血筋や家柄を自慢する人は心が貧しいと思いませんか?​​​
 説明すると、若者は「そうなんや。江戸時代とは違うんや」と顔がぱっと明るくなりました。



​​​​ ​​​​そこで最後のアドバイス。​​​​​​​​​

しっかり人権について学べ。ゆるぎない確信を持って君らしく生きること。​​​
 
 以上のように出自を名乗るかどうかは自分の勝手。勝手に出自を調べられ不利益・人権侵害を受けた場合は、当然ながら政府や自治体の人権相談機関、日本弁護士連合会の人権擁護委員会などに相談してください。
 運動団体に相談するのもいいですが、昔のように団体による「確認・糾弾」になると、内容の是非は別として、社会的批判を受ける風潮がありますので、するとすれば「確認・糾弾」をしない団体に相談してください。







                
 ​​賢者から差別に不安を持つ人への励ましの言葉​ ​​
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卑屈な考えを受け入れてはいけない。それは、自信を絞め殺す雑草だ。
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   ブルース・リー『ブルース・リーが遺した28の名言より』

私が恐れるのは、一万通りの蹴りを一度ずつ練習したものではない。たった一つの蹴りを一万回練習したものだ。
     ブルース・リー『ブルース・リーが遺した28の名言より』

※出自を「隠す。隠さない」という言葉がありますが、それは差別者(ごく少数になっている)から出た論理です。差別されるいわれがない。隠す必要がないから言わないだけです。気にする必要なし、迷うならブルース・リーの言葉にならい一途に「人権とは何か?」を徹底的に学ぶべきです。
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​​逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ。​​
      岡本 太郎(日本を代表する世界的芸術家)


​​​​人間は負けるようにつくられていない。​​​​
アーネスト・ヘミングウェイ『ヘミングウェイ全集』(三笠書房) 


世界は苦難に満ちている。また、それを乗り越えることにも満ちている。​
                  ヘレン・ケラー 
​※必要がないのに出自を語る必要なんかありませんね。それは逃げることでも怯えることでもありません。差別者に妥協しないだけです。自らが人間であるという誇りと、自らの知恵と力で未来を切り開いていくという覚悟さえあればいいのです。それは心の中に「求めて争わず、争うことを恐れず」という昔の剣豪の言葉を秘めて生きていくことです。​

​​​しかない、というものは世に無い。人より一尺高くから物事見れば、道は常にいく通りもある。​​​
        坂本 竜馬 「竜馬がゆく」(文芸春秋)


人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってきます。不幸がつづけば不安になり、気が弱くなるのです。でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしいのです。
           瀬戸内寂聴(作家、天台宗尼僧)


名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。財産を失ってもまたつくればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。
         ゲーテ(ドイツの詩人、小説家、劇作家)


私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない。​
            マーティン・ルーサー・キング牧師


人の真価がわかるのは喜び包まれている瞬間ではなく、試練や論争に立ち向かうときに示す態度である。​
                               マーティン・ルーサー・キング牧師

※正々堂々と生きていても差別に遭遇することがあるかもしれません。世の中には時々「差別太郎」みたいのがいますからね。しかし、歴史は進歩するものです。学習し、理論水準を高め、困難に立ち向かってください。たち向かうのが嫌ならにげるのもいいと思います。竜馬さんが言うように道は常に幾通りもあるのです。次の機会を見つけて立ち向かえばいいんです。
それが人間です。

​空はどこに行っても青いということを知るために、世界を回ってみる必要はない。​
                          ゲーテ『格言と反省』(新潮社)


この世で変らないのは、変るということだけだ。
               ジョナサン・スイフト


私は失望するといつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利をおさめた。暴君や残忍な為政者もいた。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている。それを思う。
           ガンジー(インド独立の指導者)
  
  
我々を支配する道徳は資本主義に毒された封建時代の道徳である。我々はほとんど損害のほかに、何の恩恵にも浴していない。
    芥川龍之介『侏儒の言葉・西方の人』(新潮社) 
   

下品な服装は服だけが目に付き、上品な服装は女を引き立たせる。​
                ココ・シャネル
            映画『ワーキング・ガール』より
  
※部落差別によらず差別は下品なものです。差別的言動を吐く人の顔は下品に見えます。また、わけもなく差別におびえるのは卑屈に見えます。世の中はかならず変わるということに確信をもって生きてください。    ​

最後に

苦さの味知らぬものは甘さもわからない。​
                  ドイツのことわざ


部落差別への不安をあなたの人生の糧にしてください。​




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​わかりやすくて困る部落問題  ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

部落差別に科学的根拠などありません​​
 まず歴史やその根拠がどうあれ、現代社会において部落差別に限らず人権侵害となる身分差別は許されません。特に日本においては日本国憲法という根本法により身分差別は完全に否定されていますから、法的には許されません。
 部落の歴史についての細部については歴史学者の皆さんが一生懸命研究されていますのでお任せすることとして、大きな視点で部落差別のはじまりを結論づけるとするならば、人間の無知蒙昧から生まれた「死穢の思想」を起源とする一種の職業的偏見であり、それを基礎に長い封建社会において深化・定着した身分制度の残りカスです。


「穢れの思想」のはじまりは生物的防衛本能​​
 ではなぜ近・現代社会において部落差別が残されたか?理由は二つです。ひとつは原始・古代から続く生物的本能と結合した無知蒙昧が完全に克服されていないことです。 
 人間が最も恐れるのは死であり、原始・古代においては伝染病や疫病で多くの人が死んでもその原因が細菌やウイルスであることがわからないため、恐らく怨霊・悪霊の仕業だと考え,そこから「死穢の思想」が生まれたようです。
 人間や動物の死体をさわったり、その処理にかかわると、怨霊や悪霊が伝染すると考え、それが神道や仏教にも反映し、そうした仕事に従事する人たちを忌避することが社会に定着したようです。支配者はそれを身分制度に組み入れたのです。
 しかし、いくら身分制度が成立したとしても、そうした仕事を古代から途切れなく同じ人の子々孫々が今日までやっているというわけではありません。日本の歴史を見ると圧制による逃散・逃亡、戦乱と災害による社会の混乱は幾度なく生起しており、職業の入れ替わりは当然あったと考えるべきです。
 徳川家康の始祖は三河に住み着いた聖(乞食坊主のこと)といわれ、徳島の蜂須賀家の先祖は野伏・山賊のたぐいであったといわれていますから、身分が「宗門改帳」などで固定化される江戸時代までは身分制は流動的であったようです。

馬鹿々々しいものは馬鹿々々しい​​
 今日において「死穢の思想」には科学的根拠がないことは明白ですね。もしあるとするなら、古代にあったような悪霊や怨霊を退治するための陰陽師を国の機関に設置しなければなりませんね。また、「特効薬」もつくらなければなりません。さらに、祟られるのを放置するのは命にかかわりますから人道上こうした職業についている人たちには別の職業についていただかなくなりません。そうなると美味しい牛肉は食べられなくなりますね。また、靴やバックなどの革製品は利用できませんね。ズボンはひもで縛り、靴の代わりに藁草鞋をはき、カバンの代わりに巾着袋か風呂敷で生活しなければなりません。外国から輸入したらいいという人もいるでしょうが、外国人が悪霊や怨霊に祟られてもいいということになりませんね。
 「馬鹿々々しい」。
そう「穢れの思想」とは今日では馬鹿々々しいものなのです。
 人間の脳は「馬鹿々々しい」と認識することで、偏見から解放されるのです。

農民の憎悪が増幅する仕組み​​
 二つ目は、賤民は適当な少数派であったことですね。封建社会においては武士は少数であっても強力な武力を背景とする制度の実行者であり、農民は人口の9割近くを占める多数派でありながら、武士から過酷で厳しい収奪を受けていました。 
 農民は武士に対してよほどでない限り反抗したり、文句は言えませんが、賤民などの身分階層の人たちは少数ですから排除したり、攻撃するのは好都合です。
 特に、弊牛馬処理などの「死穢」にかかわる特権、武士の手先として農民や町人を弾圧していた「皮多・非人」の皆さんに対して相当な不満や敵意(憎悪)を持っていたようです。 
 農民は弊牛馬処理権が「死穢」に関わるため不浄なものと認識していたとしても、手塩にかけて育て、大事な働き手であった牛馬が死んだとたん「皮多」の皆さんがとりに来て、解体処理してお金儲けをするですから相当腹の立つことであったろうと想像できます。 
 あるいは生活に困り果て農民一揆などを起こした時、その代表を武士の手先になって捕まえに来たり、刑を執行している姿を見ると怒り心頭であったろうと考えられます。
 だから「皮多」の皆さんを「穢多」などと呼んで露骨に憎悪し、排除した。
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農民の誤った憎悪の爆発「美作騒擾」​​(みまさかそうじょう)​​​​
 江戸時代を通じて農民の憎悪は「皮多・非人」に向くようになっていたのですね。最近、一部の「えらい歴史学者」の中には分裂支配はなかったなどという説を唱える人もいますが、これは抑圧されている多数派が少数派を憎悪する構造と、その政治効果について理解されていないためであると考えられます。支配はその時代の政治的意図と政治的・歴史的な遺制が複合して成立するものであり、分裂支配は未発達の階級社会の基本構造なのです。
 実際に、明治になって太政官布告「賤民廃止令」(1871年)に出された後の農民による反対一揆、「皮多」に対する数々の襲撃事件。そして、岡山の津山において、明治政府の「地租改正」「徴兵制」などに対する不平不満が「皮多」に向き、​「美作騒擾」(みまさかそうじょう)という「皮多」の皆さんが18人殺され、襲った農民が15人死刑にされるという大事件が起こっています。​
 ​この時期は「部落はこわい」ではなく、「農民はこわい」だったのです。​
 部落差別とは歴史的条件は違いますが、第2次大戦下においてナチスの1100万人のユダヤ人絶滅計画を支持したドイツ国民の「狂気」に似ていますね。支配者にとって国民の中に少数の憎むべき敵を作ることは支配するのには誠に都合がいいのです。
 
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