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消えゆく「部落民」―心のゴースト③ ​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する​​​

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​消えゆく「部落民」―心のゴースト③​​​​
​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する​​​ ​​



​(今年は皆様に幸運が来ますように)​​

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 「部落」に対する差別・偏見の主な根拠となっているのは古代人の中にあった「死」に対する恐怖が起源であったことはいうまでもありません。「死」は怨霊や祟りが原因とされ、神道では神罰、仏教では輪廻として説明されました。
 「死」は血が流出することでもたらされ、その血に触れることは「穢れ」とされました。しかし、その「穢れ」を恐れることにも理由がありました。人間や動物に「死」をもたらす細菌やウイルスの存在を知らないため、死は怨霊や祟りのせいになったのです。人間や動物の死体に触れたり、その血が体につくことにより、伝染病が蔓延し、集落全体が滅亡することもあったに違いないのです。
 現在でも「死」に対する恐怖は存在していますが、その「死」の原因が怨霊やたたりによるものと考える人はほとんどいません。当然ながら「死穢」という認識は雨散霧消しつつあります。
 「夫が『部落』かもしれない」「出自を調べたら『部落』だった」などという「お悩み」をネットなどで見かけることがあります。それを見るたびに「あなたは『部落』の何に怯えているのか」と問いたくなります。
 社会的に部落差別という実態が解消されているにもかかわらず、人は一体何に怯え続けているのか?探究していくと、これまで議論の対象にされてこなかった人間の脳(心)の問題にいきつくことになります。
 そこで今回は、人間は「部落」に対する差別・偏見をどのようなプロセスで獲得するかについて解明したいと考えます。


​1、差別・偏見―脳のシミをたどる​

​ 最近、テレビや雑誌で「これはもう落ちない」という衣服のシミを消し去る洗濯の名人たちが紹介されていますね。この人たちは汚れの原因を科学的に分析し、消し去る方法を見事に確立しています。これと同じように部落に対する差別・偏見という脳にこびりついたシミを抜く方法について検討し、提案したいと思います。​
 部落差別は社会および家族的価値観の変化によって激減していることは周知のとおりです。​しかし、被差別体験のない世代が差別に怯えたり、「部落」に対して恐怖や憎悪を持つような経験のない世代が「差別発言」(主に「ネット差別」)をするという奇妙な現象がしばしば見られます。​
 こうした現象の背景にあるのは何かについてはあまり検討されていませんね。自分がどういう経過で被差別意識を持つに至ったか、自分がどういう経過で差別・偏見を持つに至ったかを考える人はあまりいないようです。
 「部落」に対する差別・偏見を簡単にいえば、脳に付着したシミのようなものであり、脳に蓄積された人間の態度を決定する知識などの外的要因によって形成されたものですから、科学的に自己解剖していけば必ずそのシミにたどり着くはずです。

​※偏見は終局的にパーソナリティの形成およびその発達の問題である。​
(『偏見の真理』G.W.オルポート・心理学者)
 
​​2、差別・偏見は脳でつくられる​​

 人間は、自分の置かれている環境からさまざまな刺激を受けとり、情報を摂取して、その環境がどのようなものであるかを理解し、その姿をあたかも地図のように描いて把握します。そのような生理・心理的作業は「認知」(cognition)と呼ばれています。
 認知とは、知覚、記憶、想像、概念形成、思考、判断、推理など、人間の知識獲得・情報処理の様々な様式をすべて含む心的活動を意味しています。この認知活動は中枢神経系(脳・脳幹・脊髄)によって行われていることはご承知の通りです。
 私たちが心と言っているのは中枢神経系(特に脳)の働きなのです。中枢神経系という表現は専門的過ぎますので、総称して「心」と表現させていたたきます。この心によって差別が起こり、心によって差別は解消されるのです。 
 かの有名なダーウィン(Charls Darwin:1835~1911年)は人間のもつ高い知的能力と道徳性について、高等な動物の持つ心理能力と本質は同じで、その程度が違うだけであり、心も進化の原理から外れていないと結論付けています。確かに中枢神経系を持つ動物なら、どんな動物にも心はある、と考えるほうが、人間の心が特別だと考えるより、ずつと無理がありませんね。
 特に人間の脳はニューロンの数が多く、ニューロン・ネットワークの構造は複雑になり、その働きにより心は形成されているというべきです。人間の脳には1000億個のニューロンがあるといわれ、それが電気的興奮(インパルス)によりシナプスを通じて次のニューロンに伝えられ、ニューロン・ネットワーク全体が活動することにより、意識や行動が生まれます。

​※こころは中枢神経系の働き無くしては出現しえない現象ですが、この中枢神経系の発達・進化に対応しつつ、こころは、こころなりに独自の階層構造、独自の創発メカニズムを積み上げてきたのです。​
(『心は何でできているか』角川選書・山鳥重)


​3、差別・偏見は人を醜くする​​​

 人も動物も感情が表情や体の動きに現れますね。これを情動表出といいます。この情動表出を観察したのがダーウインです(すごいですね)。ダーウインは動物と人間の情動表現を研究し、「民族が異なっても、動物の種類が異なっても、若くても、年老いても、同じこころの状態(the same of mind)は、同じ体の動き(movements)で表現される」と結論しています。
 その具体的事例を8種類に区別していますが、主なものだけ紹介します。

Ⅰ、苦痛と泣き
 泣きを例にすると、目は閉じられ、ひたいに皺ができ、口は開かれ、口角が左右に引っ張られ、歯が露出され、痙攣的に息が吸い込まれ、涙が流れる。

Ⅱ、喜び、上機嫌、愛、やさしさ、傾倒
 代表的な笑いの場合ですと、呼吸がきれぎれとなり、いわゆる笑い声になります。口は開き、口角は左右とも後ろにひかれ、少し持ちあがります。上唇があがり、眼裂が狭まり、眼尻にしわができます。

Ⅲ、憎しみ、怒り
 怒りを例にとりますと、顔面が紅潮し、額と頚の静脈が緊張します。息が荒くなり、鼻孔がひらきます。口は固く閉じられ、歯がかみしめられ、歯ぎしりがおこります。時には、逆に歯がむき出しにされます。

Ⅳ、軽蔑、侮蔑、嫌悪、
 軽蔑を例にとりますと、口はひらき、片方に引っ張られ、その側の犬歯が露出します。軽くまぶたがさがり目をそらします。あるいは、鼻孔が縮まり、鼻から小さな息を出します。

Ⅴ、自己への注意、恥、恥ずかしさ、内気
 顔面、耳、頸の毛細血管が拡張し、紅くなります。

 ​最後の項は、自己反省意識の出現に合わせて現れたもので、人間特有のものであるとしています。​
 脳は対象を認識することで、様々な感情的表現を行います。かつて「同和地区」の老人が「よその人は言葉だけでなく、『目』でも差別しやがる」と怒っていたことを思い出します。​ひがみではなかったのですね。​
 
​※態度とは、関連するすべての対象や状況に対する個人の反応に対して、直接かつ力動的な影響を及ぼす、経験にもとづいて組織化された、精神的および神経的準備状況のことである。​
(『偏見の心理』G.W.オルポート・心理学者)

下図は、ダーウインの『動物と人間の情動表出』の挿絵です。威嚇と侮蔑の表情は共通しているようですね。
​(『心は何でできているか』角川選書・山鳥重)​






※差別ほどうすぎたないものはない。よほど自己に自身がないか、あるいは自我の確立ができていないか、それとも自分について春の海のようにゆったりとした誇りをもてずにいるか、どちらかにちがいない。​
司馬遼太郎『風塵抄』(中央公論社)

​4、差別・偏見の根底には「恐怖条件づけ」​​

 この心がいかにして差別・偏見を認識(記憶)するか考えてみましょう。人間は生まれたばかりの赤ん坊の段階においては、自分以外の生物に対して恐怖感や敵意は基本的に持っていないから、犬や猫などに平気で近づき触ろうとします。
 ワトソン(J.B.Watson)とレイナ(R.Rayner)が、生まれて11ヶ月の赤ん坊に対して「恐怖条件づけ」の実験を行っています。
 実験内容は赤ん坊に白ネズミを見せる。こわがらない赤ん坊は白ネズミに手を伸ばそうとする。赤ん坊の手が触れた瞬間に大きな音を鳴らして驚かす。それを一定期間続けると、ネズミを見た瞬間に泣き出すというものです。
 この赤ちゃんが白ネズミに対して生涯恐怖感を持ち続けたか?成長するにつれて白ネズミは危険なものでないという認識を得て、克服したかどうかはわかりませんが、​人間が外的条件づけによって、対象からよりも周りから恐怖や恐怖のイメージを持つことが立証されているのです。​
 動物は生命保存本能を持っていますから、自らの身体に対する攻撃に対して防御本能を発揮します。その恐怖は脳によって記憶されます。この記憶された恐怖は維持され、種内において伝承されていきます。特に人間の脳は発達しているので、言葉や文字によって置き換えられ伝承され、慣習や文化として共同体においても共有される場合があります。
​ 心は自己の生命維持に脅威をもたらすような外的要因に対して、自己防衛の一貫として恐怖という感情を生み出し、対象に対して憎悪感情と排除を正当化するための論理や習慣・制度を構築します。ゆえに「恐怖条件づけ」という行為は絶対悪とはいえませんが、人類の歴史的・社会的発展、科学的進歩に対応しえない論理(穢れ)や習慣・制度(身分・しきたり)は、ほとんどが差別・偏見に転化することになります。​
 部落問題と関わっていえば、家族・親族、地域社会によってこの「恐怖条件づけ」が行われ、「部落」に対する差別・偏見が温存されてきたのです。​小説『橋のない川』(住井すえ著)にある「部落の人は夜になると蛇のように冷たくなる」という伝承や、祭礼において「穢れている」(心理的にはこわい)から除外するなどという慣習などは、その典型であると考えられます。​

※生存のために可能な唯一の形式は両親の型式である。両親の暮らし方が寛容なら幼児もそうなるし、一定集団に敵意をもつ幼児もそうなる。           
(『偏見の心理』G.W.オルポート・心理学者)​​


​​5、「恐怖条件」による差別・偏見の形成​​

 そこで、差別・偏見の認識がどのように形成されるか、心理学史の巨人といわれているスイスのピアジ(J.Piaget)の4つの発達段階に沿って説明すると※は筆者​、

●誕生から2歳(感覚運動期)
・感覚と体を使い外の世界を知っていく。
​ ※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪の対象を感覚的に身に着けていく。​

●2歳から7、8歳(前操作期)
・頭の中で考えることが出来るが自己中心的。心の中と現実が混同する(アニミズム)。
​※目の前にいなくても愛情、恐怖、嫌悪、憎悪すべき対象を自己流に描けるようになる。​

●7、8から11歳、12歳(具体的操作期)
・具体的なことは論理的に考える。
​※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪に対する感情について自己説明ができるようになる。​

●11、12歳以降(形式的操作期)
・抽象的なことや一般的なことを考えることが出来、実際に目の前にいなくても、言葉だけでもイメージすることができるというのである。

 ​生まれてから12歳までに恐怖、嫌悪・憎悪の対象を家族・親族、共同社会において教え込めば、立派な「差別主義者」の心理的基礎がつくられ、反対に愛情を注ぎ、家族・親族、共同社会を愛することを教えれば立派な「反差別主義者」の心理的基礎ができるのです。​

※生きていくうえで課される問いの答えは「真理」によってでなく、「ライフスタイル」によって決定される。​
心理学者アドラーの言葉
(『アドラー100の言葉』監修和田秀樹・宝島社)
 
​6、部落問題における「恐怖条件づけ」​​

​ 「トラがドアの前に立っていると、私が信じているのと、実際にトラがドアの前にいるのと、なんのちがいがあろうか」。これは前記のアドラーの言葉です。「トラがドアの前にいる」と思いこんだ人は、トラがいなくてもドアを開けて外に出ません。トラは恐怖の対象です。下手をすると食われます。​
​ かつて同和教育・解放教育と称して、幼児期から「部落民は就職・結婚差別を受ける」「自殺者も出ている」という教育が行われました(これは本当にこわい)。今でも多くの自治体で行われているようですが、こうした内容を教えることにより、どのような認識が生まれるかあまり考えずに行われてきたようです。​
 「部落」の人たちに対しては「差別を受けて就職も結婚もできない」という恐怖(被害者意識)と絶望感を心に植え付けます。実際に、かつて私たちの先輩の中には小・中学生の時には学力優秀で人格的にも素晴らしい人がたくさんいましたが、「勉強しても差別される」とまわりから教えられたために、将来を悲観してグレてヤクザになった人たちもいました。
​ 一般市民には「部落民」に対する加害者意識とともに、違和感・異質感を与えます。その意識が時には侮蔑に転化することで、「部落」との交際・交流を妨げることになるのです。また、「部落民」との結婚となると、恐怖と絶望の社会の中に飛び込む勇気と決意が求められますから、当然ながら忌避意識は強まります。​
 兵庫県下のある女子大で、部落問題の研修(「差別あるある」)を受けた後、「部落の人と結婚したくない」と、多くの女子大生がアンケートに回答したそうです。「恐怖条件づけ」の効果ですね。
​ こうした「恐怖条件づけ」を支えたものに、「解放同盟」の暴力的な確認・糾弾があったことも指摘しておかねばなりません。いかに「差別者」といえども長時間にわたり監禁状態において糾明するという行為は「部落」に対する恐怖感を煽るだけで、部落問題解決につながらないことは明白ですね。​
  
​7、もはや「恐怖条件づけ」は通用しない​​
 
​ 部落差別が基本的に解消していることは法務局や自治体の人権相談結果から見ても明確ですが、「解放同盟」は差別は潜在化しているだけで、ほとんど解消していないという主張をされていますね。これに「朝日新聞」「神戸新聞」など、「部落問題解決への見取り図」を持たないマスコミが追随して「差別あるあるキャンペーン」を張っています。​
 こうした宣伝は「部落」の人たちには「あのいまわしい差別が依然として存在している」と認識させ、「部落解放運動」と同和対策の必要性を認識させ、「部落民」以外の人たちには「娘や息子を結婚させないほうがいい」という決意を促す効果を果たします。
 部落問題の最終的解決を使命にしている私たちでさえ、「差別あるあるキャンペーン」を一般市民の立場に置き替えて聞くと、「子どもが差別される側になるから部落の人とは結婚させたくない」と思いますよ。
 しかし、現実はこうした「差別あるあるキャンペーン」があっても部落差別は解消に向かっていますね。その原動力となっているのは何かといえば、それは資本主義社会が成熟化する中、封建遺制が衰退・崩壊してきたからです。簡単に言えば、封建社会の習俗の「揺り籠」であった家父長制を中核とする旧農村型共同社会が解体され、今日では無知蒙昧の産物ともいえるイデオロギーが解消し、個人の自由と平等を基礎とする市民的共同社会が構築されてきたからです。
​ 当然ながら個人の認識も変化し、その個人の認識が社会化されることにより、部落差別は封建社会では常識であったものが非常識になっているのです。勿論、この過程において日本国憲法や人権・民主主義を獲得する国民的運動が大きく作用してきたことはいうまでもありません。​
 簡単に言えば、「恐怖条件づけ」が家族・親族、共同社会においてほとんど行われなくなったからです。 
 
​8、部落問題を最終的に解決するのは「希望条件づけ」​(造語)​
 
 部落問題を最終的に解決するためには、人間の成長過程に沿って部落問題学習をプログラムすることが必要ですが、従来のような部落問題解決の到達点を無視した、「恐怖条件づけ」するような人権教育・啓発、部落解放運動は必要ではありませんね。それを続けることが反対に「部落」に対する「新しい差別・偏見」を創出していることに気付くべきですね。 
 「新しい差別・偏見」とは何か?「解放同盟」の確認・糾弾、それを正当化するマスコミや自治体の行う間違った教育・啓発などにより創出された「差別・偏見」のことです。これはもはや「穢れ」を根拠とする従来の差別認識では理解できない世界です。それは部落問題というべき領域をこえた新しい問題のようです。
​ これから必要なのは「希望条件づけ」(シミ抜きの薬)です。部落差別には社会的、法的、文化・慣習的に合理的根拠がなく、国民が力を合わせれば部落差別は発生しないようにできるという観点から、人権教育・啓発、部落解放運動を見直すことです。特に「解放同盟」は「ネット差別」に根拠を与えるような確認・糾弾、暴力利権あさりのような下品な運動はやめることです。さらに、「恐怖条件づけ」を根拠にしてだらだら続けている同和対策(同和補助金)もただちに終結すべきです。これらはもはや「百害あって一利なし」。​
​​​​ 一方、「部落差別解消推進法」に反対する論拠の中にも、不可思議ともいえる「『部落差別』が固定化・永久化」するという意見がありました。これは「部落差別」が実態概念であること、部落差別が基本的に解決しているという前提からいえば、「『ないもの』が固定化・永久化」するという「ややこしい話」になります。「ないもの」は固定化・永久化しませんから論理としておかしいだけでなく、国語的表現としてもおかしな話です。​​​​
 さらにこの論理には人間の認識について科学的な理解が不足しているようです。人間の認識は、誤りを認識し一旦書き換えを行うと、同じ「正しい認識」を「誤った認識」に書き換えるということはありません。さらに、それが社会認識として定着すると後戻りはできません。確かに国家権力が正しい認識の上に誤った認識を強制するということがあるかもしれませんが、それは抑圧となっても、部落差別は誤りであるという認識を転換させることにはなりません。
 実際に、九州の自治体においては同和地区・同和地区住民を区分けして同和対策が50年近く行われ、いつ終わるかわかりません。「固定化・永久化」しているといってもいい状態ですが、九州地方において、16年前に同和対策を完全に終結した神戸よりも部落差別が多発している調査結果はありません。
 
​脳は部落差別の本質と同和対策の本質を区別して理解する程度のことは簡単に出来るのですよ。​
 
※次回は「希望条件づけ」の内容について検討します。​​






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