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古いタイプの部落差別―麻生太郎の差別体質を解剖する

​​古いタイプの部落差別―麻生太郎の差別体質を解剖する​​​

  

 本ブログでは麻生太郎さんのことを「差別太郎」と命名させていただいていることは皆さんご承知のとおりです。
 福田淳一財務事務次官のセクハラ発言を庇いつづけ、世論の厳しい批判に抗えず財務事務次官が辞任し、担当大臣への責任追及が厳しくなると、「法律上、セクハラという罪はない」などと、わけのわからない「論理」で自己弁護を重ね、挙句の果てにセクハラを認めるという醜態をさらしました。​まさに「差別太郎」としての面目躍如というところです。​
 麻生さんのこの言動に対して怒り、抗議をするのは当然ですが、この麻生さんの差別・偏見というものがどのように生成され、温存され、それが言動となって表れているかを冷静に研究することも大切ですね。なぜなら、部落問題においても少数になったとはいえ麻生さんのような頑迷な差別主義者が存在しているからです。





​​〇麻生太郎さんの差別的体質を探ろう​​
 
 麻生さんの差別的体質が垣間見えた主な事例は以下の通りです。

①麻生さんは衆院選(1979年)に初出馬したとき、登壇して一言目が「下々(しもじも)のみなさん」という演説でした。
②「美濃部都政が誕生したのは女性が彼に投票したから」という理由で、「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」(1983年)と発言。
③「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と、アイヌ民族や少数民族の存在を否定する無知。
④「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」(2003年)と発言。当然ながら、「私は絶対に許さん!」と野中広務元自民党幹事長が自民党総務会にて激しい発言。麻生太郎は顔を真っ赤にしてうつむくだけだったらしい。

 そして、今回のセクハラ擁護発言です。
 以上の発言から、麻生さんは頑迷固陋な民族主義と封建的家父長主義(男尊女卑)にとらわれすぎて、社会的存在としての「自己」が未発達のようですね。本来人間は社会的存在です。「自己」というものは他者の存在に大きく依存していますから、他者の変化に対応して「自己」変革していくものですが著しく発達が遅れているようです。

 まずはこの遅れについて検討してみましょう。この「自己」を社会心理学では以下の通り区分しています。
①物質的自己 (material self) といわれるもの、身体、家族、財産など、自分を表すものの一部をさします。
②社会的自己 (social self) といわれる周辺の他者が自分に抱くイメージや社会的役割、職業などをさします。
③精神的自己 (spiritual self) といわれる内的な意識や能力、態度、意見、特性などを指します。

 麻生さんは「九州の炭鉱王」の子孫で、麻生セメントの社長から世襲で衆議院議員になった人物です。しかも、戦後の大物政治家の吉田茂の孫にあたり、富と権力の中で育った人物です。当然ながら以下の影響を「自己」形成において受けたものと考えられます。
●物質的自己―血筋・家柄に対する強い願望と誇り。拝金主義。
●社会的自己―権力者意識が強い。代々国会議員。
●精神的自己―所属集団(麻生一族、自民党)への高い精神的依存性。
 
 以上の強い影響のもとで「ゆっくり」と麻生さんの差別認識は形成されたものと考えられます。麻生さんの「自己」が存在してきた麻生一族は、依然として封建社会の差別・偏見(古いタイプの差別)が温存している「特殊社会」(「セレブ社会?」)のようなもで、その社会認識は一般社会とはズレのある特別なものと考えられます。​前記の「下々(しもじも)のみなさん」や「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」というあたかも「自然に」出ている発言はその表れであると考えられます。​
​ お金持ちの家に生まれ、こうした所属集団で成長し、世襲議員として政治家となった麻生さんの価値観からいえばこれまでの数々の「差別的言動」はむしろ普通の会話の領域なのです。勿論、こうした諸条件に育った人物すべてが麻生さんのような差別的発言をするわけではありません。日本社会の歴史的・社会変化、思想・イデオロギーの民主主義的深化を理解し、社会的自己を成熟させている人物は、こうした諸条件で生育したとしても抑制的な言動をとります。​
 しかし、麻生さんの所属集団である麻生一族には特別な事情があります。元々麻生家のご先祖は百姓さんで、明治に入って炭鉱開発で成功し、二代目が「子爵・加納久宜」の六女夏子と結婚してから、麻生家の閨閥(けいばつ)が始まり、華麗なる家系図が出来上がっていきます。​いわゆる「成り上がり」ですね。その結果、もともとの「貴種」ではない麻生家にとって、「貴種」の側に強く立ち続けようとすればするほど、その反動で「賤種」を賤視する強い情動が強く働くのです。この情動が麻生さんの差別・偏見を生みだしているのですね。血筋・家柄という妄執から解放されないかぎり麻生さんの差別的体質は簡単には治らない。​
 麻生さんの差別的体質を改善する方法は、自らの差別的体質を深く反省し、社会的存在としての「自己」を充実させるしかありませんが、とても期待できる状態ではありませんね。この人には国会議員を辞めていただき社会的影響を絶つしかないようです。
 国民の皆さま、福岡8区の選挙区のみなさん。あなたの人権認識の質が今問われています。

​※生存のために可能な唯一の形式は両親の型式である。両親の暮らし方が寛容なら幼児もそうなるし、一定集団に敵意をもつ幼児もそうなる。​(『偏見の心理』G.W.オルポート・心理学者)​





​​◯新しいタイプ―無定見型の「差別・偏見」​​

 麻生さんの部落問題に関する差別・偏見は「家柄・血筋」に妄執する「特殊社会」に残存する古いタイプの差別といえます。こうしたタイプの差別・偏見は戦後の社会的変化の中で、存在条件を失い大きく解消されてきましたが、その反面、行き過ぎた同和対策に対する批判、「解放同盟」の確認・糾弾に対する恐怖、そうした行為を批判することなく、同情的に報道するマスコミに対する失望と不信から、新しい「差別・偏見」(「」は旧い差別・偏見とは区別している)が生まれてきました。
 それは長引く「同和」という名による特別対策、「解放同盟」による暴力利権あさりへの不満や批判、それと格差社会でのストレスが結合し、国民の極一部が匿名性の高い「ネット」を中心に「差別用語」(旧い侮蔑語)を多用し、それを拡散するという中で生まれたものです。
​​ しかし、その内容は現実の部落差別の実態とは乖離しているため、その攻撃対象とする「部落民」(かつて部落差別を受けた人々)に、かつてのような悪影響を与えることはありませんが、組織衰退が進む「解放同盟」の息を吹き返らせる「部落差別解消推進法」の制定と国や自治体の「ネット規制」に口実を与えるものにはなっています。​​

 「ネット差別」の特徴を紹介します。
①「ネット差別」は匿名性が高く、悪質な発信者は極めて少数。(なぜか部落問題をよく知っている?)
②「ネット差別」を発信できる世代は、どちらかといえば若い世代。部落に対する差別・偏見が克服しきれていない高齢者はネットを活用するのは不得手。(高齢者はブログアップにアップアップしています)
③「ネット差別」をよく読むと、その記事の動機になっているのは「解放同盟」の暴力・利権あさりが多く、部落差別というより「解放同盟」批判が多い。中には「差別」と「批判」さえ区別できないグチャグチャで異様なものもある。
④「ネット差別」の中には「解放同盟」関係者が発信したと考えざるを得ないようなものも存在している。(敵の敵は味方)

 以上の諸点からいえば、「ネット差別」は部落差別というより「ブラックボックス」中の差別、「ブラック差別」と言うべきものです。国や自治体は「ネット差別」の本質を踏まえ「ネット」で反論すべきであり、サイト運営会社を使い削除するなどという「ネット規制」をすればするほど、感情的で非理性的な言動が激化することになることは目に見えていますよ。

※過去は過去として葬らしめよ。志賀直哉(『暗夜行路』)   ​





◯​新・旧タイプの「差別者」へ―部落問題を語る時は正しい用語で​​​​​​​

 差別発言で問題になる人も、人権派といわれる学者・文化人も「ネット差別」においても、部落問題に関する用語の概念が正確に理解されておらず、それが、部落問題にいらざる誤解や混乱を招いているようですから、改めて、部落問題に関する用語について解説いたします。

●部落問題は日本国民内部の問題であり、少数民族問題ではありません。

●部落とは、かつて封建社会の身分を理由に差別を受けていた集落のこと。部落とは本来は集落を指し、一般的にも使われてきました。それとは区別するために行政が使い始めたのが「被差別部落」、そこに住む人たちは「被差別部落民」です。中には「特殊部落」「特殊部落民」という表現もありました。

※本ブログでは「部落」と表記しています。これはかつて封建的差別の対象となっていた地域をさします。
部落問題のような社会問題は「差別がある」「差別がない」というような単純な表現では解決過程は正確に反映できませんね。
差別事象が一年に100件発生しても、1件しかなくても「ある」となりますからね。「」をつけさせていただいています。

●部落民とは部落といわれる集落に住む人およびその出身者を指します。


※部落民という用語には民族的な概念の入り込む余地がありますので、本ブログでは「部落民」と表記しています。かつて部落差別の対象とされた日本国民という意味です

●部落差別とは、部落に住む部落民およびその出身者に対する実態的差別のこと。かつて結婚、就職、居住地の移転に関わり人権侵害が多発していたこともありました。

​※部落差別とは、部落差別という現象は社会的構造に残された封建的な習俗や習慣によって発生する実態をさします。そうした状況が解体・解消される過程の中で人間の人権認識も深化していきます。深化した人権認識は基本的に後退することはありません。​

●部落に対する偏見とは、「部落民」とは「部落」といわれる集落に住む人およびその出身者に対して、好意を持たない感情、恐怖感、嫌悪感のこと。一般的には差別と偏見は一体のものになされていますが、心のレベル(偏見)と、心と行動が結びついた差別的言動とは区別すべきです。仮に心に偏見を持っていてもそれが現実的な行為にならなければ差別にはならないからです。

●部落問題とは、部落差別の解決に関わる諸問題の総称のこと。同和対策、同和・人権教育、「解放同盟」、部落解放運動などの現状や課題を明確にしたり、その解決の方向を明確にする時に使用します。

​※部落問題=部落差別=部落に対する偏見という図式概念は正確ではありません。もし仮に結婚差別を論ずる場合は「部落問題を最終的に解決するための重要な課題としての結婚差別」になります。​​


​※真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。​
ショーペンハウアー『読書について他二篇』



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