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人間愛の欠落した人権教育は必要か―神戸市垂水区の中三少女自殺から

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​​人間愛の欠落した人権教育は必要か―神戸市垂水区の中三少女自殺から​​

秋がやっと来ました。<br />森に行くとこんな精霊たちに会えるかもしれませんよ。人類は自然のすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方(アニミズム: animism)を持っていましたね。それが人間の想像力によって具象化されたものが森の妖精たちであり、妖怪たちです。昔ばなしや神話・物語の主人公や脇役になって後世に伝えられてきました。<br />こうしたお話しは心を癒しますね。

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 部落問題を解決してきたのは人を思いやる心を持つ日本人です。明治150年。明治から第二次世界大戦まではどちらかといえば部落問題を解決するための準備期間にあたり、本格的に部落問題解決をすすめたのは、新憲法が制定されてからの72年です。​
 部落問題の最終的解決は新しい日本国憲法と日本人のやさしい心(人間愛)のコラボレーションですすみます。

 
​1、少女の自殺の原因を隠ぺいする「人権教育者」​​

 「人権教育は、一人ひとりの生命と尊厳を尊重するという人権尊重の理念について基礎的な知識を体得し、人権が持つ価値や重要性を共感的に受け止めるような感性を養い、自分や他者の人権を守る態度や行動力の育成を目的とするものです」(「『第3次神戸市人権教育・啓発に関する基本計画』Ⅲ-2.人権教育・啓発」より)。
 毎年、私たちは神戸市教育委員会の人権教育担当課と交渉し、基本計画の目標である「一人ひとりの生命と尊厳を尊重する」ために行われている各学校や地域で行われている実践報告をお聞きしています。いじめ、低学力、不就学対策に寝食を忘れて取り組む現場の教職員の皆様の努力に感動し、感謝もしてきました。
 そうした中、神戸市垂水区の中学3年の女子生徒が一昨年、いじめを苦に自殺した問題で、当時の市教育委員会の担当者と校長が、自殺直後に同級生から聞き取ったいじめを裏付けるメモを「破棄した」と、うその報告をし、メモの存在を隠ぺいし、自殺といじめの真相究明を難しくした。それでも、「組織的隠ぺいではない」という見解を示しているという報道に驚いています。
 この見解は同じ学校内で複数の教師が認識していたことが暴露され、この言い訳は破綻し、同時に、市教育委員会の担当幹部は隠ぺいに当たり校長に『先生も腹をくくってください』などと申し入れて、隠ぺいを強制したということさえ明るみになっているのです。
  隠ぺいの理由については「事務処理が煩雑にならないように」と述べていますが、実際には行政の責任を回避することが目的であったことは明白であり、女子生徒の自殺を事務処理レベルの問題にしてしまいました。​幕引きを図った関係者の心にはやさしはなく、「さもしい心」が透けて見えます。
 ​※「さもしい」とは、 品性が下劣なさま。心根が卑しい。意地汚いという意味である。​

 「神戸市教育委員会は我々に嘘をついてきた」
 「『基本計画』はお飾りだ」
   「これが神戸市の人権教育の正体だ」
 
 などと、私たちの組織では、期待を裏切られたという気持ちとともに不信と批判が渦巻いています。
 しかし、私たちは学校で子どもたちのために本気で悩み苦しむ「よき教師」と、この「さもしい人権教育者」たちを同じ視点でみてはいけません。


​2、「さもしい人権教育者」の正体は「教育官僚」​​

 この隠ぺいを主導したのは指導主事(しどうしゅじ)と報道されています。指導主事は都道府県及び市町村の教育委員会に置かれる専門的職員で教育公務員特例法上の専門的教育職員に位置づけられています。指導主事は学校教育をもっぱら担当しています。職務は上司の命を受け、学校における教育課程、学習指導その他学校教育に関する専門的事項の指導に関する事務に従事しているいわば「教育官僚」の先兵という存在です。
 どのような仕事をしているかといえば、教育委員会が所管する学校において、教育課程が適切に行われているかどうか把握し、適切でない場合は指導する。校長・教頭や教員に対する研修を行う。研究指定校に対して助言などを行う。さらに、教員の問題(例: 指導力不足、体罰)や児童・生徒の問題(例: 不登校、非行、校内での事故)に対して、校長・教頭を通して解決にあたるなど、教育現場全体に強力な権能を有しています。 
 一方、この指導主事の多くは学校現場の経験者から選抜されており、教育に関する専門的知識とともに、教育現場の実態や教師や父兄の要望や行動を熟知していることから、教育委員会の方針や施策を補強する役割も担っています。
 文部科学省と教育委員会の方針と学校現場と父母の声に挟まれて苦悩する指導主事が存在する反面、今回の事件を起こした指導主事のようにむき出しの「教育官僚」もうまれているのです。


狩猟採集時代(しゅりょうさいしゅうじだい)の人間は、太陽が昇れば起きて男は狩に行き、女は野草や木の実を採取しました。そうした中で、すべての生物が死と再生を繰り返していることを知ったのです。当然ながら、動物を殺し、加工することを「穢れ」などと考える人間はいません。長い夜、竪穴住居の中で、家族たちは森の中で吠える獣や、夜行性の鳥の声に怯える子供たちのために、祖父母や両親は森の物語を語り伝えたのです。<br />縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)までつづいたといわれているから、文字はなくてもたくさんの物語が生まれたのです。

​3、人間愛の欠落した官僚主義的人権教育​​

 ​このいじめ自殺事件の対応を見ると、特徴的なことは、関係者に人権侵害を解消していくための核となる人間愛が欠落し、組織防衛と自己保全・保身に汲々としていることです。こうした人たちには、差別を受けて苦しみ、悲しむ人の立場、いじめにより恐怖と精神的抑圧にさいなまれる人の立場になって考えることは到底できません。
 ではなぜこうした「さもしい人間」たちが教育委員会を牛耳り、学校や教職員を指導しているのか? それは教育が独立性を失い、行政機構に依存しているため、教育者としての心よりも、管理能力が優先されているためです。
 この隠ぺい行為には、教育という人間の尊厳と平等を教える基礎になる自由で創造的な行為と、組織の目標に向かって子どもや学校関係者を全体の部分としてとらえ、合理的・能率的に組織体の目標を達成させようとする官僚制との対立が絶えず存在していることを見落してはなりません。
​ 社会学者のマックス・ヴェーバー(Max Weber・ドイツ)は、国家において官僚制は強力な支配装置として機能し、支配関係を組織化し、すべての行為を「結社行為」として実現すると指摘しています。さらに、支配者自身は官僚制機構の外側に立ち、支配の道具として利用すると述べているように、指導主事は国家主義教育の先兵であるという側面を見落としてはなりません。​
 教育が支配の道具になり、官僚機構の従属物として扱われる限り、隠ぺいは続くのです。

​※教育とは自然の性、すなわち天性に従うことでなければならない。国家あるいは社会のためを目標とし、国民や公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである。
ルソー(哲学者)

※教育こそが未来へのパスポートだ。明日という日は、今日準備をする人たちのものである。
マルコムX(米国の黒人公民権運動家)


明治までのアイヌ人の生活や信仰はこれに近いといわれていますね。この世のすべてのものには等しく神が宿っているとする信仰を持っており、神のような存在に対してアイヌ語で「カムイ」と呼んでいます。カムイは、日本語で言うところの「神」や「仏」に該当します。イオマンテというのはアイヌの儀礼のひとつで、動物を殺してその魂のカムイを神に返します。祭壇を祭って動物の頭部などを捧げ、お酒を供えてカムイにお帰りいただくのです。アイヌにはコロボックル伝説があります。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいたといいます。



4、日本政府の「さもしい人権教育」

 子どもの権利条約(以下「条約」)締約国の実施状況を国連に報告する『児童の権利に関する条約報告』が日本政府から2017年6月に提出されています。
 子どもの権利委員会が子どもの自殺について勧告した内容は「子どもおよび思春期の青少年の間で発生している自殺の問題に対応しようとする締約国の努力には留意しながらも、委員会は、自殺および自殺未遂に関連したリスク要因に対する調査研究が行われていないことを依然として懸念する」と、日本政府がまともに自殺の原因を究明していないことを批判し、さらに、「このように高度に競争的な学校環境が就学年齢層の子どものいじめ、精神障害、不登校、中途退学および自殺を助長している可能性があることも、懸念する」と自殺の原因にまで立ち入って指摘しています。
 ​これに対して日本政府の「報告書」は、競争的な学校環境が就学年齢層の子どものいじめ、精神障害、不登校、中途退学および自殺を助長しているという「根拠を示せ」と反論しているのです。​
 子どもたちを自殺に追い込む要因を科学的に調査し対策を講じることは、日本政府としては当然やらなければならないことですし、子どもの権利委員会の勧告に反論するうえでも重要なことです。しかし、やらずに居直る。この構図は「森友・加計問題」で嘘と強弁を続けた高級官僚たちの姿勢と同じですね。
 こうした姿勢が教育官僚の末端にまで浸透しているとしたら、今回の隠ぺいも決して不思議なことではありません。
 グローバル経済のもとで国際的な労働力の流動化、そして、AI化による産業の転換とともにはじまる労働市場の縮小という時代に直面し、子どもたちは勝ち抜くために幼児期から学力競争にさらされていることは誰が見てもわかります。しかし、それとともにストレスが蓄積し、攻撃行動が弱者に向けられ、子どもが自殺に追い込まれることは決してあってはなりません。
 にもかかわらず、政府が子どものいじめによる自殺を本気で無くそうとしていないことは明白です。その理由は簡単です。競争社会に勝ち抜く子どもを育てるのが国の教育方針だからです。
 自治体の教育委員会も相次ぐ教育関連法の改悪のために中立性と主体性を失いつつあります。また、教育現場の声を代弁し、教育行政に反映すべきはずの指導主事たちは官僚化し、学校現場の実態、苦悩する良心的な教師の意見、子どもたちの叫びが教育内容に反映しなくなっているのです。
 私たちは教育官僚に教育を任せることを真剣に考えなおすべき時代に来ているようですね。勿論、学校や教職員の教育活動を支える実務的な官僚組織は必要ですが、教育の内容まで「丸投げ」し、自分の子どもの成績と出世だけを考える「あさましい人間」になってはいけないのです。
 やさしい日本人に戻り、日本の教育のありかたを本気で考えなければならないようです。


※自ら命を絶った名も知らぬ少女へ​

​まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり​
『初恋』島崎藤村(詩人・作家)

​人間にとって苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱である。​
 ​ブレーズ・パスカル(フランスの哲学者)​


​​​​くるみ割り人形の故郷ドイツには熊がいない。現在、熊はアルプスの北側にしか生息していないそうです。<br />古代ゲルマン民族がドイツを開拓するなかで家畜を襲う熊を絶滅させたそうですね。遊牧民の宿命かもしれませんね。自然環境、中でも森を大切にする今のドイツ国民からは考えられませんね。<br />アイヌは熊を神だと考えていますから、必要以上に殺すことはありませんでした。その意識が日本人の心の底流に流れているせいか、弥生時代以後も里山を創り熊の生息域と人間社会をしっかりと区分してきましたね。だから熊が今でも全国いたるところにいるのです。<br />日本人は本当はやさしい。だから部落差別をなくしてきたのです。

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