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差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​―若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する―

​​​​差別とたたかえる人
差別をもてあそぶ人


-若一光司さんと長谷川豊さんの
人権認識の落差を検証する-​





1、作家・若一光司さんから学ぶべきこと​ ​


 読売テレビ(大阪市)は10日の夕方放送した報道番組「かんさい情報ネットten.」のロケ企画で「男性か女性かどっち?」と、漫才コンビが一般市民に確認する映像が放送されました。その放送中に、同番組でコメンテーターをしている作家の若一光司さんが「許しがたい人権感覚の欠如」と内容を手厳しく批判したことで、大きな問題となりました。 
 その内容は「迷ってナンボ!」と題するコーナー。大阪市内の飲食店の関係者から「常連客の性別がわからない」との話を聞き、客本人に「性別はどちら」「彼女は?」などと質問したり、保険証の性別欄を確認したり、「おっぱいあります?」と尋ね、胸のあたりに触れたりしたものでした。
 映像を見た若一さんは「個人のセクシュアリティーにそういう形で踏み込むべきじゃないです。そんなものをよう平気で放送できるね。どういう感覚ですか、これは報道番組として問題。ご本人がテレビに出ることを了解していたとしても、個人のセクシュアリティーに関してそういうアプローチをすること自体が、人権感覚、人権認識にもとります」などと厳しく批判しました。

​​ この問題の大きな教訓は、​​​
​①放送されている現場において放送内容が著しく人権侵害に当たることを直接指摘したことです。若一さんはこの番組のレギュラーであり、常識的(自己保身的?)にいえば局との対立は避けたいはずでしょうが、それを顧みず、人権侵害は絶対に許さないという立場で発言されたことです。​
②セクシャルマイノリティーの人の一部がバラエティ番組において人気を集めている風潮の中でも、自己の性向に悩み苦しみ自殺したり、社会的にも差別され、排除されるなどの人権侵害を受けている人たちがいることを注意喚起されたことです。
③LGBT問題を解決するのは国や自治体、企業・マスメディアだけの課題ではなく、個人の課題でもあることを進んで提起されたことです。
 若一さんから学ぶべきことは、人権を守るということは、人権侵害を受けている人たちの側に立ち、いかなる権威・権力に対しても堂々と意見を述べられる「強いやさしさ」を持つことの大切さです。


​​※愛とは他人の運命を自己の興味とすることである。他人の運命を傷つけることを畏れる心である。​​​​
​倉田百三(『愛と認識の出発』岩波書店)​



​2、読売テレビの「体面よりも人権」という姿勢もすごかった​​

 読売テレビ総合広報部は「プライバシー情報に関する不適切な取材だった。視聴者並びに関係者の皆さまに深くおわびします。事態を重く受け止め、再発防止に向けて取り組む」と謝罪し、翌日の当該番組でもキャスターおよび担当者が同趣旨の謝罪しました。
 「取材をうけた当人は嫌がっていなかった」「本人がええというてるからええやん」という意見もある中、読売テレビはセクシャルマイノリティーが置かれている社会的状況を正確に踏まえ、時間をおかずに「不適正な取材であった」と結論づけ、謝罪しました。番組出演者からの批判という不手際、報道機関としての体面にとらわれることなく、率直に謝罪した読売テレビの人権擁護の姿勢には凄味さえ感じました。
 このブログの筆者は毎週水曜日放送の「若一調査隊」と「まちかどトレジャー」は見ているので、「若一調査隊」の今後の動向が気になっていましたが、予定通り何事もなく放送されているのを見て、安心しました。
 できれば早くお笑い芸人の「藤崎マーケット」さんにも再登場していただきたい。コンビの一人、田崎佑一さんは腎臓がんで手術し、復帰してから健気にがんばっています。一方の相方トキさんは田崎さんが入院している時には一人で取材に行き、まわりに「面白くない。面白くない」とこき下ろされながら番組のコーナーを支えてきました。その健気な姿を見ていたのでお気の毒しかいいようがありません。(相当の「ten.」ファンか?)
 今回の件はバラエティ番組の風潮に乗せられたことから発生した過ち、若一さんにしっかりと怒っていただきぜひとも再登場していただきたい。






3、元フジテレビアナの長谷川豊さんの無知な発言

 夏に行われる参議院選挙(比例区)で日本維新の会公認での立候補を予定していた元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さん(43)が、講演で部落問題に関して差別的な発言を行ったとして、テレビ・マスコミで取り上げられています。
 長谷川さんは東京都内の講演会で「日本には江戸時代にあまり良くない歴史があった。士農工商の下に人間以下の存在(穢多・非人)がいた」と切り出し、「でも人間以下と設定された人たちも性欲などがある。当然、乱暴などもはたらく」と決めつけ、「被差別民集団が女性や子どもを暴行しようとしていた時、侍は刀で守った」と続け、当時差別を受けていた人々が集団で女性を暴行していたという内容の発言をしているのです。
 毎日新聞などによると、部落解放同盟中央本部の組坂繁之委員長は5月21日に日本維新の会の馬場伸幸幹事長に「歴史的事実を無視し、差別意識を助長する行為」とする抗議文を出したといいます。

​​長谷川さんは5月22日付の自身のブログで、以下のように謝罪し、発言を撤回した​
①「江戸時代を含めた中世・近世の身分制度について、きちんとした知識を有しないにもかかわらず、安易に『一部の身分の被差別者を犯罪集団だった』と言及したことは、『差別の助長』『差別の再生産』を聴衆の皆さんにもたらす弁解の余地のない差別発言です」
②「私自身の『潜在意識にある予断と偏見』『人権意識の欠如』『差別問題解決へ向けた自覚の欠如』に起因する、とんでもない発言です」
③「人間としてあってはならないことを犯してしまい、慙愧の念に堪えません。この発言を全面的に謝罪するとともに、完全撤回させてください」

​発言した内容もお粗末ですが謝罪内容もお粗末でした
 長谷川さんの講演内容は部落の歴史を少しでも学習した人からいえば噴飯ものですね。昔の勧善懲悪の時代劇のように創作されたお話しですから聞きようによっては面白いかもしれませんが、弄ぶような誤った歴史認識を流布することは部落差別を解消するために苦労してきた方々の心を踏みつけるものですから放置しておけません。
 尚、長谷川さんが使用している被差別民というのは「部落民」をさしますが、読者の皆さんが混乱しないように、長谷川さんと同じ表現を使用します。

​長谷川さんの発言と謝罪の問題点​
①長谷川さんは被差別民を犯罪集団のように描いていますが、それを裏付ける歴史資料はありません。むしろ、被差別民の主な仕事は刑吏(けいり=牢屋の見張り番)や山番、水番、祭礼の際での「お清め」の役、各種芸能者の支配、草履作りとその販売などの、現在で言うと、下級官僚などのさらに下位の下請け的役割などもしましたので「長吏(ちょうり)」とも呼ばれる場合もありました。むしろ権力の手先として犯罪を取り締まっていたのですね。(これは農民からはきらわれる。)​
​②長谷川さんの言う「江戸時代には士農工商の下にエタ(穢多)・非人があった」というのは、分裂支配を強調するための縦型の身分認識です。一昔前まで学校教育において間違って教えていた江戸時代の身分制度の仕組みです。​
​ 現在の身分制度についての考え方は、​士の下に横並びに農・工・商があり、その他に賤業に従事するエタ(穢多)・非人などの被差別民がいたという横型になっています。​一度、試しに士・被差別民・農・工・商と読んでみて下さい。感覚が変わります。​
​​ 被差別民という概念は、古代社会の無知・蒙昧が生み出した特殊技能集団に対する忌避意識、それが長く続いた身分社会である封建社会の中で形成されたもので、現代的価値観から言えば、被差別民の皆様には誠に気の毒としかいいようがない理不尽な差別であったのです。​​
③今回、長谷川さんは自ら差別発言であったとことを認め、全面謝罪していますが、その理由は「『差別の助長』『差別の再生産』を聴衆の皆さんにもたらす」からだそうですが、聴衆は無知ではありません。
 ​​
​​​長谷川さんの話しをそのまま信じる人は少なく、むしろ「これは間違っている」と考えた人がいたからSNSで流され、批判にさらされることになったのです。(若一さんは増えている。)
④一般的には差別発言が本当に歴史的事実に対する無知から来ている場合、指摘を受けた当人が反省し、学習すれば決着することですから、マスメディアがおおげさに取り上げるような問題ではありません。 
​ しかし、長谷川さんは維新からの立候補予定者(現在公認停止中)、半ば公人。当然ながら部落の歴史に無知であってはいけませんね。さらに、いくら「駄法螺を吹く」にしても、それが人権侵害を派生させる危険があるかどうかが予想できないような幼稚な精神構造の持ち主であってもいけません。​
​⑤長谷川さんの謝罪文には重大な欠落部分(意図的か?)があります。講演で参議院選挙の政治的争点にもなってない被差別民を脈略も無しに、唐突に攻撃した動機はなんであったかが明確にされていません。​
 ​特に維新の創立者の一人、橋下徹氏(当時大阪市長)に対する『週刊朝日』の理不尽な「出自攻撃」は知っているはず。それを知りながら敢えてこんな発言をした動機と目的は何か?​


​4、侮辱的な言動は人間社会を破壊する​

​ 改めて、差別発言とは何か?考えてみましょう。​
​​ 差別とは、特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為であり、正当な理由なく不利益を生じさせる行為のことです。差別発言とは、​特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる発言のことです。​​
 こうした差別には意図的に行われるものと、無知・蒙昧の結果、生まれるものがありますね。
​①意図的に行われた最近の事例は橋下徹氏(当時大阪市長)に対する『週刊朝日』の理不尽な「出自攻撃」です。これは『週刊朝日』が橋下さんに全面謝罪して終わりましたが、依然として『週刊朝日』の真の目的とその背景は解明されていません。 ​
②無知・蒙昧から生まれる事例は「ネット差別」と総称される中に多いようです。「私の夫が部落民だったらどうしょう?」「好きなタレントが部落民だったらどうしょう?」という類の言動です。 しかし、こうした記事をよく読むと、かつての「3K同和教育」と誤った部落解放運動が与えてきた恐怖印象が原因となっているものが多いようです。
​​③最も差別発言として使われるのが「穢多・非人」という用語です。これは封建社会で生まれた身分制に基づく侮辱語であり、基本的人権を基調とする現代社会においては、​地域や個人と結びつけて使用することは許されません。​なぜなら、「部落」の人たちの基本的人権を侵害する恐れがあるだけでなく、​それによって、人権尊重を基調とする社会を分断し、国民間に無用な対立を激化させる危険性があるからです。​​​
④「穢多・非人」という用語も歴史的事実を説明する場合、あるいは差別を無くす目的において使用される場合は差別とはなりません。また、部落差別が基本的に解決した段階においては、社会生活においては死語となり、当然ながら「部落民」という自覚と被差別体験もなくなります。その結果、​それが目前で使用されていたとしても侮辱語としての効果はなくなるからです。​

 以上の観点から、差別発言および差別行為として成立する構成要件は次の通りになります。

①特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせた時。(実害の発生)
②特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる意図や目的がある場合。(実害の確証)
③特定の集団や属性に属する個人に不利益を生じさせる可能性がある場合。(実害の予見)
 一度検討してみて下さいね。





5、「人の道」が理解できない日本維新の会の議員たち

 日本維新の会は社会的的弱者を切り捨てる差別思想を本質的に持っている人が多いようです。
 長谷川さんは今回は「部落」に対する差別意識があったことは「素直に」認めました。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」(長谷川自身のブログ・2016年)と、人工透析患者の命をコストでしか見ない非人道的な記事を書いて国民的批判を浴び、透析患者の団体である一般社団法人全国腎臓病協議会から撤回と謝罪を求められても拒否しています。もし、今回の謝罪が「解放同盟」は怖いから、維新の公認停止が怖いから全面謝罪し、腎臓病団体は怖くないから謝罪しないとしたら、 
 ​この人は最低・最悪です。​

 ​他にも最低・最悪な人間はいますね。​

●丸山穂高衆議院議員(日本維新の会から除名処分)は北方4島の返還に関し、「戦争しないと」などと元島民代表に詰め寄り、回答をしつこく求めました。
 元島民から「ロシアと戦争してでも返還を実現したい」という言質をとり、平和的外交による領土返還運動をヒステリックな民族主義的運動に転換にしようとする意図があったのかもしれませんね。当然ながら元島民は誰一人同調せず、「戦争は必要ない」と一蹴しました。
 「国会議員辞職」の声は日本中に渦巻いていますが、丸山議員は国会の事情聴取を「適応障害」を理由に拒否していますが、本当に「適応障害」の人たちは怒っているそうです。。
●杉田水脈衆議院議員、今は自民党議員に在籍していますが、もともとは維新出身。「男女平等」は「反道徳の妄想」などという主張を繰り返し、LGBT(性的少数者)を差別する論文を月刊誌に投稿して大問題となりました。
●維新の創立者である橋下徹さんは大阪市長を勤めている時、旧日本軍の「慰安婦」問題にかかわって「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」と暴言を放ち、世界中から批判を受けました。
●現在の維新の代表松井一郎さんも沖縄県の東村高江の米軍ヘリパット建設現場の警備に派遣されていた大阪府警の機動隊員が、建設に反対した住民に「土人」「シナ人」と差別的発言を投げつけたことを不問にするどころか「出張ごくろうさん」と慰労しています。

 政党や議員には政治に対する主義・主張があって当然です。でもその基礎には、前記の若一さんのように我が身を犠牲にしても、「人の道」を尊ぶという決意がなければなりませんね。
 ​「人の道」とは人間の命は絶対的に平等であるということです。​
 キリスト教は、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿しているといい、仏教でも人間には平等に仏性があるといいます。つまり、神仏の前では人間は平等なのです。
 さらに、人類は長い権利獲得闘争の歴史を積み重ね、その平等が現実社会においても法的に保障される社会を実現したのですから、政党や政治家は絶対に「人の道」を守らなければならないのです。
 残念ながら維新の議員たちには、​この「人の道」がなんであるかを心から理解されている方が少ないようです。​


※阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。

​​芥川龍之介『河童』(集英社)​​​​​​​​​​​​
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