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消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥​​ ​​つくられた歴史認識―こわされる歴史認識

​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥​​
​​つくられた歴史認識―こわされる歴史認識​



 ​『朝日新聞』がまた失敗をやらかした。
 『朝日新聞』は元ハンセン病患者の家族に対する賠償判決に対して、「政府が控訴する方針を固めた」という記事を報道しましたが、その当日に政府は控訴を断念しました。
 『朝日新聞』は「従軍慰安婦報道―吉田証言」の取消、『週刊朝日』による橋下徹氏の「出自」を利用した人格攻撃記事、古くは八鹿高校事件を黙殺するなどの失敗を重ねてきました。残念なことですが『朝日新聞』の人権報道が信用できなくなってきました。
 戦後、部落問題をはじめ人権問題を取り上げ、大きく解決に貢献した『朝日新聞』の功績は認めなければなりませんが、それにしても失敗が多いようです。 
 私たちはこうした問題の発生の背景には、個別の人権問題の歴史性や基本的性格を分析し、解決方向を明確にするという主体性の欠如があることをご指摘させていただきました。これまで『朝日新聞』は自社の人権報道の理念を「被差別者や社会的弱者によりそう」ことであると、表明されてきました。「よりそう」という言葉は極めて温情的で慈悲深い態度ですが、見方を変えれば、自らの力に陶酔した傲慢な態度ともとれます。
 それゆえ『朝日新聞』が、「被差別者や社会的弱者」であると認める団体・個人に対しては無批判で過度な追随が行われ、それを正当化するために、予断や捏造、黙殺が生まれているようです。実際に、『朝日新聞』は私どものような「解放同盟」系でない弱小団体は見下げておられるようで、何度、「意見書」を出しても回答していただくことはありませんでした。
 それにもめげずに『朝日新聞』の購読を続けているファンとして一言ご忠告申し上げます。
 ​そんな姿勢でいるとまた失敗をやらかすよ。​
 



 歴史認識は社会的・政治的価値観でつくられる
 ​歴史は現在から見るものです。​
 それは『ドラえもん』のように時間をさかのぼって歴史的事実を自分の目で見て歩くことができないからです。さかのぼれたとしたら未知・未解明の事実が数多く発見され、歴史的事実についての解釈・理解が変化することは間違いありません。
 しかし、歴史認識は歴史的事実だけでつくられるものではありません。歴史的事実に対する「解釈・理解」は、その時代の社会的・政治的価値観に強く影響され、絶えず変化していくものであるという認識を持つ必要があります。ゆえに自分が歴史的事実であると認識していることでもしばしば間違っている場合があると疑うことが大切なのです。
 その典型例は、戦前の天皇は「現人神」(あらひとがみ)で、直視すると「目がつぶれる」とまで言われていました。「記紀」に基づき天皇制を絶対的な「神」の系譜として尊崇する認識ですね。当然ながら「人間が神様?」なんてことはありえませんが、当時の政府が日本国民に徹底して押しつけていた歴史認識であったのです。
 私たちが信じる歴史認識とは誠に危ういものです。この危うさの根源にあるのは、私たちは伝統的な常識・先入観を持たされ、家庭―地域―会社という「狭く閉じられた世界」で生活しているため、安定を求め、変化に対して拒否意識が強くはたらくからです。
 ​この傾向は封建時代におけるお百姓さんに似ています。​




 日本人の先祖はみんな百姓だった
 ​木曽路を歩きながら江戸時代のお百姓さんについて考えました。​
 江戸末期の日本の人口は約3300万人で、その80%以上はお百姓さんでした。支配者である武士は約7%だけでした。ですから父系制度的な視点でいえば、現在の日本人の先祖のほとんどはお百姓さんになりますね。
 江戸時代のお百姓さんの生活基礎は村でした。村は領主の代理として、名主―組頭―百姓代という村方三役が年貢の取立て、労役・雑役などの業務を肩代わり(村請制度)することで、一定の自治権を保障されていましたが、村方三役の組頭というのはお百姓さんを小単位に分けた5人組の責任者であり、5人組は村人の自治の基礎であり、お百姓さんの互助と相互監視を行う組織でした。
 この組織によって、領主の支配は末端まで行き届くようになっており、「百姓は生かさず殺さず」という苛酷な搾取・収奪を保障したのです。
 ​​​​こうした状況下における百姓の心理状態を推測してみると以下の通りになる​​​
①ひたすら権威に服従する。伝統や規則に従順になる。反面、強いもの、権威あるものに憧れる気持ちも強く、自分が他の人の権威になることを望む。
②ものの見方が主観的・一面的になり、権威的人格をつくる。
③上下関係の厳格な組織を好み、その中に身を置くことに満足感を持つ。
④権威により抑圧された敵意を、自分より劣る人に向けることにより発散する。
 ​黒澤明の映画『7人の侍』はこの特徴をよく描いていました。​
 ​この心理は現代の日本人にも受け継がれているようです​​​
​「現代の日本人の代表的な行動特性に、狭い人間関係の中での評価には非常に敏感であり、過剰なほどまわりに気をつかうという点があげられます。会社や学校などの小さな社会のなかで、自分の本心を隠してでも周囲から浮かないことを心掛け、場の空気を読んで行動し、集団の和を重視するのです」(『百姓の力』渡部 尚志・柏書房)​
 ​当たっていますね。​
 社会問題となっているいじめ自殺事件の背景にもお百姓さんの心理が受け継がれているのかもしれませんね。





 ​百姓は人間扱いされていなかった​​
​​ ​​木曽路の宿場の歴史をたどると、山峡の貧しい百姓の生活が想像できます。​​ ​​
 山間の狭い農耕地を耕して得た収穫のほとんどを年貢としてとられ、主食は米ではなく、粟・稗と蕎麦だったようです。 
 長子相続の時代ですから、家には後を継ぐ長男だけが残り、次男、三男は婿養子に行くか、年季奉公に行かされました。女は一定の年齢になるとほとんどが年季奉公に出されました。年季奉公というのは親が奉公先から金を借りて、その代償として子どもが期限つきで衣食住だけ与えられ、無給で働かされることです。 
 しかし、実際には借金が膨らみ、奉公の期限が延びてしまうことがほとんどで、一生ただ働きを続けなければならなくなるのがほとんどでした。もっとも、年季奉公が終わっても帰る場所はありませんからそれはそれでよかったのです。さらに、奉公人はしばしば雇用主からの暴力に曝されることがあり、まさに奴隷に等しい状態でした。
 年季奉公に耐えて、職人や商人として自立する人もいましたが、苦しさに耐えきれず逃亡したり、病気で放り出される奉公人は数多くいました。そうした人たちは江戸をはじめとする大きな城下町に集まり雑業についたようです。
​ ​「奉行は非人頭に命じて浮浪の者をかりこませ、もとの村へもどすのを第一にした。江戸で生まれた者や、体力があって役に立ちそうな者は、非人頭の配下にくりこむ。乞食でもって乞食を管理する。このシステムこそ、徳川独自の『非人制度』であった」(『江戸の貧民』塩見 鮮一郎・文藝春秋)
 非人の皆さんは、今日の時代でいえば社会的弱者といわれる人たちだったのです。


 ​​百姓女は人間として扱われなかった
​ 哀れなのは女でした。 ​
 木曽路の宿場にも「飯盛り女」がいました。宿の雑用と客の求めに応じて体を売る女たちがいました。彼女たちのほとんどは百姓の娘で、12歳頃になると年季奉公で宿場に雇われ、一定の年齢になると客を取らされたのです。
 「飯盛り女」は妊娠しても子供を産んでも育てる事は出来ません。流産してくれればそれは幸いなのですが、流産しない場合には生まれた瞬間に命は消えるのです。旅籠の男役が間引いていたようです。
 しかし、この間引きは一般的に行われていました。一般的な間引きは産婆さんが、出産後、産湯で溺れさせる、首を絞める、濡れた紙を顔に乗せて窒息させる、とかだったそうです。生まれた子が障害持ちということが分かった場合にも適用されました。これらの方法が常態化していたこともあり、農村においては自発的に人口調整がなされていたそうです。だから江戸時代の人口は3000万人から増えもせず、減りもしなかったといわれています。
 「飯盛り女」は苛酷な労働により病気になったり性病にかかり早死にし、投げ込み寺に捨てられ、無縁仏となるのが常であったようです。また、運よく生き延びても、老いて働けなくなったら宿から追い出され、路上で野垂れ死にする人たちも多かったそうです。
 ​木曽路の数多くの石仏はその供養に建てられたといわれています。​





 ​​「被差別民」という歴史認識は転換が必要だ​​​
​ ​「被差別民」は「部落民」ではなく百姓でした。​ ​
​ 人口の圧倒的多数を占めるお百姓さんは、前記のように武士からひどい差別を受け、搾取・収奪された最大の「被差別民」でした。しかし、今日では「被差別民」というのは「部落民」を指す言葉として一般化し、「差別者」に位置づけられているのは主にお百姓さんを先祖に持つ方々です。 いつ、誰が、こうした用語を創りだしたのかはわかりませんが、この認識では封建時代における基本的な支配関係とお百姓さんの置かれていた状態が欠落してしまいます。​
 なぜ欠落したのか? 
 それは、人口の圧倒的多数を占めるお百姓さんが、権力を持つ武士により抑圧された敵意を自分たちより少数の人たちに向けることにより発散し、自らの抑圧感を麻痺させ、自らが「被差別民」であることを欺瞞してきたからです。 
 これを心理学的に説明すると、人間は自己欺瞞に陥ると、無自覚な人間(自覚のない人)になり、自分の置かれている立場が自覚できなくなり、集団心理に誘導される行動をとるようになります。養殖のまぐろたちが、えさのイワシを追いかけている間は、自分たちが囲いの中にいるのを忘れるのと同じです。
 「被差別民」という言葉はお百姓さんの妄念を源泉に創られたようです。
 学校の歴史教育において、「日本国民のご先祖様」であるお百姓さんの歴史が充分な時間をとって教えられ、お百姓さんが悲しい「被差別民」であったことと併せて、「部落民」の歴史が教えられていたとしたら、お百姓さんの末裔たちは、もっと早く「部落民」は自分たちの仲間だったということが認識できたはずなのです。
 ​認識は事実の解釈・理解の方法によって変わるのです。​
​※参考文献・『江戸の貧民』塩見 鮮一郎・文藝春秋、『百姓の力』渡部 尚志・柏書房、『やまなみはるか歴史の道・日本の街道』・集英社、『身分差別社会の真実』斎藤洋一、大石慎三郎・講談社、『日本の歴史をよみなおす』網野善彦・ちくま学芸文庫他。​
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