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​​​​​部落問題の深層へ​​ ​​―続「バリバラ」「かんさい熱視線」の部落問題特集 ​「​バリバラ」から見えてきたマスメディアの混迷​​​​​

​​​​​部落問題の深層へ​​
​​―続「バリバラ」「かんさい熱視線」の部落問題特集
​「​バリバラ」から見えてきたマスメディアの混迷​​​​​







はじめに

 
 拙い本ブログをお読みいただき心から感謝申し上げます。
 
 私たちは行政から補助金を一文もいただかず、自主財政で人権運動を続けていますので、2・3月は生活のために出稼ぎに行かなければなりません。誠に残念ながら新しいテーマで記事をアップする時間がありませんので、そこで今回は当ブログが発信したNHKの「バリバラ」と「かんさい熱視線」の部落問題特集の続編とさせていただきます。この​続編は「バリバラ編」と「かんさい熱視線編」の2回にわけてアップさせていただきます。​
 この続編を読まれ、お暇があれば前回の記事をもう一度お読みいただき、さらにご理解を深めていただければ幸いです。
 余談ですが、NHKの朝の連ドラ「おちょやん」泣けますね。特に働かないで酒ばかりのんでいる「おとん」、昔の「部落」(かつて部落差別を受けていた地域)にいました。飲んでいても楽しくなさそうで、見ていて悲しくなりました。







​雪の日の彦根城​
幸運にもみんなのアイドルひこにゃんが雪の日にもかかわらず黄色い雨具を着て出てきてくれた。​

雪の積もる瓦屋根と白壁が借景となり、かわいい姿が映えていた。​​​




​​1、「バリバラ」と「かんさい熱視線」を放送法に照らして検討してみよう​​

 今回は放送法(昭和25年法律第132号)に基づき「バリバラ」と「かんさい熱視線」について考えてみたいと思います。
 放送法の第四条では、放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たっては、「次の各号の定めるところによらなければならない」とあります。

1、公安及び善良な風俗を害しないこと。
2、政治的に公平であること。
3、報道は事実をまげないですること。
4、意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

※違法性があるとしたら、国民の財産である電波を格安に利用し、視聴者から受信料を半ば強制的に徴収する公共放送であるNHKは国民に謝罪し、放送内容の是正を行わなければなりませんね。


参照記事 20210120
バリバラ」「かんさい熱視線」の部落問題特集には邪な意図があった​ ​​​​​​​​NHKのめざす空想的部落差別社会​​​ ​​




​国宝彦根城​
雪が残る天守閣は国宝である。1992(平成4)年に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、近年の世界遺産登録が厳格化されたため、20年以上推薦は見送られている。​

誠に申し訳ないが、建物の美しさと風格には目を見張るが、所詮権力者の敵への恐怖の産物が建物として形となったものである。



​​2、私たちが注目しているのは次の通りです。​​

​①​報道は事実をまげてはいけない​

 「バリバラ」は部落差別の本質が人種・黒人差別と同じであるかのような印象を持たせる演出を行っていました。
 こうした演出の背景には「バリバラ」製作者に部落差別の明確な定義がないためであると、すでに指摘しました。定義がなければ部落差別は日本民族内の問題であろうが、人種・民族問題であろうが関係なくなり、差別一般として普遍化されることになります。
 その結果、番組にあったように黒人リポーターが「部落」を取材し、黒人差別との同質性を強調すれば部落差別は人種・黒人差別と同じように認識され、これを在日朝鮮人のリポーターがやれば民族差別として認識されるのです。
 部落差別が人種・民族差別と混同させる、同じものと認識させることは、放送法の「事実をまげる」の規定に反するばかりでなく、権威あるNHKがそうした報道をすることで、すでに「ネット」の中に存在する「異民族・異人種説」に基づく幼稚な記事にお墨付きを与え、部落差別解消を願う国民が苦しんだ「異民族・異人種説」の復活への道を開く危険性があるのです。

​②部落問題は日本民族の問題であるという定義は明確​

 同和対策審議会答申 (昭和40年、以下「同対審答申」)が定義した部落問題の定義は以下のとおりです。
​ 「いわゆる同和問題とは,日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により,日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ,現代社会においても,なおいちじるしく基本的人権を侵害され,とくに,近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという,もっとも深刻にして重大な社会問題である」として、明確に「異人種・異民族説」を完全に否定しています。​

◯この「異人種・異民族説」は部落差別を正当化する根拠に使われていた時代がありました。中には「人類学的調査」(鳥居龍蔵・『日出新聞』1898年2月)まで行って人種的特徴を立証しようとしたこともありましたが、反対に「部落民」特有の人種的特徴がないことが証明される結果となりました。

◯島崎藤村は小説『破戒』を書いた後、その取材ノートとも言うべき『山国の新平民』の中に、「こういう風に世の中にきらわれている特別な種族だから独立した事業という方面には随分これまでも発達し得られただろうが、知識という方の側にそういう種族が発達しえるかどうか」と書いています。
 この事例で藤村が差別者であったなどいうつもりはありません。言いたいことは、当時の進歩的といわれる学者、知識人、文化人、社会運動家といわれる中にも「異人種・異民族説」の強い影響を受けていた人たちが存在し、それから類推すれば、国民の間においては「異人種・異民族説」が相当根深く浸透していたいうことです。
 「異人種・異民族説」の背景にあるのは農民と少数の職能集団である「部落民」との長い間の隔絶の歴史にあります。閉ざされた壁の内側にいる「部落民」は「異界の人」であり、農民が恐怖と妄想を掻きたて「異人種・異民族」を創作していくには充分な条件でした。
 今日では異人種・異民族だからと言う理由で差別を正当化できないことはいうまでもありませんが、日本の歴史過程の中で、死穢の思想と身分制とが結びつく平安時代の頃から明治の「解放令」まで続いた隔絶社会における習慣や因習から生まれた認識が簡単に変わらなかったことも事実として認識しておく必要があります。
 






雪の玄宮園(げんきゅうえん)
背後の山上にある天守閣が借景となり茅葺の建物と池が映える。この日は雪。白い風景が静寂につつまれていた。​

玄宮園は国の特別史跡「彦根城跡」の区域、および隣接する楽々園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。
玄宮園は井伊家の代々の当主が整備し、江戸時代後期の文化10(1813)年には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、今日に近い形に整えられたといわれる。​​




​3、「異人種・異民族説」を完全に否定することから同和対策ははじまった​​

 絶大な権威をもつNHKの製作した「バリバラ」はとても危険な世界に国民を引き込もうとしています。それは、すでに政府、自治体、部落解放運動団体(「解放同盟」も含め)、国民が長い相克を通じて到達した「異人種・異民族説」の完全否定に風穴を開け、死に絶えつつある人種・民族起源説に新しい生命を与える可能性です。 
 匿名性が高く、非科学的認識が横行しやすい「ネット」を培地として、「異人種・異民族説」にもとづく空想と妄想を広げられ、部落差別の解消に大きな弊害が生み出される危険性があるのです。

​ 権威あるマスメディア関係者への要望​​

①「バリバラ」は日本政府の到達している基本的認識を揺るがし、部落差別と民族問題の本質がまるで同じかのような表現と演出を行い、国民の事実誤認を誘発しています。すべてのメディアがこうした報道のもたらす危険性を認識され報道されたい。

②「同対審答申」が敢えて人種・民族問題ではないことを明言した背景には、古来より、日本人の一部に差別の根拠として「異人種・異民族説」が根強く存在し、部落差別解消の弊害となっていたためです。こうした歴史的到達点を改めて確認していただきたい。誤解や錯誤を生む報道は厳に慎んでいただきたい。

③いうまでもなく黒人差別は白人優位の政治、社会、経済構造を守るために皮膚の色を口実にして排除・忌避する差別であり、構造の変革なしに心の問題とするだけでは解決し得ない問題です。一方、部落差別は封建社会において発生し、資本主義社会が成熟を遂げ、民主主義が定着していけば無用な思想的残滓として解消するものです。
 差別の歴史性と個別性を理解され、科学的な報道をされたい。



参照記事 20190605
差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​-若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する-


​黄水仙​
厳しかった冬がようやく終わるのを告げてくれる花だ。 

日本でスイセンと呼ばれている花ですが、「水仙」という名前は中国から伝わったもので「水に咲く仙人のように美しい花」という意味。 
花言葉は「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」といった意味がある。黄水仙の花言葉は「私のもとへ帰って」「愛に応えて」らしい。
嫁に逃げられた一人暮らしにはキツイ花のようだ。


​​4、お粗末さん―「バリバラ」を製作したディレクタ―​

 最後に、「バリバラ」を製作したディレクタ―斉藤勇城さんが語った「バリバラ」の制作裏話が、『部落解放・人権入門2021』(「解放出版社」)に掲載されているので紹介しておこう。
​​ 「部落問題が語られるとき、『日本固有の』という形容詞がつくことが多いと思うんですが、固有としてしまうと、解決を諦めがちになってしまうという気がします。固有としないで、他の差別の歴史と比較することで類似点とか相違点が出てきて、相対化することで前に進めるヒントがあるんじゃないか」。​​
​ この程度の認識でテレビ制作ができるとは....。​

 ​お粗末その①―「『日本固有の問題』にしてしまうと解決しない」という認識について​

​​ 「日本固有」の問題にしてしまえば部落問題が解決を「諦めがち」になるのはあなただけだと思います。よしんば本当に「諦めがち」になるとすれば、あなたにとっては、これまでの日本の国および自治体の努力、国民の努力は無駄だったことになり、部落問題に特化した「部落差別解消推進法」も「人権条例」も役に立たないことになります。また、固有ではなく普遍的な差別問題に転化させれば、部落差別の定義はますますわからなくなりますから、最も大切な部落差別を解消する道筋もわからなくります。​​

 ​はっきりしていることは、この人は​
 ①部落差別の定義がわかっていない。
 ②定義が無いから部落問題解決の到達点がわかっていない。
 ③部落問題の解決した状態(ゴール)がわかっていないから、進むべき先がわかっていない。
 マスメディアは第4の権力だ。部落問題がわかっていないのに味方のふりをして権力を濫用するなよ、ややこしくなるだけだぞ。

 ​お粗末その②―「相対化(そうたいか)することで前にすすめるヒントがある」という認識について​

 「相対化」とは、絶対的な物事の見方を否定して、他との関係や比較を前提にして考えるようにすることを意味する言葉ですね。この製作者は部落問題を「日本固有」の問題としてしまえば、「解決を諦めがちになる」として、部落問題の歴史的属性を否定し、人種・民族差別との共通性を取り上げ解決しようとしているのです。だから黒人タレントの視点で番組をつくり差別の普遍性を強調し、黒人差別も部落差別も一緒くたにしてしまったのですね。
 「固有」と「相対化」は分離・分割して認識すべきものではなく、現実の実践の中で統一的に認識されるべきものですから、現実から離れた空想の中では成立し得ない認識なのです。
 最後に、マスメディアのみなさん。放送法を順守するために、番組を制作する際には「解放同盟」の皆さんの意見だけでなく、「対立意見」をもつ地域人権連のご意見も聞かれてはどうでしょうか。来年は水平社創立100年、それくらいの姿勢転換をしてもバチは当たらないと思いますが....。



参照記事 
20200930
​​あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか? 人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる



明石城の梅
1617年(元和3年)信濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は譜代大名にふさわしい居城として城郭を建設するよう、将軍徳川秀忠より築城命令された。​

天守台は築かれたものの天守は建てられず、四隅に櫓が建てられた。高い石垣と櫓は天守がなくても威厳と美しさがある。
明石城は桜の名所としては知られているが、梅は知られていない。しかし、公園の片隅に咲く数本の紅梅と白梅は春光を照り返す城郭の一部となっている。


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