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私たちは人権社会を実現すると称して「憎悪の種」をまいてはいないか 京都アニメーションの事件現場を訪ねて

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​​​私たちは人権社会を実現すると称して
​「憎悪の種」をまいてはいないか​
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​​京都アニメーションの事件現場を訪ねて


 旧時代の部落問題は国民を「被差別者」と「差別者」とに単純に区分していました。その結果、「被差別者」は「踏まれたものの痛みはわからない」「部落民以外は差別者」であると、国民全体を憎悪し、攻撃的になることがありました。「差別者」も「被差別者」に否定的なレッテル(ステレオタイプ)を貼ることで差別を肯定し、忌避する行動をとることがありました。
 戦後、日本国憲法の基本的人権条項は憎悪を捨てて、対話、共感、共同する道こそが部落問題解決の大道であることを示し、国民全体の人権認識を高めることで、封建的な社会・人間関係、それに付着していた習俗・慣習を確実に解消に向わせてきました。
 しかし、今でも、「人権・同和教育」(「解放学級」も含む)においては、国民を「被差別者」と「差別者」に区分し、子どもたちの心に「憎悪の種」をまき続けています。
 もちろん、「憎悪の種」は「人権・同和教育」の分野だけでまかれているわけではありません。家族、地域社会、政治・経済・文化など、様々な分野でも怒りや苦しみや脅威は存在し、「憎悪の種」はまかれ続けています。にもかかわらず、私たちは「憎悪の種」の正体が何であるかを認識することはありません。「憎悪の種」がどのような状態で発芽し、成長し、社会的弊害を生むのかについてほとんど知らないのです。
 もし、人間の「憎悪の種」がどのように脳内で造られ、どのように発動するか知っていたとしたら、少しは理不尽な犯罪が防げるかもしれないし、穏やかないい人生が送れるかもしれません。
 そこで、今回は京都アニメーション事件の現場を訪問し、憎悪の炎にまかれた人々に哀悼の意を奉げつつ、人間の「憎悪の種」について考えてみました。
 


​ 憎悪が生み出す理不尽な犯罪​​

 美しい夢を紡ぐ人たちが理不尽な暴力によって命を失いました。
 2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオに男が侵入し、大量のガソリンを建物1階や従業員などにかけライターで着火した。爆発を伴う火災(爆燃現象)によって、死者は当初33名だったが、その後病院に搬送された負傷者が死亡し、その後、36名(10月4日時点)となってしまいました。 
 報道によれば京都アニメーションには数年前から作品への批判や社員への殺害予告が相次いでおり、その都度、警察や弁護士へ相談し、対処していたようですが、今回の事件との関係については分かっていないようです。
 放火殺人容疑者は警察官に取り押さえられる際、「パクリやがって」と声を荒らげたということですが、犯人が大やけどを負い、入院中なので詳しい動機は不明のようです。しかし、その言動から「見当違い」とはいえ強い憎悪感情(hate emotion)を京都アニメに抱いていた人物であったことは間違いないようです。

 
​​ 憎悪は脳の原始的領域から生まれる​​




 憎しみが生じるのは生物が古代からもっている生存の本能にあります。そのメカニズムは生物学、人類学、脳科学などの幅広い研究によって解明されてきました。
​​ 脳には原始的な領域(大脳辺縁系の偏桃体・図参照)があり、それは原始神経システムといわれ、自分を脅かすものに対する反応を司ります。その反応は瞬時に闘争か逃走に分けるはたらきをします。これに対して、知識と経験に基づく理性的な選択をする大脳新皮質こと、高等神経システムが存在します。​​
 闘争は外敵とたたかって生存を守ることであり、逃走は逃げることで生存を守ることです。闘争は憎悪を生み、敵を攻撃しますが、時にして自己に向くことがあります。生物のうち人間だけが自殺するのはそのせいだといわれています。
 この今回の犯人の憎悪行動には闘争するという側面と自殺するという側面が混在しているようです。


 憎悪の根源には敵意がある​





 私たちが恐怖でなく憎悪で反応する場合を考えてみましょう。例えば、毒蛇に遭遇した時には本能的に恐怖を感じますが、憎悪することはありません。しかし、それが鎌首を持ちあげて襲ってくる姿勢を見せた時、恐怖に襲われ、脳の​原始神経システム​が発動し、逃走もしくは闘争反応の引き金が引かれ、逃げるか、反撃するかを瞬時に選択します。
​​ 脳の原始神経システム「逃げ場のない状態に陥った時」に憎悪感情が理性的感情を抑え込み攻撃に打って出るのです。その瞬間、人間は憎悪の中に「しこり」があるのをはっきり確認できますね。それが敵意なのです。​​
 憎悪の中には敵意(憎悪の種というべきもの)が存在しているようです。この敵意は毒蛇に対するような個別的なものと歴史や社会体制のような抽象的なものに対しても発生します。今回の「京都アニメーション事件」は個人的憎悪のようですが、秋葉原無差別殺傷事件、大阪教育大附属池田小事件、相模原障害者施設襲撃事件などは、社会体制の歪が生み出した敵意により引き起こされた事件のようです。


​ 敵意が生み出す差別・偏見​​


2019_10月号ブログ絵解き4 


 人間はすぐに敵・味方を分けますね。この区分けは人間が生存するために必要な原始神経システムなのです。だから人間は家庭環境や社会的環境、教育によっては誰でも殺戮者になれる能力を持っているのです。だから戦争に行けば、どんなに優しい人でも一定の教育と訓練を受ければ人を殺すことが出来たのです。​
​ 部落問題でも「差別者」と「被差別者」に区分けを行います。この区分けも歴史的・社会的な知識と経験があれば高等神経システムにより、抑制力が働き「憎悪の種」にはなりませんが、子どもたちのように精神発達が未成熟な段階にあるうえに、知識や経験が乏しい場合、あるいは無知蒙昧な慣習や習俗の影響から抜けられない人たちは、この区分けを単純に「敵」と「味方」という図式に転化してしまい、「憎悪の種」を生みだす場合があります。​
 このことは麻生太郎さんが、野中広務元自民党幹事長に対して「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」(2003年)と発言したことや、「ネット差別」といわれる書き込み(極めて少数だが)を読むとよくわかります。その内容には「憎悪の種」が増幅し、敵意が発動していることがよくわかります。
 当然ながら敵意は「差別者」だけがもつものではありません。「被差別者」の方も強く持ちます。それが前記の「踏まれたものの痛みはわからない」「部落民以外は『差別者』だ!」という「憎悪の種」中に敵意は存在しているからです。


 「敵意」は共感のスイッチを切り、
 差別・偏見を受け入れる​​

 共感とは他者の考え方や感じ方を理解しようとすることで、それが正しいと認められなくても、最悪の敵に対しても相手の身になって考えようとすることです。そうした立場でいる限り、理解や和解の機会は生まれますが、共感が切れれば、攻撃性が発動され、ナチスが「敵」とみなしてアウシュビッツでユダヤ人を大量に殺戮したような想像を絶する無差別殺人に突き進むことも起こるのです。
 この共感のスイッチが切れると、脳は​原始神経システム​を発動し、「憎悪の種」は敵意の形をとり、その敵意が、「さまざまな刺激」で増幅されることにより、​​高等神経システム​​は抑圧され、理性的な働きは弱められ、脳は感情的な状態に置かれます。 
 その結果、自分の生存を脅かしたり、不利益を与えると感じる他者に対する攻撃を正当化するために、「ユダヤ人は劣等である」「黒人は知能が低い」「部落民は穢れている」など、非科学的で根拠のない差別・偏見を容易に信じ込むようになるのです。
​​ 公的権力や社会的権力がこうした脳の働きを利用して政治的扇動を行えば、国民を誘導することは可能なのです。フジテレビは政治評論家の櫻井よしこ​さんを頻繁に登場させ、隣国・韓国に対する「敵意」をやさしい声と言葉に包んでふりまきます。韓国大統領の文 在寅(ムン・ジェイン)さんは支持を維持するために韓国人の皆さんの「反日感情」を激しい言葉で煽ります。​​
 20世紀最大の殺戮者ヒトラーも、演説で最初は静かに語りかけ、聴衆を引き込んだあと、激しい言葉で煽りました。お芝居が上手な人ほど扇動も上手なようです。
 今、大切なことは日韓双方の国民が自分の敵意・憎悪を疑うことです。


 「憎悪の種」をまく部落解放運動は
 必要がない
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 地域人権連を卒業してから、「解放同盟」「地域人権連」という区分けを離れ、俯瞰で部落解放運動の歴史をたどると、同和特別法が制定されて以後は、部落解放運動は本来なすべき運動がほとんどできてこなかったのでないか?という疑問が生まれてきました。
 本来の部落解放運動は科学的な調査と研究に基づく地域住民運動理論の創造、それを学び、対話と交流、共同をすすめるための運動であり、敵意と憎悪に満ちた運動ではなかったはずです。特に、共同をすすめることは社会心理学の研究により、共通の目的を達成するために他者と手を結ぶと、「敵」「味方」の分断が消えることがわかっています。それが充分できなかった。
 有体に言えば、敵意と憎悪の運動への引き金を引いたのは「解放同盟」です。全国各地で暴力利権あさりを拡大するために、暴力的な「確認・糾弾」を濫用しました。その結果、国民の部落解放運動への共感スイッチは切れる寸前にありました。そうした危機を食い止めるために地域人権連は組織の全精力を注ぎこんで来たのです。
 こうした状況を国民はどう見ていたのでしょうか?「部落民同士の内輪もめ?」。
 しかし、これほど「解放同盟」の蛮行、違法行為が横行したとしても、驚いたことに、部落差別は着実に解消してきているのです。詳細な分析は別の機会に行いますが、この現象の背景には、社会構造として部落差別を残し支える必要がなくなったこと、様々な階層・分野において人権獲得運動が前進し、日本社会の基盤として人権意識が定着してきたことにあるようです。


「憎悪の種」をまく「人権・同和教育」をやめ、
「共同の教育」を​​進めよう

 「差別者」「被差別者」という区分けには「憎悪の種」が内包されています。その種の中には敵意が眠っています。当然ながら、それがすべて反社会的行動になるわけではありませんが、人間は「逃げ場のない状態に陥った時」に憎悪感情が増幅され、強い敵意となり、理性的感情を抑え込み他者への攻撃に打って出るのです。​
 子どもたちのように精神発達が未成熟な段階にあるうえに、知識や経験が乏しい場合、「人権・同和教育」(「解放学級」)は脳の​​​原始神経システム​を強化し、高等神経システムを弱め、科学的で知性的、文化的な生活意欲を弱めることになり、「極めて危険な教育」といえます。​
 心理学史の巨人といわれているスイスのピアジ(J.Piaget)は​生まれてから12歳までに恐怖、嫌悪・憎悪の対象を家族・親族、共同社会において教え込めば、立派な「差別主義者」の心理的基礎がつくられ、反対に愛情を注ぎ、家族・親族、共同社会を愛することを教えれば立派な「反差別主義者」の心理的基礎ができると指摘しています。
 今、子どもたちの教育で必要なのは、人間の理性を開花させるために「共同の種」をまく教育を創造していくことです。​共同の教育は複数の子どもたちが、対等・平等に同じ目的のために一緒に考え、行動し、責任を分担します。
 この思想は協同、協力、提携、連携、協賛、チームワーク、共催、共生に派生し、やがて平和へとつながるはずです。
  理不尽な殺人に心を痛めている皆さん。「部落差別」を解決したいと心から願う皆さん。一度、自分の心の中にある「憎悪の種」を見つめ、それを「共同の種」に変える努力をしてみませんか。


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参考文献
『ひとはなぜ戦争をするのか』A・アインシュタイン、S・フロイト・講談社
『感情はコントロールできる』G・D・マッケイ・創元社
『人はなぜ憎むのか』ラッシュ・W・ドージアJr・河出書房新社
『意識とは何か』苧阪 直行・岩波書店
『心理学のすべて』深堀 元文編著・日本実業出版社  

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