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消えゆく「部落民」―心のゴースト⑧​​​ ―京都「この世」「あの世」、「異界」めぐりの旅―​​​​​​

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​​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑧​​​
―京都「この世」「あの世」、「異界」めぐりの旅―​​​​​



はじめに


 お盆が終わりました。あなたはお墓参りに行きましたか?あの世から戻ってきたご先祖様は機嫌よくあの世に戻りましたか?新型コロナウイルスの影響でお墓参りできなかった人も多いようですね。でも大丈夫、霊魂はあなたが心に念じればすぐにあなたのもとに来てくれます。こんなことを想像できるのは高度に発達した脳(心)を持つ人間だけで動物にはできません。
 お盆に行われる行事はみんな脳でつくられたあの世とこの世の交流の「儀式」ですね。儀式は抽象的な想像を現実に変える方法なのです。ここではご先祖様は霊魂であり、実態のないものですが、墓前で拝礼する。仏壇の供物をささげ、線香を立てて経文を称えるという「儀式」を通じて、あなたはご先祖様を心の中で実態化するのです。
 でも忘れてはなりません。こうした「儀式」が存続してきた根源には愛するご先祖様を供養する思いだけではなく、「私はなぜ生まれ、死んだらどうなるのだろうか?」という自身への問いかけが存在しているからです。
 人間は古来より、生と死、この世とあの世、陰陽、極楽と地獄、古代より人間は肉体と魂は別のものとして認識し、肉体が滅んでも魂は存在し続けると考えていました。これが宗教や哲学上の二元論の始まりのようです。
 今回はお盆に因んで、お堅い人権論から少し離れ、京都市内をめぐり、人間の脳が創りだした「あの世」と「異界」という虚構の世界を歩くことで、これらの「世界」が人間社会の矛盾に喘ぎ苦しみ、安らぎを求める人民の脳の反映であったという側面と、支配階級が円滑に人民支配をすすめるための手段であったという側面を明らかにしたいと考えます。
 その目的は、人間が現実と虚構の世界の相互関係を理解し、時代に合わない非人間的な虚構を捨て去り、現実を観察し、理解することができるようになれば、どれほど素晴らしい未来が開けるかわからないと考えるからです。






​​​​巨大な脳が創りだした「あの世」​​​​​
人間はネズミより小さい哺乳類から巨大な脳をもつ哺乳類に進化した。

約7万年前に突然、言語能力を飛躍させ、対象を抽象化し、普遍化する能力を獲得した。その能力により神仏という虚構(物語)を生み出し、その虚構のもとで協力しあう社会を創りだした。
狩猟・採取時代の虚構は横に協力し合う社会を築く、先祖の霊や自然崇拝などであったが、農耕社会がはじまり農業生産力が発展し、余剰生産物が増加する中、富を独占・管理する支配者層が誕生する中、旧い虚構が利用され、軍事、法、宗教がリンクした国家という新しい虚構が創られ、多数の人々は忍従と隷属がしいられることになった。
人間の脳は理解できないことは想像力で補う。その想像力が生み出した世界こそが「あの世」と「この世」だ。 
脳は本能的に死を恐れ、死を回避しようとする。そのために常に生と死について考え本質を究明しようとしてきた。
仏教は「あの世」の虚構を示すことで、人々の「この世」での苦を緩和する道を開いた。それは、軍事力を背景にした刑罰よりも社会を安定させるのに効果があったようだ。

※すべてが始まったのはおよそ7万年前、認知革命のおかげでサピエンスが自分の想像の中にしかないものについて語りだしたときだ。その後の6万年間に、サピエンスは多くの虚構のウエブを織りなしたが、それはみな小さく局地的なものだった。(中略)それでも、先祖の霊や貴重な貝殻についての物語は、サピエンスにとって大きな強みだった。
(『ホモ・デウス』上・ユヴァル・ノア・ハラリ)
​​※詳しくは・2019年01月29日・「『サピエンス全史』から考える日本人の「穢れ」という認識」​ をお読みください。




​​嵯峨野「竹林の道」―「あの世」への道​​​
人間は生物、しかも高度に発達した脳を持っているため、死の恐怖は死後の世界を想像させ、「あの世」という虚構の世界を創りだした。 
その内容は信仰(宗教的立場)によって多少は異なるが天国(極楽)と地獄のニ元論が基本になっている。
宗教的指導者の多くは「あの世」を見てきたように説明するが、実際には「あの世」に逝って帰ってきた人はいない。だから「生まれ変わり」という儚(はかな)い夢にすがりつく宗教もあるのだ。

​​​​「竹林の道」を抜けると「あの世」​​​​
京都嵯峨野は古代、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められたとされている。平安遷都後には、風光明媚なため、天皇や大宮人たちの絶好の遊猟、行楽地だった。
光あれば陰があるのが世の習い、渡月橋や保津川などおなじみの場所から、一番京都らしさを感じられる「竹林の道」に入る。この道は化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)、愛宕念仏寺のある北嵯峨野に続く道でもある。
「竹林の道」の風音を聞きながら歩いていると化野念仏寺にたどり着く。嵯峨野はこの世から「あの世」にしらずしらずの間に入りこむように設計されているようである。

※私たちは生まれ育つ過程で、自分たちの世界を、慣れ親しんでいる既知の領域とそうでない未知の領域に分割するようになる。多くの場合、慣れ親しんでいる領域は、秩序づけられた友好的な世界、つまり「われわれ」として分類できる者が住んでいる世界である。
(『異界と日本人』小松和彦)








​​​​​​​​​​​​​​​化野念仏寺―身体は野に捨てられた​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
化野念仏寺は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺。
ここには「あの世」がある。化(あだし)とは、「むなしい」「はかない」という意味で、「生」が化して「死」となるという意味らしい。苔むした石仏・石塔が寄り集まっている景色はなぜか温かい。
古代、人間は死によって肉体は死滅するが霊魂は身体から離れると考えられていた。心が脳という物質の活動によって生み出されているということがわかっていなかったからだ。
身体は土に還るものであると考えていたので、人が亡くなると遺体を野ざらしにし、そのまま朽ちるに任せる風葬が主流で、遺体を鳥が啄んで処理するので「鳥葬」とも呼ばれた。 
京都には3カ所遺体が捨てられた場所(鳥辺野)があった。

​​​仏教が供養する心を儀式化した​​
寺伝によれば平安初期の弘仁2(811)年、真言宗の開祖空海が疫病が流行っていた都を訪れた際に、疫病の発生を抑える為に捨てられている遺体を土葬することを人々に教え、さらに、遺骨を埋葬しその上に1,000体の石仏と堂を建て、五智如来寺と称したのが始まりと言われている。
石仏が出来ると人はその前で手を合わせるようになり、多くの人の思いが込められると稚拙な細工の石仏にも魂が宿り、深淵な意味が与えられる。
石仏のまわりには石塔・墓石が集まる。ここから集団供養がはじまる。供物を供え、線香をあげ、経文を唱える。支配者に冨が集中するにつれて供養は儀式化し、盛大化する。それとともに仏教は支配者の庇護のもとで隆盛となった。
現在、境内には約8,000体という夥しい数の石仏・石塔があるが、これは明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。​​






​​​​​​​​供養の広がり―六波羅蜜寺​​​​
六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院。
死には「穢」というイメージが付きまとう。死は恐ろしいもの、悲しいものだから遠ざけたいという感情から「穢らわしい」ものとした。特に疫病による死体はその考えを強くしたはずである。だから、鳥辺野に捨てた。
10世紀に律令制度を施行するため細則「延喜式」(えんぎしき)には「穢」というものは、人と家畜の「死」と「産」、それに失火によって生じるものとある。
空想は儀式化され、現実化していったのだ。

​​​​​「穢れ」は死への恐怖から生まれた​​​​​​​
こうした文献を素直に理解すれば、皮多(後に穢多)という特殊技能民が忌み嫌われるようになったのも家畜の「死」を扱うことが発端であろう。
また、別の見方をすれば、荘園領主が特殊技能集団を固定化し、その生産物を独占化するためには都合のよいイメージでもあったのだ。

​​​浄土教―空也上人登場​​​
10世紀の半ばごろ、鳥辺野や鴨川の河原に打ち捨てられていた死体を供養する遊行僧が現れた。それが空也上人である。
穢れに満ちた死体、忌み嫌っていた死体を拾い集め、埋葬し、手を合わせて念仏を唱えたのである。
しだいに死体を供養しなければ極楽浄土にはいけないという来世信仰が一般庶民に広がりはじめ、土葬・火葬が広がり始めたという。
六波羅蜜寺には空也上人立像がある。鎌倉時代の作で、国指定の重要文化財である。

※釈迦はあくまでも生きている人間の苦を問題にしたのであって、死者を葬るということに関心を向けなかった。(中略)ただ、中国においては、仏教が葬式と結びついていくきつかけとなる出来事が起こっている。それが浄土教の流行である。
(『坊さんは葬式などあげなかった』島田裕己)
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​​​源信僧都―霊魂の行く先「あの世」​​​
人間は霊魂があると信じ込んだ。そして、霊魂は「あの世」に行くと信じた。そのことによって、人間は死という恐怖から解放されることを確信した。それから人間の脳は「あの世」とはどのような世界か空想をめぐらすことなった。
宗教の違いによって、「あの世」は様々な世界に描かれているが、仏教では如来の住む極楽浄土、永遠の責苦を受ける地獄が主なものである。
比叡山の源信僧都は『往生要集』をあらわし、極楽と地獄の姿を極めてリアルに描き出した。特に八つの地獄の記述は恐ろしいが、地獄での残酷な罰は現世の悪行に対応しており、自動的に「この世」の支配者の創りだした道徳的規範を宗教によって補完する役割を果たしているのだ。
地獄は現世の反映に過ぎないようだ。

​天皇・貴族―極楽を金で買おうとした​​​
源信さんの活躍した時代は、釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという末法思想の時代。さらに、この時代は天災・人災が続いたため、人々の不安は一層深まり、その不安から逃れるための厭世的思想として広がっていた。
芥川龍之介の『羅生門』には平安末期の京都の庶民の状態が描かれている。それによると、引き取り手のない死体を羅生門に捨てるという習慣ができていたので、羅生門の上には死体が転がっていたというのである。
実際に、飢餓や疫病で死んだ人の遺体は前記の「鳥辺野」や鴨川の河原に捨てられていた。
ひどいのは天皇・貴族である。人々の苦しみをよそに、収奪した冨を浪費し、極楽往生するために、阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営した。その代表例が宇治の平等院鳳凰堂である。
余程地獄に行くのが恐ろしかったようである。

※極楽はどこか遠くにある。見ることのできない国なのである。(中略)地獄は足下にあり、極楽は山のあなたにある。地獄は我々の住む六道の中にあるが、極楽はまったく別の世界なのである。
(『地獄の思想』梅原 猛)





​​​天皇・貴族―怨霊を恐れた​​
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。
天皇・貴族が恐れたのは地獄だけではなく、怨霊も恐れた。これは怨みを持った霊魂のことで、「あの世」にはいかず、現世に禍をなすことである。
平安時代における天皇・貴族は権力の争奪戦を続けていた。世は謀略と呪詛の時代であり、権力から追われたり、殺された者の怨念が祟りとなって、疫病、飢饉、天災を引き起こしていると考えられていたのだ。
菅原道真(すがわらのみちざね)は平安時代の貴族。当時は藤原氏の全盛時代であったにもかかわらず、醍醐天皇の信頼をえて右大臣にまで昇りつめたが、藤原氏の反感を買い、謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ左遷され現地で没した。 

​​​怨霊は神様にできる―北野天満宮​​
道真の死後、京都では天変地異が起こり、藤原氏では相次いで有力者が病死し、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王までもが突然死した。『日本紀略』はこれを道真の恨みがなしたものだとし、道真が怨霊と化したと考えられた。
支配者といえど人間。良心の呵責(かしゃく)というものがあったようだ、悪事を働けば働くほど深い悩みとなり、偶然に生起する天変地異も怨霊の仕業となるのだ。
御所の清涼殿に落雷があって、天皇の恐怖は絶頂となり、菅原道真の祟りを収めるため北野天満宮が建立され、ここから、雷神を信仰する天神信仰が全国に広まり、菅原道真が優れた学問の才能を持っていたことから、天神は学問の神様として信仰されるようになったのだ。怨霊もご神体として祀り上げれば神様になるのである。
虚構は都合よく創りかえられる。

※つまり妖怪と人間が友好関係を取結び、結果的に人間の制御下においてしまうわけである。祀り上げられた「妖怪=神」は、その後の人間の処遇に満足すれば、彼らの守護神として働くことになるだろう。そう考えてきたのが日本人である。
(『異界と日本人』小松和彦)







​​​​晴明神社―「異界」の鬼を退治する​​​​​
晴明神社は、京都市上京区にある。安倍晴明が祀られている。
境内には復元された一条戻り橋があり、その脇に愛嬌のある式神(晴明の手下の鬼)がいる。晴明は921(延喜21)年に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がない。
ご存知のように晴明は陰陽師である。陰陽師は現実の社会において病気その他、災厄をもたらすものは「鬼」と表現し、その害を取り除く秘術を身に着けたものを指した。
秘術の中には「命の移し替え」(『金烏玉兎集』)という死んだ人間に生きた人間の命を移しかえるといものがある。
寛弘2(1005)年に晴明が亡くなると、天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4(1007)年、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建されたという。
この神社に行くと、当時の天皇・貴族たちがいかに怨霊の存在を信じ、恐れ、陰陽師たちを頼っていたかがよく理解できる。
支配者には支配者としての深い心の闇があったようだ。

※彼ら(陰陽師)は現実の世界において、病気その他の災厄をもたらすものを「鬼」と表現し、その害を未然に防ぐために定期的に祓(はら)いの儀式をしたり、あるいはまた病気などの具体的な形となって発現している災厄を、「鬼」と表現して祓い落としたりすることを仕事のひとつとしていた。
(『異界と日本人』小松和彦)





​​​​​​安倍清明・怨霊を鎮める陰陽師​​​
​​​​​​​​人間の空想力は「あの世」と「この世」をつなぐ「異界」を創りだした。
「異界」とは神や妖怪などが人間界に来るときに通過する世界であり、人間が「あの世」に行くときにも通過する中間の世界である。

​​​ 「この世」―― ​ ​異界​ ​​ ​――​​​ ​​​​​​「あの世」​​​​​​​​

この「異界」に住む者は人間と「異界」に双方の性格を持つものが偶像化される。例えば現在で言えば『ゲゲゲの鬼太郎』、平安時代では安倍晴明である。晴明の母親は狐であったという伝説がある。
陰陽師は占術と呪術を使い祟りを鎮めた。その陰陽師界のスーパースターが平安時代中期に活躍した清明である。
晴明の能力については様々な記録が残されている。『御堂関白記』によると、寛弘元年(1004年)7月には深刻な干魃が続いたため晴明に雨乞いの五龍祭を行わせたところ雨が降り、一条天皇は晴明の力によるものと認め褒美を与えたことなどが記されている。
平成以降、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、主人公である安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。
今では漫画・アニメーションの世界であるが、科学や医学が未発達な社会においては秘術こそが頼りであった。勿論、陰陽師たちが詐欺師集団であったというわけではない。彼らは天文、気象、疫病などについて伝承や記録から学び、社会や自然観察を通じてある程度の基礎知識はあったようである。​​​






​​​六道珍皇寺-現世と「あの世」の入り口​​​
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。
この寺は小野篁(おののたかむら)が冥界(「あの世」の入り口)に通ったと伝わる井戸で知られている。
人間の空想力はすごい。いよいよ生身の人間が「あの世」と「この世」を行き来するという物語を創り上げたのだ。
この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥辺野の入口にあたり、現世と「あの世」の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。
鳥辺野が京都の葬送地として大規模化していった背景には仏教が説く「西方浄土」が大きく関係していたいわれている。京都の東に位置する鳥辺野から西の彼方にある極楽の地「西方浄土」へ向かうという願いが込められていたからという説もある。
ただ、平安京の頃は身分ある者しか墓を造ることが許されず、火葬もまた費用がかかることから、庶民のほとんどは風葬だったので、死体が捨てられた場所でもあったため、生と死の境界線と考えられたのである。

※死者の名前を読んで死者の霊魂を呼び戻す場所は、屋根の上が多かったが、井戸も使用された。井戸の中をのぞきこんで、名を呼ぶ行為は、地下に黄泉の国があると考えられていたことと結びついている。

(『呪術探究―死の呪法』豊嶋泰國)








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​​​​​小野篁―「あの世」と「この世」を行き来する​​​​​
小野篁が生まれたのは平安京遷都(794年)そのわずか8年後の802年である。
平安時代が始まったばかりのころで、この篁が有名なのは冥界の冥官、閻魔大王の補佐をしていたことである。
小野篁の冥界の冥官としての逸話は色々とあるが、なかでも有名な話は、小野篁の恩人の藤原良相(ふじわらのよしみ)が病気で他界して閻魔大王の裁きを受けている時に小野篁が閻魔大王に掛け合って藤原良相を生き返らせた話。
昼間は朝廷で仕事をして、夜は冥界でも閻魔大王の隣でバリバリ仕事をしているからすごい。

​​​許されぬ恋が道をひらく​​
篁が何故冥界に行くようになったかはあまり知られていない。契機となったのは愛する異母妹が死んでしまい、嘆き悲しんでいる時に妹の幽霊が現れ、幽霊との関係が続く中、幽霊と一緒に「あの世」に行くようになったという話しである。道ならぬ許されぬ恋がこの物語の背景にあったようである。
篁が愛する妹が亡くなった時に詠んだ歌がこの歌です。

泣く涙 雨と降らなむ わたり川 水まさりなば かへりくるがに
      (『古今和歌集』)​


篁のこうした逸話は『群書類従』の「小野系図」にも篁は「閻魔第三の冥官」と書かれている。

すごいですね。この世からあの世に珍皇寺の中庭にある井戸から行き来する人間が存在したのである。

※地下に通ずる井戸は現世と他界と境界のシンボルでもあった。また仏教説話的には三途の川とも関係しているだろう。死者が三途の川を渡りきる前によびもどさなければならなかったのである。
           
(『呪術探究―死の呪法』豊嶋泰國)
​​​​​​​虚構は社会の発展に対応する​​​​
今回は封建社会の人間の脳が生み出した虚構について考えてみました。
人間の想像力の広がりのすごさと、その想像した世界を構造化していく能力に驚きますね。
「この世」と「あの世」だけでなく、「異界」までを創りだした。
「異界」から死んだ人間が怨霊となってこの世に禍をもたらすと、それとたたかう陰陽師が登場する。最大のスターは安倍晴明だ。これはもう妖怪・アニメ映画の世界である。それらが京都の名所・旧跡にまつろう物語となっているから面白い。しかし、これは無知蒙昧が生み出した妄想ではなく、社会の発展段階に根ざした人々の想いのこもった虚構でもあるのだ。

虚構を破壊しつつ科学は発展した​​​

そうした虚構が支配する中で、科学は山奥に端を発する源流が大河になるが如く、人々は生存のために収穫量を増やすという一念をもとに生産技術の改善と改良を推し進める実践を続け、科学的探究心を成長させてきたのである。
科学的探究心は長い年月を経て医学や生物学、遺伝子学、ITやAIを発展させ、移植だけでなくクローン、IPS細胞まで創りだした。
新型コロナウイルスの世界的流行は宗教や信仰が無力であることを証明した。教会やモスクではクラスターの発生を食い止められなかった。また、日本の疫病を退散を願って続けられてきた祭祀はほとんど「感染拡大阻止」という名目で中止となった。
科学は完全に勝利したのである。
しかし、忘れてはならない。「この世」と「あの世」、「異界」がいかなる空想と想像による虚構であったといえども、その時代の状況、その状況から生み出された人間の苦悩や悦びが反映していることを。

※科学の勝利はあまりにも完璧だったので、宗教についての私たちの考え方そのものが変わった。私たちはもう宗教を農業や医療とは結びつけない。
多くの狂信的な信者でさえ、今や集団健忘症にかかっており、伝統的な宗教これらの領域の支配権を主張していたことを忘れがちだ。
        (『21世紀Lessons』ユヴァル・ノア・ハラリ)



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