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あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか? 人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる

​​​​​​ あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか?
      人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる



​​​市街地の大木 神戸市長田区にある長田神社のクスノキ。樹齢は不明だが、周辺住民に伝承されている話しによると300年と言われている。​​



 
 はじめに 

 今、差別意識という言葉の意味が混乱している。混乱の根源は日本政府にあることはいうまでもない。
 『人権教育および啓発の推進に関する法律』(2000年6月施行)にもとづき、人権教育・啓発に関する基本計画」(「人権教育・啓発計画」)を策定した。それにともないすべての自治体においても「人権教育・啓発計画」を策定している。
​ その共通した趣旨は「国民一人一人の人権尊重の精神の涵養を図ることが不可欠」ということであり、人権侵害を発生させる主な原因は「国民の人権尊重の精神が低い」ことであり、それが「差別意識や偏見にとらわれた言動」につながっていると明記しているのである。​
 国民の「人権尊重の精神が低い」という意味は? 
​ それは人権尊重に対する心、意識、気構え、気力、理念が脆弱であるということであり、「人権尊重社会を精神力で構築せよ!」ということのようだ。まるで戦前の軍国主義国家のスローガンのようで全く科学性を感じられない。​
 さらに、この法律には致命的な欠陥があるのだ。それは精神を形成する意識および差別意識や偏見とは何か?差別意識や偏見が発生するメカニズムとは何か?が明確にされていないことだ。 
​ そこで今回は私たちの顧問、ブラ猫先生にサンマ二匹を講師料にして「差別意識」の本質についてお話しを聞いてみた。以下はブラ猫先生のお話しを要約したものである。​

           
​​​ブラ猫先生​ は私たちの顧問だ。クスノキの根元の空洞に住み着いている。年齢は不詳だ。「ブラ猫先生」の由来はいつも「ブラブラ」しているからという説と、「ブラク」に生まれたからだという説があるが、どうでもいいことだ。​​



1、意識と実態の関係―いちご大福はいちご大福である

〇部落差別が実態概念だという理由
 例えばいちご大福はいちごと大福がひとつになったもの。
 分けるといちご。
 分けると大福となる。
 そのままでもおいしいが、分けるといちご大福とはいえない。
 わけると本質が変わる。​分けるな危険。​

​〇部落差別を意識と行為にわけると部落差別にならない​
 差別意識のない差別行為は存在しない。
 差別行為がなければ差別意識は存在しない。
 差別意識を差別的記憶と混同してはいけない。

​〇部落差別の存在は実態でしか確認できない​
 実態がないということは差別意識もないということだ。
 実態が減少しているということは差別意識が減少しているということだ。

​◯部落差別に関する意識調査は必要がない​
 差別意識は実態である差別事象の発生件数に一致すると認識すべき。
 差別事象は「氷山の一角」でなく流氷である。流れ流れて溶けてゆく。
​※意識調査や実態調査に反対しながらそれを資料にして「差別解消」の証明にするのはもうやめよう。​

 差別の実態から差別意識だけを切り離して肥大化させていくとどうなるか考えてみよう。このまま差別意識のみを限定して人権教育・啓発や人権意識調査が継続されていくと、実態と差別意識の乖離が生まれ、新しい部落差別(ゴースト)を生む危険性があるのだ。
 さらに意識とは何かについて深めてみよう。

​​●詳しくは当ブログ・2019年04月16日「部落に関する意識調査の原理は『オレオレ詐欺』に似ている」を参照を。​​



​イチゴ大福​ だれが創作したかはしらないけれど、果物と餅を合体させるとはすごい発想だ。でもイチゴと大福を分けるとイチゴ大福ではなくイチゴと大福となる。
イチゴ大福の好きな人よ。分けるな危険。​​​​



​2、意識とは何か?―差別意識は個別的なものである​

 差別とは法(国際法・国内法)により保障され、政治的・社会的にも承認されている基本的人権が侵害される、もしくは侵害された状態に置かれていることである。
​ このように差別の概念はほぼ明確にされているが、差別意識の根源となる意識の問題については長年にわたり宗教、哲学、心理学、社会心理学などにより探求されてきたが、依然として明確に定義されていない。その理由は意識が「心」「心理」などとも表現され、人間の存在の根幹にかかわる特別なものであると考えられてきたためである。​
 プラトンは(BC428-348)は人間を霊魂(心)と身体(肉体)の二つに分け、アリストテレス(BC384-322)は、心は心臓の働きであると考えた。デカルト(AC1589-1650)は心は身体(物質)とは別に存在するという二元論により、心と世界の関係を科学的に認識しようと試みてきたが、産業革命を推し進めた科学技術の発展が哲学にも多大な影響を与え、カント、ヘーゲル、マルクスを経て存在と意識を統一的に認識することが主流となった。さらに、脳科学の発展は意識は脳という物質の働きの産物であり、存在と認識は分割されることなく、脳内の活動によって統一的に行われていることが証明されているのだ。
 しかし、不思議なことに二元論は今もなお存在しているのだ。人権教育・啓発においては、差別は「心理的差別」(心)と「実態的差別」(実態)の二元論に基づき行われ、「実態的差別」は減少してきたが、「心理的差別」は広く残存しているとし、教育・啓発活動が展開されているのだ。
 いまや意識と実態は分離できないことは明白だ。 
 ゆえに差別事象が発生すれば、その事象に「差別意識」が存在しているとしても、その「差別意識」が社会全般を支配しているという根拠にはならない。極めて個別的なものと考えるべきなのだ。
 ネットで「地名総監」を売る奴がいても、みんなが売りたいとは思っていないはずだ。

​​●詳しくは当ブログ・2019年06月05日「差別とたたかえる人、差別をもてあそぶ人 ​-若一光司さんと長谷川豊さんの人権認識の落差を検証する-」を参照を。​


        
​​ルネ・デカルト​(仏・1596年―1650年)フランス生まれの哲学者、数学者。合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。考える主体としての自己(精神)とその存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり …」は有名。​​



​3、意識とは何か?― 二元論では部落差別は解決できない​​

​ 今日の脳科学の発展は意識は脳の活動であることをほぼ突き止められている。意識は脳という物質の働きであり、生きるために必要な情報を収集し、分析し、適応するために最善の方法を選択する情報処理機能なのである。​

※「意識とは何か。それは脳の機能である。これは馬鹿みたいな答えだが、それしか言いようがない。意識の問題がこじれて唯心論や唯物論が生じるわけだが、どんなことを論じるにせよ、ものごとには前提というものがある。」『唯脳論』(養老孟司・ちくま学芸文庫)

※意識はいわば志向性を持つ高次な脳の情報処理の一様式である。意識を考えるとき、われわれの悪い癖は初めに辞書を持ちだして、それが持つ多様で重層的な意味領域に幻惑されてしまいホールドアップをかけられてしまうことである。『意識とは何か』(苧阪尚行・岩波科学ライブラリー)

​ 脳科学の視点からいえば部落差別意識とは脳に集積された情報の一部ということであり、その情報が誤っているために部落差別が発生するのである。情報は社会的な価値判断と個人的価値判断が相互に関連し合い利用されるから、部落に対する誤った情報を信じる人が多ければ部落差別は数多く発生するし、情報を信じない人が増えれば部落差別は減少していくのである。​


​4、無意識と意識―差別意識の正体は記憶​

​ 意識が人間が生存するために脳が行う情報処理の機能であるとすれば、差別意識は誤った情報に基づく脳の活動の一部にすぎないことになる。コンピューターでは誤った情報は正しい情報を上書きすれば消去できるが、人間の脳は「誤った情報か?正しい情報か?」を判断する基準がなければ情報を修正できないから厄介なのだ。​
 人間の意識を定義すると、無意識と意識に区別される。無意識は五感にかかわる感情であり、音楽や絵画に感動する。リンゴを食べておいしいとか、甘ずっぱいとか、そういう生々しい感覚のことを指す。いわゆる「覚醒感覚」というべきものである。その本体は無意識なのだ。
 意識については次の通りである。
​​①判断できること​​
 蛇は怖いという感覚的なものから、毒蛇と毒のない蛇を区別できる。りんごを色や形を見るだけで甘さや酸っぱさが判断できる。
​②表現を選択できる​
 意識の中で最も顕著な例は「言葉」だ。「意識」の中でかなりランクが高い。意識は少なくとも、短い時間、情報を脳に取っておかなければならない。「短期記憶」が働いている。「ワーキングメモリ」(working memory)。
​③意識は選択するための根拠を持っている​
 その根拠というのは必ず「過去の記憶」に存在する。過去の経験によって脳の状態が変わる。これを「可塑性」という。
※言葉というのは実はそれぞれ単独で存在しているのではなく、脳の中で、ある単語とある単語は内容が近い、ある単語とある単語は意味が結びついている。というようにグループ化されて、カテゴリー化されて、連合されて存在している。『進化しすぎた脳』(池谷祐二・朝日出版社)
 人間は誤った情報も正しい情報も記憶するのだ。

​​●詳しくは2018年01月29日「消えゆく『部落民』―心のゴースト③​​​​​心になぜ差別・偏見というゴーストが生み出されるかを探究する」を参照を。​​​ ​​​

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意識と記憶 意識は情報処理をするための機能である。そのためには記憶機能が必要なことはいうまでもない。​
友人と食事に行ったが料理はまずかった、おいしかったという感覚記憶とともに、友人のお金を建替えたという短期記憶が結びつく。それとともに前にも貸したが返してもらってないという長期記憶がよみがえり、友人と喧嘩になる。
※プライミングとはあらかじめある事柄を見聞きしておくことにより、別の事柄が覚えやすくなったり、思い出しやすくなることをいう。​​



​5、意識の変革―差別記憶はつくられる​​

 ある親しい元教師(88歳)が話してくれた。「小学生の時、仲のいい友達を家に連れてきた。帰った後、母親から『もうあの子とは遊ぶな』」と言われた。その友人は「部落」の子だった。母親のその言葉に衝撃を受けた。今でも記憶に残っている」。
 言葉は愛する、信頼する人の言葉ほど強く記憶に残るらしい。差別意識などはもともと存在していない。意識が差別意識を持つのは差別的な言葉を記憶するからである。
 そこで、差別・偏見の認識がどのように形成されるか、心理学史の巨人といわれているスイスのピアジェ(J.Piaget)の4つの発達段階に沿って説明する。
●誕生から2歳(感覚運動期)
 感覚と体を使い外の世界を知っていく。
​ ※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪の対象を感覚的に身に着けていく。​
●2歳から7、8歳(前操作期)
 頭の中で考えることが出来るが自己中心的。心の中と現実が混同する(アニミズム)。
​※目の前にいなくても愛情、恐怖、嫌悪、憎悪すべき対象を自己流に描けるようになる。​
●7、8歳から11歳、12歳(具体的操作期)
 具体的なことは論理的に考える。
​※愛情、恐怖、嫌悪、憎悪に対する感情について自己説明ができるようになる。​
●11、12歳以降(形式的操作期)
 抽象的なことや一般的なことを考えることが出来、実際に目の前にいなくても、言葉だけでもイメージすることができるというのである。
 ​以上のように差別・偏見は言葉によって形成され、脳に記憶されるのだ。だから差別・偏見は生まれつき持っているものではなく、持たされたものなのだ。
 前記の元教師は衝撃を受けたが、人を差別することに疑問を持ちはじめたという、その理由は、家には連れてこれなくなったが学校では友人関係が続いていたからだという。そして、疑問は科学的な知識を得ることにより解かれ、与えられてきた記憶が誤りであることに気づいたという。
​ 友人関係と科学的知識が与えられた記憶が誤りであると認識させたのである。​

​​​●詳しくは2019年10月10日「私たちは人権社会を実現すると称して「憎悪の種」をまいてはいないか―京都アニメーションの事件現場を訪ねて」を参照を。​ ​​

          

意識は脳活動の総体 ​脳は進化の過程で様々な機能を獲得した。特に前頭葉は意識を司る中心機能として位置づけられるが、意識活動は脳部位全体が相互関連することで行われる。
見る(後頭葉)―思考する(前頭葉)―判断する(頭頂葉)―運動する(前頭葉)という活動を一瞬のうちに行う。当然ながら組み合わせは無数にあるのだ。​​


​​6、意識は暴走する―「人権教育・啓発基本計画」​​
 
 意識は人間の生存を維持するために広い活動を行うものであり、差別意識は意識活動の一部にすぎない。むしろ、差別意識は差別記憶である。差別記憶は多様でありながら個別的であるから、基本的には一般的な教育・啓発はなじまない。にもかかわらず、「人権教育・啓発基本計画」は国民の差別意識をなくすと称して教育・啓発活動を進めている。しかも、「結婚差別、就職差別、忌避」などという事例を引き合いにして、差別者、被差別者を問わず恐怖感情を煽っているのだ。 
 これははじめて子どもたちが同和教育を受けたときの思い出を聞くとよくわかる。異口同音に「教室が暗かった。すごく緊張した」と言うのだ。こうした恐怖感情を広げることは差別記憶を強めたり、差別記憶のない人々にも差別記憶をうえつけることになるのだ。
 その結果、実態からかけ離れて差別意識は肥大化し、「ネット差別」にみられるような妄想的な差別書き込みが発生してくるのである。
 私は政府や自治体による人権教育・啓発は必要だと思っている。それはあくまでも目的と範囲を限定して行うべきであると主張してきた。今回のコロナウイルス禍で発生した差別は未知のウイルスに対する恐怖感と無知が生み出したことは明白である。こうした疫病が蔓延した時、自主的な学習活動とは言ってられないはずである。
 部落差別に対する人権教育・啓発については実態から見て教育・啓発の目的はすでに達成されており、時代遅れの二元論に基づく教育・啓発を継続していくことは新しい差別(ゴースト)をつくり出す結果になるものと考える。
 勿論、一年を通じて部落差別が一件も発生しない最終段階に到達しているとは考えていない。実態に即した対応は必要である。実態に即した対応とは以下の通りだ。
​①部落差別に関わる人権意識調査は止めること​
「意識調査は止めろ」と主張しながら意識調査を引用して差別の解消を証明するのもやめるべきだ。
実態を見れば差別意識の状況はわかるはず。
​②部落差別の実態調査はやめること​
 法務局、地方自治体に寄せられる人権相談の内容を分析すれば実態把握は充分だ。
「部落・部落民」と一般国民を区別して実態調査を行うことは日本国憲法の人権条項に反する行為であるとともに国民の間に分断を持ち込む。
​③人権侵害を受けた国民の訴訟費用を支援すること​
 国および地方自治体は差別を受けた国民が賠償訴訟を起こしやすいように支援制度を拡充することだ。
 コロナ禍の中でも悪質な人間は出てくる。差別者も同じだ。そんな奴にはたっぷりと損害賠償させるのが一番の薬だ。

●詳しくは当ブログ・2019年07月17日「消えゆく「部落民」―心のゴースト⑥ つくられた歴史認識―こわされる歴史認識」を参照を。​

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​ブラ猫先生はノラ猫仲間からの信頼も厚い。また、難しい話の時は登場していただくことにする​


◯参考文献
 『進化しすぎた脳』(朝日出版社・池谷裕二)
  『心は何でできているか-脳科学から心の哲学へ』(角川選書・山鳥重)
  『意識とは何か』(岩波書店・苧阪直行)
  『唯脳論』(ちくま学芸文庫・養老孟司)
  『脳のしくみ』(新星出版社・中村克樹監修)
 『世界十五大哲学』(php・大井正・寺沢恒信共著)
  『哲学のことが面白いほどわかる本』(中経出版・浜田 正)
  『偏見や差別はなぜ起こる』(ちとせプレス・北村英哉・唐沢穣編)他。
  



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