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消えゆく「部落民」―心のゴースト⑨​​​​​​​​​貧困と部落差別の深い関係​ 国民もだまされた「同対審答申」の魔術

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​​​消えゆく「部落民」―心のゴースト⑨
​​​​​​​​​貧困と部落差別の深い関係​

​国民もだまされた「同対審答申」の魔術​




​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ 謹賀新年 ​​​​​​​  におしえてもらう部落問題 ​​​​​​​​​
私たちのブログの発信者はノラ猫軍団だ。
なぜ、生物の進化の頂点に立つホモ・サピエンス様に「部落差別はいけない」などと、ノラ猫に説教させるのかって?
人間ならば「人間が人間を差別してはいけない」という簡単な真理は理解できるはず。さらに、封建社会に生まれた「部落差別」の思想は現代においては「残りカス」だ。それを残し続けることは社会発展にとって弊害となるのだ。
しかし、その「部落差別」を少数だがもてあそぶ人たちが存在し、それを取り上げ、「部落差別」の本質や解決方法を知らないくせに、知ったかぶりして、大げさにバズらせようとする運動団体や報道機関が未だに存在していることが不思議だからだ。
そこで私たちは人間が説得してもだめなこうした人たちの説得は猫たちにお願いしようと丸投げしたのだ。
このノラ猫軍団、人間ではないだけに人間の本質から「部落差別」を科学的にとらえていて面白いと大好評だ。
今年もがんばってもらおう。​​​​​
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はじめに
 
​ ネット上では「部落」​(かつて部落差別の対象にされた地域)​が今なお貧困な状態に置かれているというイメージが意識的に創られているようですね。その例がネット上に羅列されている「部落」といわれる画像です。それらはほとんどが劣悪な住環境におかれていた過去のものであり、大きく変化している現在の「部落」の姿ではありません。依然として部落差別=貧困というイメージは振りまかれているのです。​
 これは国民の耳目を集め、部落問題に関心を持たせ同和対策の必要性を理解させるために大量に振りまかれた旧い情報が更新されず残存しているか、部落差別の実態を誤認させる目的で意識的に発信しているかのどちらかでしょう。
 「部落解放同盟」(同和派)と一部自治体はこのイメージに乗っかかり、「部落差別解消推進法」の目的を都合よく解釈し、人権条例を制定し、人権意識調査だけでなく生活実態調査まで行わせ、「部落」の貧困問題を解決するという名目で「部落」同和対策の継続、あるいは復活をしようとしているのです。
 あくなき経済成長の追求は環境破壊をすすめ、多発する気候変動による災害の多発は確実に人類の生存を脅かし、新型コロナによるパンデミックは国民の貧困を深刻化させつつあります。こんな中で、「部落」だけが「同和対策で貧困を解決する」などといえば国民のヒンシュクと怒りをかい孤立することは明白です。
 大げさにいえば人類が危機に直面する中、「部落差別」などという脳の染みにとらわれ、特別対策で貧困を解決するなどという思想に意味があるかどうか、明確に答えを出すべき段階にきているのではないでしょうか。
 今回はあまり議論されてこなかった部落差別と貧困の相互関係について問題提起させていただきますので、ぜひご一緒にお考えください。


​◯いったいあとどれくらい経済成長すれば、人々は豊かになるのだろうか。経済成長を目指して、「痛みを伴う」構造改革や量的緩和を行いながら、労働配分率は低下し、格差は拡大しつづけているではないか。そして、経済成長はいつまで自然を犠牲にしつづけるのだろうか。​
(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書) ​








​​​はじまりは天平時代​ 

信楽焼は滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、狸の焼き物が有名ですが、天平時代に生まれたと言われる日本六古窯の1つで、とても歴史は古いのだ。

はじまりは聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を作る時に、瓦を焼いたのが始まりと言われ、信楽の外れに遺跡がある。
信楽焼きの特徴は特有の土味を発揮して、温かみのある火色(緋色)の発色と、自然釉による景色が人気である。国内だけでなく世界的にも高い評価を受けているらしい。
そういえばNHKの朝ドラ「スカーレット」では火鉢が製作されていたね。​​

​​1、「同対審答申」の貧困規定は誤りだった​​

 同和対策という歴史的事業は1965(昭和40)年8月に出された『同和対策審議会答申』(「同対審答申」)によってはじまりました。この時期は日本の高度経済成長期にあたり、経済学者アダムスミスが描いたように経済成長により生みだされた富は最下層の人々にも及ぶという成長賛美の時代の産物でもありました。
​​ 「同対審答申」は貧困を「同和地区における人口、住宅の過密性、道路、上下水道、居住形式など物的環境の荒廃状況はきわめて顕著である。それらは、職業選択の制限されていること、通婚圏の狭いこととは無関係ではない。(中略)そこには『差別』が原因となって、『貧困』が同居している。同和地区がしばしば一般低所得地区と同一視されることがあるが、それは必ずしも正しい認識ではない」(2・同和問題の概観・同和問題の理解)と、「部落」における「貧困」の原因は「部落差別」であり、一般の貧困とは区別されると規定しました。​​
 どのような審議を経てこのような規定になったかについては紙数の都合で書けませんが、この規定には以下の誤りが内包されていました。
①「部落」の貧困の要因のひとつに部落差別があることは事実ですが、根本原因は資本主義の利潤を増やすための経済成長にあることを無視したことです。そのことは今日、部落差別が大きく解消してきているにもかかわらず貧困がますます深刻化している現状を見ればわかります。
②貧困を「部落」と「一般低所得地区」とに対立化させたことにより、「部落」を特別な貧困地区として位置づけ、部落の貧困を特殊化しました。一方で、国民の貧困を解決をするために優先すべき一般行政水準の引き上げを先送りにしました。
​③「部落」の貧困の根本原因を部落差別としたことにより、部落差別と貧困を同時的解決することが国や自治体の責任となったことです。実際にも、「同対審答申」に基づいて制定された同和対策事業特別措置法(1969年)では、部落差別の解消は国および自治体、国民の責務であることを明記しているのです。​
 こうした誤りは、「部落住民」に貧困の根本原因は部落差別であること、それを解決する責任は国および自治体、そして、差別者である国民にあるという認識を持たせる結果となったのです。
 この認識は、それまでの「部落住民」の一部にあった憎悪感情と結合し、「部落」に対する特別対策は行政や一般国民による積年にわたる差別の代償であるという「部落差別代償論」などという「心のゴースト」まで生み出したのです。


​〇どの個人もできるだけ自分の資本を国内の労働を支えることに用いるように努めその生産物が最大の価値をもつように労働を方向づけることにも努めるのであるから、必然的に社会の年間収入をできるだけ大きくしようと努めることになる。確かに個人は、一般に公共の利益を推進しようと意図していないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。(中略)個人は多くの場合にも、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。                   ​​​​​
​​(アダムスミス『国富論』四編二章)​​



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​​たぬきの置物信仰​​ 

はじめて造られてからわずか85年。その間に、この狸には相当多くの御利益という付加価値がつけられた。
笠・目・口元・お腹・お酒・大福帳・しっぽ・金袋の計8箇所には、それぞれ意味がつけられ、それぞれが福を呼んでくれそうだ。
例えば狸の笠は思いがけない災難や悪事から笠がまもってくれるそうでだ。酒を入れるとっくりは漢字では「徳利」と書くので商売繁盛につながるというのである。
「ほんまかいな?」ではあるが、狸の顔を見ると嘘でもうれしくなるから不思議だ。​​​



2、「同対審答申」が創りだした分断の思想

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「同対審答申」の時代においても、「部落」は単一の階級ではなく、少ないとはいえ資本家もいれば、労働者も商売人もいました。さらに、高度経済成長期でもあったため、混住や一般地区との婚姻も進み、ゆっくりした足取りではありましたが、「同対審答申」の規定するような単一の身分の集住地ではなくなりつつあったのです。そうした流れを食い止める形で、一般の貧困と「部落」の貧困は区別されたのです。
 その結果、「部落」は新しい思想を強制されることになりました。その思想とは「同対審答申思想」ともいうべき分断の思想でした。
​①「同対審答申」とその後の同和対策は同和対策に対応するための新しい共同意識を生み出した。​
 高度経済成長の中で、「部落」は急激な階層分化が起こり、都市においては転入と転出が急激に進み、身分的紐帯に基づく共同意識が衰退しつつありました。同和対策はそれを押しとどめる役割を果たしただけでなく、同和対策推進とそれに依存する新しい共同意識を生みだしたのです。それが証拠に、同和対策が終結した「部落」では部落解放団体だけでなく、自治会をはじめ住民団体は急速に衰退しているのです。
​②「部落」の貧困の根本原因が部落差別とされたため敵は差別者のみになってしまった。​
 その結果、「部落民以外は差別者だ!」という被害者感情を煽る理論が貧困者の心をとらえ、過激な確認・糾弾行為を横行させただけでなく、「部落差別代償論」の要因となったのです。
​③行きすぎた貧困対策は逆差別を生み出した。​
 貧困を一日も早く解決するという大義名分のため、「部落住民」だけでなく、人権認識と民主的運動の未成熟な段階にあった部落解放運動までもが囲いこまれてしまったため、行き過ぎた同和対策、運動団体や運動系の研究団体への過度な補助金、市職員の選考採用などが全国的に行われ、国民的批判を受ける結果となったのです。


​◯往々にして、差別主義は被差別者の側にも起こりうるのです。差別主義は、現実の、または架空の差異を普遍化しまして、それを価値づけし、これを他への攻撃や他とは違う自己の特権のために利用する時に起こるものです。​
​(榊利夫『国民的融合論の展開』大月書店)​​
 





​​​たぬきは平和的で家族的​​

狸はオスとメスの番(つがい)で子育てし、家族をつくる。雑食性のため食料を確保するのにあまり困らず、人間の近くにいても人間の生活領域には入らず平和的に暮らしてきた。

しかし、高速道路で「たぬき飛び出し注意」という標識を見つけることがある。また、都会でも森や緑地の多い場所では交通事故で死ぬ狸が多いらしく、狸を危機にさらしているようだ。
長編映画『平成狸合戦ぽんぽこ』(高畑勲監督・スタジオジブリ作品)は住処を人間の乱開発で失う狸たちが人間に対し抵抗を試みる様子が描かれている。
狸が住めなくなるということは自然はがなくなり、やがて人間が破滅的な気候変動を迎えるということだから、おあいこだ。​​



3、貧困の定義と「部落」の状態
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 まず貧困について考えてみましょう。貧困は簡単に言えば低所得で生活水準が低いことを指します。さらに、貧困の定義は相対的貧困と絶対的貧困に分けられています。
 相対的貧困は、主に先進国における貧困といわれ、その国の中で特に所得が低く、平均的な生活がおくれない状態のことを指し、テレビやクーラー、車などを所有し、肥満で成人病になって医療を受けていても、その国の平均以下の所得であれば貧困であるとされるのです。日本では一般的には生活保護が貧困のボーダーラインとして認識されているようですが、生活保護以下の低年金、非正規労働者の低所得などが大きな問題になっており、曖昧な状況となっています。
 絶対的貧困とは、開発途上国のように飢餓に苦しみ、充分な医療を受けることができない人たちのように日常的に人間として最低限の生存を維持することが困難な状態を指します。
 かつて都市における「部落」は「植民地以下の劣悪な住環境および生活状況」とさえ言われるほど、歴然と、一般地区との生活および住環境に格差が存在していたので絶対的貧困の範疇にありました。しかし、日本国憲法に基づく基本的人権意識の定着が進み、「部落」に対する差別が急速に解消に進んだこと、同和対策による特別対策(特に大量の公営住宅の建設)と「部落住民」の自立的努力が相互作用し、「部落」の住環境、教育、就労状況は大きく改善されてきたため、今日では「部落」は絶対的貧困から脱しており、「同対審答申」の指摘したような画一的な貧困状態にもありません。もはや部落差別による貧困という「同対審答申」規定は破棄すべき段階に来ているのです。
​ いまや「部落」は同和対策という外被を自ら脱ぎ捨て、資本主義の生み出す貧困という鬼と「全集中」でたたかわなければならないのです。​


​​〇資本は、死んだ労働であって、吸血鬼のようにただ生きている労働を吸収することによってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである。労働者が労働する時間は、資本家が自分の買った労働力を消費する時間である。
(マルクス『資本論』第一巻第三篇第8章・労働日・あゆみ出版)
 




​​​​​​​​​​​​​​​日本史上に残る2匹の悪だぬき​​​​​​​​​​​​​​

「森友・加計問題」では政府の公文書を改ざん・焼却、国会では関与を否定し続けたが、とうとう尻尾をあらわした。
安倍晋三前首相が主催した「桜を見る会」を巡り、前夜に開かれた夕食会で有権者に飲食代を提供したとして、公選法違反(寄付行為)と政治資金規正法違反の疑いで、東京地検特捜部が前首相の秘書や地元支援者を任意で事情聴取していたことが明るみになった。
早速、安倍さんは首相在任中は「事務所の収入や支出は一切ない。会費はホテル側が設定した」などと強く疑惑を否定していたのに、「事務所、第一秘書のやったこと。私は知らなかった」などと嘘をつく。
「あの時、秘書に確かめんと答弁したんかい!」。菅義偉首相も「安倍さんから聞いたことを答弁しただけ」などと、責任逃れに終始。
この2匹の悪大だぬきを国民はどうするんだろうか?​​​



​​4、部落差別は解消しても貧困は残る​​

 「同対審答申」は「部落」の貧困の原因は部落差別であるとしたのは、貧困の根本原因である資本主義を否定することができないという限界のためです。そのために、部落差別=貧困という世界に「部落」を囲い込み、特別対策を講じざるを得なかったのです。
 しかし、貧困は根本的に解決できなくても部落差別は解決できるのです。実際に社会問題としての部落差別は基本的に解消しています。 
 改めて説明すれば、部落差別の原因は封建的な身分制の残滓から派生するものであり、資本主義社会を成立・発展させようとすれば、封建的身分制度を廃止し、形式的であってもすべての人間の自由と平等を保障しなければなりません。
 第二次大戦後の日本は主権在民、基本的人権の保障を明記し、封建的な旧制度を解体させました。さらに、高度経済成長は日本社会の旧い家族制度や共同社会の習俗・慣習を急速に解体させ、民主主義的価値観を深化させ、部落差別の社会的存在理由を解消させたのです。
 貧困は根本的には資本主義の利潤追求にかかわる問題であり、資本主義が民主的に改革されるまで貧困は継続することになります。その間、貧困層は様々な要因によって形成されます。高い社会的地位や財産を所有する階層に生まれた人々は基本的に裕福となり、社会的地位や財産のない貧困な階層に生まれた人々は低所得となる場合が多いのです。それが貧困の連鎖なのです。
 貧困な階層に属する人々には裕福になれない様々な要因が存在しています。親が貧困であること、教育環境に恵まれなかったために学力や学歴がないこと、慢性病を抱えていたり、精神疾患や障害があることなど様々です。同じように部落差別はこれらの要因のひとつでした。歴史的成立過程、基本的性格は違う問題であっても、特別扱いすべきものでもはなかったのです。
 資本主義は利潤を追求するためには生産や販売に必要な能力以外に価値を認めませんから、個々の要因などは眼中にはありません。また、価値が無くなれば冷酷に廃棄します。さらに、デジタル社会の到来は人間労働をAI・ITに置き換えるものですから、出自が「貴族」であろうが「部落」であろうが関係なく、選ばれた少数の人間しか必要でなくなるのです。
 エンゲルスが175年前に指摘した「生殺与奪」の権利は依然として資本家の掌中にあるのです。


​◯ブルジョアジー(資本家階級)は、プロレタリア(労働者階級)に対して生殺与奪の権を持っている。ブルジョアジーはプロレタリアにその生活手段を提供するが、それは一つの「等価物」とひきかえに、すなわちプロレタリアの労働とのひきかえに提供するのである。そのうえブルジョアジーは、まるで労働者が自由意志で行動し、自由な、強制されない同意によって、成年に達した人間として自分を契約を結んでいるかのような外観をも、労働者にあたえるのだ。​
(エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態・競争』大月書店)





​​​​​コロナ禍の中で丑年をむかえる皆さん​​​

少し早いが、がまぐちを持った開運たぬき、忍者たぬき、おまけに幸運を招く招き猫までつけて、皆さんがコロナに感染せずに、幸せな来年を迎えていただくことを祈念させていただいた。
悪いたぬきが支配する日本にいると、つらいこともあるだろうが、いいたぬきがいることを信じて頑張っていこうぜ。​​

​5、貧困は世界の勤労者の力でしか解決できない​​

 最近、マルクス・エンゲルスが再評価されています。中でもベストセラーになっている斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読んでみました。この本の中で斎藤氏は「人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象とみなす。(中略)そして、そのような社会システムが、無限の経済成長を目指せば、地球環境が危機的状況に陥るのは、いわば当然の帰結なのである」と、資本主義のあくなき利潤追求が地球環境破壊をすすめ、異常気象、疫病などをもたらしていることを指摘しています。
​ さらに、「この惑星の少なからぬ部分が生態学的には手遅れの状態になっているだろう。資本主義が崩壊するよりも前に、地球が人類の住めない場所になっているわけだ」と、資本主義体制よりも人類が破滅に追い込まれるかもしれないと警告しているのです。​
 グローバル経済のもとで、正規雇用社員が減らされ非正規雇用社員が増加し続け、経済格差は大きく広がってきました。そうした中、新型コロナウイルスが世界経済を直撃し、急激な生産縮小が起こり、世界中で大量の雇い止めや解雇を生み出し、自殺者を急増させています。認めようと認めまいが​175年前のエンゲルスの指摘は厳然と生きているのです。​
 当然ながらこの書は中国や北朝鮮のような社会主義を標榜する独裁政権を容認する書ではなく、マルクスの学説を基礎に、資本主義による環境破壊から人類の破滅を阻止するために、脱成長と市民参加による協同の経済体制を実現するための提案を行っているのです。
 私たちは「同対審答申」が創りだした同和対策という分断の魔術から自ら目覚め、勤労者として資本の利潤追求から地球を守る共同の戦いに参加しなければならないようです。


​◯経済成長を追求すれば人々は豊かになると信じてきたが、人々が「豊かさ」と感じたのはスマートホンがもたらす大量の情報だったようだ。その結果、得たものは異常気象と新型コロナウイルスによるパンデミックだけであったかもしれない。
​​(斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社新書)​​
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