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来年は水平社創立100周年 2021年からはじまる水平社の旅

​​​​ 来年は水平社創立100周年 ​​​​
​​​2021年からはじまる水平社の旅​​​​











 はじめに
 
 部落問題の解決をめざす運動の原点といわれる全国水平社(ぜんこくすいへいしゃ)が生まれたのは1922年(大正11年)3月です。この創立大会で世界に誇れる日本の人権宣言と言われる「水平社宣言」も生まれました。
 この水平社が来年3月で記念すべき100年を迎えるにあたり、運動団体だけでなく自治体、マスメディアにおいて記念行事や特集が行われるようです。その先鞭をきったのはNHKの「バリバラ―部落問題特集」でしたが、当ブログで親切丁寧なご批判を申し上げたように、水平社創立の時代背景も水平社宣言の内容も、今日的な意義も説明することなく、有名タレントに声高に「宣言」を読み上げさせるという品性に欠けたものでした。
 そこで今回から、「常識で考える」という私たちの視点で、水平社創立とその「宣言」の意義と限界を明確にしたいと考えています。
 少し長い旅(4回)となりますがお付き合いいただきますようお願い申し上げます。





​​​ヒトの遠い先祖―10センチのアデロバシレウス​

現在ではホ乳類の最古の化石といわれている。このホ乳類の体長は10センチほどで2億2千万年前の世界に生きていた。この時期に地上を支配していたのは体長10メートル以上になるフィトサウルスというワニに似た爬虫類であった。
爬虫類たちは水辺に待ちかまえアデロバシレウスをパクリと食べていたようである。
ホ乳類は生命を保存し、再生するために生き延びるために必死だったのだ。​​




​1、水平社のことを正確に理解するために​​​

 NHKの「バリバラ―部落問題特集」は部落問題や部落差別の本質について知らないディレクターさんが水平社宣言をテーマに製作していたことがわかりましたね。こうした放送に接すると、本当に部落問題のことを知っているマスメディア関係者はいるのだろうか?と懐疑的になる。
 恐らくはNHKのほとんどの人は正しい理解を持っているのに、不幸なことにたまたまそんな人に当たってしまったのだと思うが、マスメディアがこのような誤った情報を流すと影響が大きいので困る。そこで今回は水平社創立の意義を正しく理解していただくために、部落問題や部落差別の基本的知識の整理をしておきたいと思う。
 ブログの写真と説明はほ乳類の誕生からホモサピエンスまでの進化の過程についてごく簡単に説明し、「差別をする人間、させない人間」という二つの側面を持つ人間の本質を進化の過程の中において理解していただくためで、その過程の中で重要なのは変化を把握していただくことである。
 人間は進化によって巨大な脳を獲得した。脳は生命保存を脅かす他の生物、気候変動などとのたたかいを続け、社会や文明、国家を築いたが、その過程において生まれた階級社会は分断を生み、それを固定化させる差別も生み出した。 
 部落差別は日本の封建社会の身分制度から生まれ、今日においては社会の発展を阻害する残滓であることを本当の意味で正しく理解されていなければ、水平社という部落差別撤廃の運動の意義を本当に理解することは出来ない。
 さあ今年から水平社の旅に出かけよう。

※すべてが始まったのはおよそ7万年前、認知革命のおかげでサピエンスが自分の想像の中にしかないものについて語りだしたときだ。その後の6万年間に、サピエンスは多くの虚構のウエブを織りなしたが、それはみな小さく局地的なものだった。(中略)それでも、先祖の霊や貴重な貝殻についての物語は、サピエンスにとって大きな強みだった。(『ホモ・デウス』上・ユヴァル・ノア・ハラリ)​





​​ラオレステス・恐竜の恐怖に怯え夜行性に

ジュラ紀後期(1億6000年前頃)の地層から発見された。大きさは3cmほどだった。夜行性で小さな虫を食べていたいわれている。
彼らは暗闇で生活することで嗅覚、聴覚を発達させたといわれている。この発達が脳の発達を促した。
恐怖から逃れ、生存と種の保存のために進化した。​​




​​2、あなたは本当に「差別とは何か」がわかっていますか?​​

 

 国民の間に流布されている部落問題における混乱を解決するためには部落問題に対する非科学的認識を是正し、科学的認識を確立する必要がある。そこで改めて部落問題を構成する基本的概念(本質的特徴)を現代科学の到達点に基づき整理し直すことにする。
 差別とは法(国際法・国内法)により保障され、政治的・社会的にも承認されている基本的人権が侵害される、もしくは侵害された状態に置かれていることである。
 しかし、差別が差別として認識されるには、自然法上の人権思想が社会に認知され、市民的権利として法的に明記されるまでの過程と、法が社会に定着される全過程を通じて明確化されてきたものであるから、歴史的に認識すべきものである。
 例えば、日本においては普通選挙制度への女性の参政権は戦前にはなかった。当時、それを女性差別であると認識していた国民は少数であったが、現代においては、ほとんどの国民が女性の参政権は法的にも社会的にも当然の権利であると認識しているから、女性から参政権を奪うことは重大な差別となる。
 では差別はどのように構成されているか?基本的には実態(差別行為)と偏見である。偏見だけでは差別にはならないし、偏見がなければ実態は発生しない。差別とは実態と偏見の統一概念である。





​​恐竜に追われたホ乳類の選択

原始ホ乳類たちは恐竜たちの活動しない夜を選んだが、原始の時代は夜は寒い。ホ乳類の中でも内温性(身体の内部で発熱すること)を持つものが生き延びられた。
内温性の発熱源は細胞である。 
細胞にはそれぞれ数千ものミトコンドリアという細胞内器官がある。それが血液から受け取った栄養を材料にしてエネルギーをつくるのだ。このメカニズムは私たちホモサピエンスも同じだ。
人間は恐竜を恐れ、夜を選んだホ乳類から進化したのだ。
現代人がコロナパンデミック禍の中でも夜外に出て酒を飲みたがるのはその時代の遺産か?(これは冗談)​​



​​​3、あなたは本当に「偏見とは何か」が分かっていますか?​​​

 差別を構成する偏見について、社会心理学者のG.W.オルポートが「偏見とは十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」(『偏見の心理』培風館)と定義しているように、偏見とは文字通り偏った見方のことであり、どちらかといえば社会や個人の価値観の領域に属する。
 価値観とは、「何に価値があると認めるかに関する考え方、価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる、ものの見方」(フリー百科事典『ウィキペディア』)である。
 人間は生まれながら価値観を持っていないことは、乳幼児に札束を与えても見向きもしないことからもわかるように、価値観が後天的に形成されることは脳科学や心理学の研究からもすでに証明されている。
 こうした価値観は人間の脳内において先進的なものと後進的なものの対立によって高められるから、基本的には社会的価値観の変化(パラダイムシフト)に対応する。しかし、一時的にではあるが、先進的な価値観を拒否し、後進的な価値観に固執する人々も存在する。
 その代表例が、麻生太郎財務大臣や森喜朗オリンピック組織委員会元会長の女性蔑視発言である。彼らは基本的人権を基調とする日本国憲法によって社会的価値観が転換していることを認識できていないのである。 
 彼らが日本の指導者層を担っていたという事実を踏まえて言えば、自由民主党という支配政党の中枢には女性差別を生む、後進性が根強く存在していることを証明しているのである。





​​母胎で子どもを育てるホ乳類の誕生

夜行性で内温性のホ乳類から母胎で子どもを育てるホ乳類が誕生した。胎盤は胎児をより大きな状態で生むためのものである。
胎盤で子どもを育てることは革命的な進化である。自然条件に左右されることが少なく、親が自らの体温で温め、自らが安全な場所に移動して繁殖することが出来るようになったのである。
(写真は人間のもの)​​





​​4、差別の本質は「二元論」では理解できません ​​​

 価値観を形成しているのは認識である。認識は生物学的な本能と社会的認識との一体的活動のうちにあり、主に脳の活動に属している。
 意識の問題については長年にわたり宗教、哲学、心理学、社会心理学などにより探求されてきたが、依然として明確に定義されていないようだ。その理由は意識が「心」「心理」などとも表現され、人間の存在の根幹にかかわる特別なものであるという神秘主義が存在しているからである。​
 プラトン(BC428-348)は人間を霊魂(心)と身体(肉体)の二つに分け、アリストテレス(BC384-322)は、心は心臓の働きであると考えた。デカルト(AD1589-1650)は心は身体(物質)とは別に存在するという二元論により、心と世界の関係を科学的に認識しようと試みてきた。特に、産業革命を推し進めた科学技術の発展は哲学にも多大な影響を与え、カント、ヘーゲル、マルクスを経て存在と意識を統一的に認識する弁証法的唯物論が主流となった。
 さらに、脳科学の発展は意識は脳という物質の働きの産物であり、実在と認識は分割されることなく、脳内の活動によって統一的に行われていることが証明されてきているのである。
 しかし、不思議なことに二元論は今もなお部落問題の世界では存在しているのだ。「同和対策審議会答申」(1965年8月)は「心理的差別とは,人々の観念や意識のうちに潜在する差別であるが,それは言語や文字や行為を媒介として顕在化する」と、実態的差別と心理的差別を分離して以来、主に同和教育・啓発に引き継がれ、「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(2000年12月)に至っては人権教育・啓発を、「実態的差別」は減少したが、「心理的差別」は広く残存しているとし、実態の減少が「心理的差別」の減少に正比例することを無視し、教育・啓発活動の根拠としているのである。
 以上のように、差別の定義は明確であるが、政治の後進性が反映した「同和対策審議会答申」や「人権教育啓発推進法」などにより、部落問題は非科学的な二元論により、混乱させられているのである。

※詳しくは2020年09月30日・「あなたは差別意識がなぜ生まれるか知っていますか? 人権教育・啓発が新しい差別社会をつくる」をお読みください。 ​​






          
​​​直立二足歩行するルーシー

エチオピアで発見された300万年前の化石の復元から生まれた想像図。
ルーシーの頭骨は類人猿のものに近いが、骨盤は、類人猿よりもヒトのものに近い。
その構造は上半身を支えるために必要な機能をひとまず備えており、安定性には欠けていたと推測されているが、直立二足歩行をしていたという説が有力。
恐竜を恐れ夜へ逃げたホ乳類は長い年月をかけて進化し、胎盤を獲得し、直立歩行を獲得したのである。
このルーシーからホモサピエンスが生まれるまでには尚200数十万年を要する。
私たちの命は宇宙のなかにある地球の中で生存のために進化し続けたホ乳類の贈り物なのだ。
命をおろそかにするなよ。​​




​5、差別は誤った情報の産物である​​​​

​ 今日の脳科学の発展は意識は脳の活動であることをほぼ突き止めている。意識は脳という物質の働きであり、生きるために必要な情報を収集し、分析し、適応するために最善の方法を選択する情報処理機能なのである。​
※「意識とは何か。それは脳の機能である。これは馬鹿みたいな答えだが、それしか言いようがない。意識の問題がこじれて唯心論や唯物論が生じるわけだが、どんなことを論じるにせよ、ものごとには前提というものがある。」(『唯脳論』養老孟司・ちくま学芸文庫)
※意識はいわば志向性を持つ高次な脳の情報処理の一様式である。意識を考えるとき、われわれの悪い癖は初めに辞書を持ちだして、それが持つ多様で重層的な意味領域に幻惑されてしまいホールドアップをかけられてしまうことである。(『意識とは何か』苧阪尚行・岩波科学ライブラリー)
​ 脳科学の視点からいえば部落差別意識とは脳に集積された情報の一部ということであり、その情報が誤っているために部落差別が発生するのである。情報は社会的な価値判断と個人的価値判断が相互に関連し合い利用されるから、部落に対する誤った情報を信じる人が多ければ部落差別は数多く発生するし、誤った情報を信じない人が増えれば部落差別は減少していくのである。​
​ 意識が人間が生存するために脳が行う情報処理の機能であるとすれば、差別意識は誤った情報に基づく脳の活動の一部にすぎないことになる。コンピューターでは誤った情報は正しい情報を上書きすれば消去できるが、人間の脳は「誤った情報か?正しい情報か?」を判断する基準がなければ情報を修正できない。​
​​※詳しくは2020年08月26日「消えゆく『部落民』―心のゴースト⑧​​​ ―京都『この世』「『あの世』、『異界』めぐりの旅」​​をお読みください。





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​​ホモ・サピエンス(「賢い人間」の意味)

人間はネズミより小さい哺乳類から巨大な脳をもつ哺乳類に進化した。
約7万年前に突然、言語能力を飛躍させ、対象を抽象化し、普遍化する能力を獲得した。それが意識といわれるものだ。
意識は脳活動の総体 ​脳は進化の過程で様々な機能を獲得した。特に前頭葉は意識を司る中心機能として位置づけられるが、意識活動は脳部位全体が相互関連することで行われる。
見る(後頭葉)―思考する(前頭葉)―判断する(頭頂葉)―運動する(前頭葉)という活動を一瞬のうちに行う。当然ながら組み合わせは無数にあるのだ。​​





​6、情報は言葉として記憶されている

 脳内において意識を形成するうえで最も重要な位置を占めているのは「言葉」である。脳は短期および長期にわたり、情報を脳に記憶し、「短期記憶」と「長期記憶」を自動的に選択し、特に衝撃を受けた言葉については「長期記憶」として保存する。
 かつて愛する母親から「部落の子と遊ぶな」といわれたことがショックで今でも忘れられないという老人がいた。「言霊」(ことだま)という言葉があるが、「部落の子」という言葉には当時の記憶とともに感情も宿っているのである。
​ 「穢多・非人」という言葉は封建社会における侮蔑語である。それを今日において、個人や共同体と結びつけて使えば差別となるから使用すべきではないことはいうまでもない。
 また、今日でも「解放学級」や「同和教育」を継続している自治体があるが、「部落」「部落民」という分離概念をもつ情報が「長期記憶」として保存されることで、被害者意識を持つものと加害者意識を持つものに分断することも自覚しておく必要がある。
 分断概念が一旦つくられると双方の間にやがて憎悪と嫌悪感を生み、対立を生じさせることになる。

​​※詳しくは「2019年10月10日・私たちは人権社会を実現すると称して『憎悪の種』をまいてはいないか・京都アニメーションの事件現場を訪ねて」をお読みください。​ ​

 (次回は差別が分断社会を生む)









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